■月星歴一五四二年十月⑦〈無傷伝説〉

 部屋の中は、長いこと使われていない匂いがしたが、定期的にきちんと掃除がされているのが見て取れた。

 敷かれている毛足の短い絨毯は、手の込んだ細かい柄が施され、一目で高級品だと判る。

 入って右手には飾り棚。暖炉との間には隣室への扉が見える。

 左手には執務室にあるような重厚な椅子と机。その背後は天井まである本棚で埋まっており、真ん中には女神の画が飾られている。

 正面には目を引く大きな窓があり、その手前には立派な卓と長椅子が暖炉を囲うように設置してあった。


 促されるまま長椅子に腰掛けようとしてレイナは、この部屋が一風変わった形をしていることに気づいた。


 入口からは見えないが、本棚の後ろには壁があり、背中合わせのように天蓋付きの寝台が設置され、奥には衣装箪笥が見て取れる。


「ここは誰かの居室なの?」

「俺の部屋だ」

「ということは、王城内なのかい?」

「いいえ、ここは王立セレス神殿の中よ」


 どういうことかと、竜護星の二人の視線が応えたアリアンナに向けられる。

「タビスは、神官扱いなのよ」

 それも唯一無二の最高位の神職にあたる。立場としては大神官よりも高位である。


 いつの時代も常に居る訳では無い為、その存在は敬虔な女神信者には生ける偶像アイドルに近い。

「だからあの男の子は……」

「あれは極端な例だよ」


 自分がただの痣にしか見えないと言ったものにそこまでの価値を見出す意味がレイナには理解できないのだろう。複雑な顔をしている。


「今更だけど、タビスって巫覡のようなものなの?」

「女神の言葉を聞いて、伝える者なのかという意味か?」


 巫覡とは聞き伝える者。風の歌を感じ、山の声を聞き、大地の色を読み、変化の前兆を捉えて対応する者。

 神の概念がなくてもそう置き換えれば理解しやすいのだろう。

 だがアトラスは首を振る。

「残念ながら、俺には女神の声なんて聞こえない」

 女神の代弁者とされるタビスが言っていい言葉では無い。アリアンナが渋い顔をする。


「俺がいくらそう言ってもな、聞き入れやしない。『タビスである以上、自覚がなくてもタビスは女神の望む行動している』ものなのだそうだよ」


 敬虔な女神信徒達は不思議な耳をしているようで、何を言っても『そういうもの』となってしまう。結局のところ、ひとは信じたいものを信じるのかもしれない。


「『神聖な痣』とやらがあるだけで特別扱い。俺が体を拭いた布が盗まれたりなんて日常茶飯事。散髪の後の髪の毛を御守りとして神官が小遣い稼ぎに売っていたこともあったらしい。健康祈願だそうだ」

 あまり気分のいいものじゃないと、アトラスは肩をすくめる。

「なぜに健康祈願だい?」

「それは、タビスには無傷伝説があったからだろうね」

 ハイネの疑問の答えたのはヴァルム。

 アトラスは鼻で笑った。面白いものを見せてやると、部屋の奥、衣装箪笥の並びにひっそりと設置された扉を開く。


 先にあったのは診察室。

 棚には様々な薬品が所狭しと並んでいる。

 その先にも扉があり、そこは直接風呂場に繋がっていた。

「薬をこんな湿気の多いところに置く気が知れない」

 ハイネの指摘は正しい。

「あの扉は、神殿の玄関ホールに直結しているんだ」

 アトラスは、風呂場の反対側の扉を指差し示す。

「街を凱旋し戻ってくるとな、俺は女神に勝利を感謝するお務めがあるからと、神殿の前で一人別れる。玄関に入るや倒れ込んでいたものだよ。そのまま風呂に直行。汚れを落とし傷を清めたら、隣で治療が施されて寝台行きさ。そして、一週間後位に開かれる祝賀会に、俺はさも深く感謝の祈りを捧げていたという顔で出席する訳だ。実際はひたすら回復に努めて、祭壇の前なんか行ったこともないんだがな」

 これが無傷のタビスの真相だと吐き捨てる。

 ヴァルムも知らなかったのだろう、驚きを隠せない顔のまま、元の部屋に戻る。


 ただ一人、ついて行かずに椅子に座ったままのアリアンナが硬い顔をしていた。

「知っていたんだ?」

「……初めて祝賀会に出られた日、私は嬉しくてお兄様に踊ってくれるように強請ねだったの。お兄様はとても困った顔をされて……。結局はアウルム兄様が代わりに踊って下さったのだけど、肩越しに見たお兄様はもう戻る所で、左足を僅かに引きずっていたわ」

 翌日見舞いに行ったものの、怪我の事実は無いと否定され、お務めの邪魔をするなと、会わせて貰えなかった。

「その時のことは覚えている。横から来た相手の馬の鐙に引っ掛けて、ずるむけて大変だった。鎮痛剤も切れかかっていて、とても踊れる状態じゃ無かったな」

 詳しく話すなと、レイナは眉を寄せる。


「それにしても、あの扉は何だよ」

 気を利かせてか、唐突に話を反らすヴァルム。

「当時、君が居なくなった経路に皆悩んだんだ」

 神殿の出入口は正面玄関と神殿の二階、王城に直結している連絡橋しか無い筈だと、外部の人間は信じて疑わなかった。

「まぁ、内密にしてもらえると助かるんだが」

 困ったようにアトラスは肩をすくめる。

「見習いは市井に奉仕する日があるだろう?」

「街の清掃とかしている、あれ?」

「そう。俺も幼い頃は混じってやらされていたんだ。さすがに堂々と降りていくと目立つからと使っていた通路だよ。……当時は鍵もかかってなかったのだがな」


 アトラスの発言は、自身の出奔に神殿関係者の関与は無いのだと、思わせたかったのかも知れない。


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アトラスの部屋イメージ

https://kakuyomu.jp/users/Epi_largeHill/news/16818093085050368809

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