■月星歴一五四二年十一月④〈ファルタン別邸にて 前〉

 早朝、竜護星首都アセラに到着すると、ハイネは王城ではなくライ・ド・ネルトとペルラの住むファルタンの屋敷を訪ねた。


 間一髪のタイミングで、登城前のペルラを捕まえることが出来た。

 玄関ホールで三人顔を突き合わせる。

「あら、アトラス様じゃないですか!」

 ハイネの背後にアトラスを認めて、ペルラはにんまりと笑みを浮かべる。

「もしかして、ご結婚まで待ちきれなくて来ちゃいました?良いですよ。後でレイナ様の所に内緒でご案内いたしますね!」

「そういうの、いいから」


 話すだけで体力が削られる人間というのはいる。アトラスにとって、どうもペルラはそういう類らしい。


「新しく入った女官に、月星人がいるそうだが」

「だめですよ、浮気は。逐一レイナ様には私が告げ口しちゃいますから」

 アトラスはハイネに目配せした。

 即ち『なんとかしろ』と。


「ペルラ。僕たちは月星から休み無しで翔けてきてクタクタなんだ。頼むから本題に入らせてくれ」

「それは失礼いたしました」

 使用人に遅くなることを城に伝えるよう指示すると、ペルラは自ら応接室らしき部屋に案内する。


 ペルラが夫であるライ・ド・ネルト・ファルタンと住む屋敷は貿易の拠点たるファタルの領主、ファルタン家の別邸だけあって調度品の数々に思わず目が行く。その数と豪華さは王城を凌ぐかも知れない。


 少し個性が強すぎる様な品も上手く配置し、主張し過ぎない様、しつらいに合わせてある。

 端的に言って趣味が良い。


 ここにならば、大きいばかりで柄が毒毒しいとレイナが嫌っている、執務室にある花瓶も馴染むかもしれない。

 レイナの立場だと、要らないからと渡すだけでも下賜にあたるのかと、アトラスはどうでも良いことを考える。

 寝不足は思考がおかしなところに飛ぶ。

 少し休息が必要なようだ。


 断わりを入れて一度下がったペルラは、それほど待たせることなく現れた。

 両手には軽食を乗せた盆を持っていた。


「簡単なもので申し訳ありませんが」

 てきぱきと、パンやスープなどの皿を二人の前に並べ、お茶だけは自分の前にも置いた。

 こういった気遣いのできる回転の速さはさすがだと素直に認める。


「どうぞ。召し上がってください。お食事しながら、お話しましょう」

 状況を把握すると、形式に囚われずに優先順位を間違えない姿勢も好ましい。

 時間的に作っている間は無かった筈だから、朝食の残りか使用人の賄いなのだろうが、冷えた身体に温かいスープなどは、正直ありがたい。


「それで、月星人の女官のことですけど、何をお話すればよろしいのかしら?」

「まずは、こちらにきた経緯を」

「月星の戦下で身寄りを無くし、地方の神殿に身を寄せていた所を、この国のある貴族に気に入られて引き抜かれたそうです」

「なぜ、わざわざ月星から?」

 ハイネが訝しむ調子で訊ねる。

「レオニスさまの時分、この国は深刻な人手不足に陥っていたから、使える人材を求めたらしいわ」

「神殿は敬虔な女神信徒だから入るだけの場所では無いんだ」

 アトラスが説明を加える。

「身寄りのない者や家督を継げない子供などが、そこで生活して色々な技能を身につけるという面もある。言うなれば職業訓練場という感じか。特に地方だとその傾向が強い」


 元々は宿坊に泊まる巡礼者をもてなす為の技能だったらしいが、時代の移り変わりと利害の一致ということだろう。


 読み書きに始まり、掃除、洗濯、薪割り、料理、裁縫といった基本的なことから着付け、散髪、化粧や髪結などのもてなし技術。加えて礼儀作法、剣術、庭木の剪定、大工仕事、菜園管理など項目は多岐にわたる。


 余談だが、月星には読み書きと最低限の計算ができる者が多いのも神殿の功績と言っていい。


「月星の神殿で仕込まれた人材は質が良いと有名ですから」

「なるほど。じゃあ、あの時の護衛の二人も神官なのか」

 大祭前日の『訓練』を示してハイネが口にする。

「あれは大神官の子飼いだ。アンバルのセレス神殿は特殊なんだ」


 特に総本山の王立セレス神殿は異常と言い換えてもいい。剣術にも丈た彼らは、いざというときのタビスの為の盾になる。タビスの為の勢力になる。


 アトラスとしては、三間前の魔物の一件が総力戦にならなくて本当に良かったとしか言えない。

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