■月星歴一五四三年五月②〈琥珀の酒〉
「アトラス様、渡来品の珍しい酒が入っております。この後一緒にいかがですか?」
名指しされたアトラスは、応える前に、レイナを見やった。
竜護星では酒の飲める歳だが、レイナは食事中以外は基本嗜まない。それを踏まえた上の発言かもしれないが、王を差し置いてと受け取られかねない。
「私はもう休みます。あとは皆さんで楽しんで」
気にした素振りも見せず、レイナはペルラを案内にさっさと下がっていった。
※
ジル・ド・ネイト・ファルタンが注いだ酒は綺麗な琥珀色をしていた。
「素敵な色でしょう?東方の島国で醸造されているものです」
毒味の意味もあるのだろう、自ら口をつけてみせた。
倣ってアトラスも口に含む。舌の上で転がすように味わってみる。
柔らかな甘みと独特の香りがする。くせはあるが、それが却って深みを与えているように思えた。
「これは何の酒だ?」
「芋から造られたものです」
思いがけない原材料に、まじまじと琥珀色の液体を見る。
「美味いな」
「恐れ入ります」
アトラスは酒とファルタン領主を見比べた。
「それで?『私』に何か用がおありかな」
「いいえ、あなたへのお願いという話ではございませんよ」
含むように微笑したかと思えば、単刀直入に、ジル・ド・ネルトは言い切った。
「我々ファルタンは貴方の後盾となりましょう」
ブライト家に並ぶ筆頭ファルタンが付くということは、実質竜護星において敵なしに等しい。
ジルの笑みを見据えてアトラスは問う。
「ありがたい申し出だが、見返りは私に支払えるものなのかな?」
「もう、頂いていますよ」
答えたのは三兄弟長兄のカイ・ド・ネルト。
「そして、我々の取引相手は貴方ではありません。アウルム様です」
月星王では無く敢えてアウルム個人を名指しした言い方をした意味を考える。
「……そうか。兄の情報源はお前たちか」
アリアンナが訪れた時にヴァルムが来るタイミングが良すぎた。当時アリアンナを王宮側の準備と称して足止めし、その間に連絡を取っていたということだろう。
そして来たのがヴァルムという点にも意味があった。
ヴァルムは従兄弟だがアトラスの乳兄弟でもある。気が知れているという意味での人選と思っていたが、失踪中のアトラス捜索をネウルスに一任されていたのは五大公が一人ヴェスト。本来なら彼が来るのが自然だった。
月星王が出した命令は見つけ次第月星に送れというものだった筈だが、ヴァルムの対応はこちらの出方次第。
結果ヴァルムはアトラスの意を尊重し、レイナの月星行きに同行する形を取った。
ヴァルムは五大公が一人カームの息子ながら次期当主にはなりえない。
身体が弱く国から出られない兄に代わり、カームは月星に出向き仕えた。実際国の内政をまとめているのは兄の方で、カームの兄の息子が後継者であることが、ヴァルムが生まれる前から決まっている。
結果、自由に動けるヴァルムは、アウルムが個人的に動かせる人材なのだ。
何よりヴァルム自身が言っていた。『アウルム様直々の仰せ』だと。
話が早くて助かるとジル・ド・ネルトは微笑する。
「一昨年、レイナ様と貴方様が到着するより前からのお付き合いでございます」
「つまり最初から俺がこの国にいることを兄は知っていた、と……」
その上で月星王としては知らないふりをしていた。
もしアリアンナが介入しなければ、ずっとその体を貫いていた可能性もある。
「聞いていいかな?」
「対価は、月星のリメール港の専用の停泊場です。貴方がご存命の限り適応されます」
サイ・ド・ネルトが微笑を持って答えた。
「なるほど」
ファルタン一族はファタルの領主であるがその本質は商人である。
嵩む停泊料は、どこの商人も抱える頭の痛い問題だった。
商人は信用第一。正当な取引なら裏切らない。分かりやすい。
「アセラではこの弟を手足とお使いください。必ずやお役に立つでしょう」
ライ・ド・ネルトが芝居がかった仕草で頭を下げて見せる。
「モースはこのことを知っているのか?」
向けたれた視線にライはいつもの微笑で応える。
「我々の取引は話してはいません。ですが私が貴方付きになることは、王も承認済みの決定事項です」
「なるほど。せいぜいアテにさせてもらおう」
「おまかせください。誓って、貴方の力になるとお約束します」
ライ・ド・ネルトは琥珀色の液体を掲げてみせる。
ファルタンがこの酒をわざわざ用意した意味を悟った。アンブルとは琥珀を意味する。
【人物紹介】
https://kakuyomu.jp/works/16818093076585311687/episodes/16818093078876074057
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