■月星歴一五四ニ年五月〈ユリウス〉

 時は二ヶ月前に遡る。


 アトラスはその男を前に、立ちつくしていた。


 鮮やかな紫水晶アメシストの瞳がアトラスを見つめていた。

 どこか中性的な雰囲気を持つ、整いすぎた顔。肩のあたりで揺れる青銀の髪は人間離れしたその姿をより強調させている。


 男の名はユリウス。


 竜護星においてはアシエラに未来視の能力を与えたことで知られている。

 その人物が、おそらく何百年も前と変わらない姿で、アトラスの目の前にいた。


 そこは月星の遙か北東、海を二つ隔てた大陸の東の果てに位置する凍風星。その、北部にそびえる『剱山』と呼ばれる山の頂きである。


 この呼び名は、剣を縦に並べたように険しい山ということから付けられたと言われていたが、実際の由来は、とある『剣』が封じられた山であったかららしい。


 その剣こそがアトラスが求めた通称『ユリウスの剣』。魔物を浄化することが出来る唯一のものである。


 剣を手に入れようとするならば、必然的に持ち主であるユリウスを探し出す必要があった。


 ユリウスについては、『世に魔物が蔓延る時一振りの剣を携えて現れる』という言い伝えが各地に残されている。


 伝承を追い、やっと山の麓まで辿り着いた時には、調べものをした月星を発ってから三ヶ月以上が経っていた。


 麓の村の人々が止めるのも聞かずに、山に入ってからの日数は分からない。


 竜は頑なに山に近寄ることを拒否し、やむを得ずに徒歩で入った。

 同じ様な風景、吹き荒れる吹雪に時間の感覚は麻痺してしまった。


 果たして、凍えた風に吹き曝された土地の、誰も足を踏み入れようとしない山の中でありながら、アトラスは掌に汗を握りしめてユリウスと対峙していた。


 くだんの男の端整な顔立ち、表情、その存在に、畏怖と同時に懐かしさに似た感覚をも覚えていた。


 ユリウスの方が先に表情を和ませた。


「よく、ここまで来たね」


 懐かしい台詞。

 いつか会った人物その人だと確信する。

 その声は、蒼い樹々を思わせる、澄んだ深い響きを伴っていた。


 ユリウスは、確かに存在していた。


「この剣が、欲しいのだろう?」


 そう言って、ユリウスは手にしていた一振りの剣を示す。

 アトラスの持つ長剣程の長さがあり、鞘には銀を基調とした細やかな細工が施されている。


 ユリウスは無造作に剣を差し出した。

 あまりにもあっさりとした様に、さすがにアトラスも驚きを隠せない。


「どうかしている。これは、魔物を退治できる唯一の剣だろう?」

「いかにも」

「そんな大切なものを、どうしてすんなりと俺なんかに……」

「……君はここまできた。理由はそれで十分だ」


 ユリウスは、岩の一つに座るよう、促した。

 この場所には大きな岩ばかりがごろごろとしており、樹木の姿はない。厳しい気候から、植物自体がほとんど生息していないのだ。


 アトラスは、腰を下ろしながらも気付いた。


 いつのまにか風が止んでいる。雪も無い。

 凍風星という名前通り、この国の北部では年中凍えた風が吹き曝し、冬には吹雪が何日も続く。


 道中、雪道にどんなに難儀したかを今更のようにアトラスは思い出した。


 この場所は頑丈な屋内にいるように温度も丁度良い。空気も澄んでいる。


「月星の白い砂漠と同じ原理だ」

 アトラスが問いかける前に、ユリウスは答えた。


「ここには邪悪なモノは入ってこられない。君が来られたということは、君がこの剣を手にするに値する事を意味する」

「やはり、この周りにも魔物は居た……」

「勿論。この山には――正確には剣が創るこの結界の外にはごまんといる。だが、君はここまで来た。奴らに惑わされることなく、憑かれることもなく、だ。これは称賛に値する」

「ちょっと待て!この山に入って、一人も下山した者がいないというのは、遭難ではなく魔物にやられたからだというのか?あんたは知っていながら見向きもしなかったんだな。唯一魔物を屠る剣を持ちながら、魔物を退治することもしなかったんだな?」


 魔物にやられたという表現は正しくないとユリウスはわざわざ指摘する。


「この山を覆う程度の魔物は、人間に直接何かができる訳ではない。人の方が勝手に毒気に当てられて錯乱するだけだ。その隙に憑かれたとしても、正気を失って戻れなかったとしても自己責任だ」

「しかし……」

「簡単に憑かれるような人間に、この剣を持つ資格はない」


 無事に戻った者が居ないと聞いているなら、入らなければいいだけのこと。

 ユリウスの口調は不自然なまでに冷たい。


「アトラス」


 まだ名乗ってもいないのに、ユリウスは彼の名を呼んだ。


「魔物がなぜこの山に群がるのかを考えてみて欲しい。魔物にとってこの剣は唯一の脅威だ。人間の手に渡る事をおそれている。だが、魔物に憑かれた人間がこの剣を手にしたらどうなる?」

「たとえ憑かれていても、人の手でならばこの剣に触れられるのか?」


 ユリウスは肯定を意味する沈黙を持って返した。

 アトラスが深く溜息をついた。


 そうなれば、魔物を退治するどころの話ではなくなってしまう。その手段は永遠に失われてしまうだろう。


「だから私は待っていた。魔物に憑かれることのない、毅い人間を」


 故に犠牲は致し方なかったのだと、剣を渡すに値するかを選別する試練だったのだと、ユリウスは語る。


 この男に会ったのはまだ二度目、もしかしたら三度目の筈だが、アトラスは印象の違いに違和感を覚えた。


 月星の白い砂漠で会った時の彼は、求める人材以外はどうでもいいと、突き放した様な言い方をするような人物には見えなかった。



「そうじゃないだろう?」


 アトラスはそんな態度をとる理由に思い至って苦笑する。


「……ここに至るまでに、昔、剣があったのだろう場所のいくつかに寄ってきた。きっとそれらの周りにも魔物は居たのだろう。月星の砂漠であんたは言っていたからな。『その残滓は強く、今でも魔物を阻む』と」


 せっかく魔物に憑かれずに到達しても、肝心の剣が無ければ意味が無い。試練というならば、剣を欲する者が挑む場所は一か所でなければおかしい。


「そうやって、剣の伝説が残る地がいくつもあるのは、定期的に場所を換えて魔物を集め、人間が居る場所から分散させていたのだろう?」


 それがこの男の手の込んだ不器用な優しさだと考えた方が、お伽噺で聞かされるユリウス像とも近い。


 伝えられるユリウスは、人間に魔物が何たるかを説き、自ら魔物を退治して希望があることを示した。

 それでも魔物は生まれ、犠牲者は無くならない。


 月星の『神の祟り』やこの山の『戻った者はいない』という謂れの様に、遠ざける為に手段を講じても、困ったことに足を踏み入れる愚かな人間はどうしても居る。


 突き放した様な言い方をしたのは、忠告はしたのだから、それ以上は面倒をみきれないということなのだろう。


「ユリウス、剣がお話では無く実在することを匂わせて探させたのは、実は俺だけなんじゃないのか?」


 ずっと引っかかっていたことをアトラスは口にした。


「月星の砂漠で魔物について話し、レイナを使って魔物に遭遇するように仕向け、学者を装って剣を探すように導いたんじゃないのか?」

「……」


 暫くユリウスは無言だった。

 その視線がアトラスの右腕に注がれていたのは気のせいだろうか。


 やがて、観念したように口を開く。


「……お前が毅く、魔物に憑かれないのは分かっていた」


 言葉遣い、話し方の抑揚が変わった。


「……確かに、今まで運良く憑かれずに来られたよ。だが、その次の保証はないぞ?」


 強いて悪戯っぽく笑うアトラスに、ユリウスは首を振って答えた。


「それは、無い」


 やけにきっぱりと断言する。


「お前ほど、心に憂いを抱えた者は少ない。憑かれるのなら、何年も昔に憑かれていたはずだ」


 見透かされた居心地の悪さに、何故と訊ねかけて、言葉を呑んだ。

 相手は人間では無い。聞くだけ愚問だろう。


「お前は魔物には憑かれない。お前だから剣を探させたという点は当たっている」


 紫水晶アメシストの瞳がこちらを向いていた。


「試練といったのは、魔物に憑かれるかではなく、本当にこの剣を手にする意思があるかを確認したかった」

「それにしては、随分ひっぱり回してくれた」


 竜護星を発ってからここに辿りつくまでの道中を思い出して、恨みごとの一つも言ってみる。


「女の為にと、見栄で探されても困る」


 笑みを含むからかい半分の口調。ユリウスに自然な表情が浮かぶ。


 月星での邂逅時は、たしかにこんな顔で話をしていた。

 こちらが素の顔なのだと、アトラスは確信した。 伊達に人の目を気にして生きてきていない。


「……お前はなぜ、自ら与えられたものを放棄したがるのか?」


 不意に紫水晶アメシストの瞳に浮かぶ真摯な色に、抗えずアトラスは本音を口にしていた。


「出来るわけ無いじゃないか。……自分は罪を背負いし者なのだから」

「……それを罪と呼ぶのは、お前自身の思いこみではないのか?むしろ、肯定し、正当化して褒め称える者の方が多くはないか?人間とは、そういうものではないのか?」


 畳み掛ける様に問われるユリウスの言葉にアトラスは笑った。皮肉だと思った。


 同じ様な問いかけを『彼』とは全く逆の立場の『モノ』、レオニスと名乗った魔物からもされたことがある。

ーーーーーーーーーーーーーー禁域図解

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