■月星歴一五四ニ年七月⑭〈使者〉

 月星の使者は、その日の午後に首都アセラに到着した。


 今度は突然の来訪を詫びる月星王直筆の親書を持参していた。

 使者は太陽の光を映したような金色の髪と碧い瞳を持つ、彫の深い顔立ちの青年だった。


 海風星統治者の息子であり、月星王の従兄弟のヴァルム。

 月星王兄妹の母アリアは、ヴァルムの父カームの異母姉にあたる。


 月星王の使者がなぜ他国の人間なのかと、その場に居合わせた多くの者が不思議に思う中、レイナは驚愕を顔に貼り付けていた。


 一方、アリアンナは動揺を隠せず、アトラスは頭を抱える。


「まさか、お前が来るとは思わなかったよ。ヴァルム」

「アウルム様、直々の仰せだよ。僕も、この役目を与えられたことを嬉しく思う」


 海風星は、月星の南西にある小さな島国である。


 その昔、侵攻してきた月星に呑まれ、長い間この島の統治者だった一族は王家でなく月星の一貴族としての立場を強いられてきた。

 しかし、先の内戦ではアンブル派に加勢し、功績をあげた恩賞として再び海風星という国家としての独立を認められて今日に至る。


 月星では有力貴族をあげて『五大公』という言い方をするが、今でもその内の一人は海風星統治者アキマン家を指す。

 これは、名残であると同時に、国として分かれた今でも海風星が月星に忠誠を誓っている証でもある。


 今回のように海風星の人間が月星の使者として発つことは、多くはないがヴァルムに限っては異例ではない。


 ヴァルムの父カームは身体が弱く月星に頻繁に来られない兄に代わっての一代限りの統治者であり、次期統治者は兄の息子であってヴァルムでは無いことが決まっている。

 身軽な立場である為、アウルムが動かしやすいという面がある。


「レイナ、ヴァルム・ヴァン・アキマンだ。覚えているかな?」


 アトラスが促し、青年と向き合ったレイナ。

 忘れるわけは無いと、表情が語っていた。

 旅の最中で、唯一会ったアトラスの知り合いである。


 熱を出し、ヴァルムの館に世話になった上、アトラスと喧嘩をして随分と迷惑をかけたのは彼女が十三歳の時。


「レイナ・ヴォレ・アシェレスタです」


 数年越しでやっと本名を名乗ることのできたレイナは若干困り顔。


 竜護星の人間とは違う意味で過去の自分を知っている相手というのは、やりにくいのだろう。


 ヴァルムは、竜護星の国主としてのレイナに正式な礼をとった後で、悪戯っぽい笑みを見せた。


「元気そうだね。アストレア。髪は伸ばさなかったんだ?」


 返す言葉がない。

 大喧嘩の末、自ら断ち切ったおさげをアトラスに投げつけた瞬間までヴァルムには見られている。


 ぎこちない笑みを浮かべて、レイナはヴァルムを城に招き入れた。


   ※※※


 場所を城内に移して、正式に会見が行われた。


 気まずさを絵に書いたような顔をしているのはアリアンナ。

 王女の外出が無断だったことが伺える。


「陛下は、何か仰って?」

 当初レイナに見せた攻撃的な口調とはうって変わったしおらしい態度で尋ねる。

「速攻、帰れとのこと。まぁ、覚悟しておくのですね」

 多少、棘のある口調で言い放つとヴァルムはアトラスに視線を投げた。


「アトラス殿下も、任務が終了したのなら、お帰りいただくようにとの仰せです」

「任務?」

 おうむ返しに疑問を口にしたのは、妹の方だ。


「アトラス殿下は、前王アセルス陛下からの密命を持って行動していたのだと聞き及んでおります。なんでも、先の内戦時において、勝敗にかかわる助言をいただいた方へのお礼だったと伺っております」


 碧い瞳が、まっすぐとアトラスを見つめている。

 訴えかけていた。

 即ち、意図することを見極めろ。


 アトラスは芝居だと悟った。


 恐らくヴァルムは、この問いの答えに対して、複数の対応を持たされている。アトラスとレイナの返答次第で、月星の竜護星への扱い方が決まる。


 打ち合わせのない舞台に立たされ、用意された題目にどう答えるか。


 アトラスはレイナを見た。一瞬、確かに目が合う。

 態度には出さないが、共有する空気を確認した。

 この呼吸は旅の間にも経験したものだ。


 アトラスは慎重に口を開いた。


「ヴァルム、これは真実兄上の……月星王アウルムの言葉だな?」

「勿論です」

「安心としたよ。つまり、きちんと引継がなされたと言うことだしな」


 自分の命令は父、アセルスから受けたものだったが直後に父王は頓死。

 継続がうまくいかずに誤解を受ける可能性があったと、アトラスは語った。


 勿論、そのような事実はない。


「竜護星前王は内乱の兆しが見える故、継承権の薄い末娘を匿って欲しいという要請をしていたそうだ。前王アセルスは、以前の助言への礼もかねてこれを承諾した」

「私が、こうして自分の国に戻ることが出来ましたのはアトラス王子殿下、強いては前王アセルス陛下のお陰です」


 レイナも平静を装って後を続けた。


「月星には、早急にお礼を申し上げねばならなかったのですが、我が国も動乱の直後でしたもので」


「俺が受けた命は、指定された場所にて落ち合った人物を保護し、状況によってはその者を然るべき国に送り届けるというもの。詳細は、その者に聞けということだったのだが……」


「しかし、私自身、何らかの事故で記憶を喪っていました。運良く約束の場所に辿り着いたものの、自分のことも一切分からない状態で、アトラス殿下には余計な手間と時間をおかけしてしまいました」


「そうだ。指定された場所にいたのが、記憶喪失の少女だったものだから、会うべき相手なのかも確証がもてなかった。自分の任務が正しいのかも正直疑問だった。月星に連絡を取ることが躊躇われたのも、その為だ」


 ヴァルムは頷いた。答えは出た。


 ヴァルムが懐から取り出したのは、『月の大祭』への招待状だった。


 地上の水は月の女神の管理下にあり、穀物も女神の計らいで大地に潤いを与えてくれるから得られる恩恵だという考え方が、月星にある。

 この祭りは、空気の澄んだ秋の満月の日に、収穫を女神に感謝し、翌年の豊穣を願うものである。


「そんな特例を、陛下が提案したの?」

 アリアンナのヴァルムへの問いかけは叫びに近い。


「勿論です。竜護星前王、セルヴァ陛下への感謝の意味も込めて、レイナ陛下には是非参列いただきたいとのことです」


 ありえないことだった。

 月星でこの祭りは、特に重要視されている儀式の一つである。


 招待されるのは月星と盟約を交わした少数の国のみ。竜護星は、かつては国交があった国だとはいえ、それほど親しくはなかった。


 この祭りへの参加は列国への仲間入りを意味する。通常諸国は競ってその特権を手に入れようと躍起になる。


 月星の方から言い出すはずはない。


「それに、お兄様は一言も……」

「仕方ないだろう。一応、密命って事になっていたんだ。ベラベラ喋るわけにはいかないだろう」


 アトラスは鋭い一瞥を与えてアリアンナを制した。


 これは、芝居。

 余計な出演者にかき回されてはたまらない。


 レイナの方はヴァルムに向き直った。


「ご招待、謹んでお受けいたします。そして、アトラス……殿下はその際に、私が責任を持って送り届けます!」


 即興にしては上出来。


 だが、この状況に不満を露わにする人物が居た。

「またしても、アトラスの美談が浮上か。冗談じゃないね」


 突然発せられた、およそハイネらしくない声音に一同静まりかえる。


「いつでもお前は邪魔ばかりするんだ」


「ハイネ、どうしたのです?」

 レイナが顔いっぱいに疑問符を浮かべてハイネを見つめた。


 しかし、ハイネの苔色の瞳が映すのはアトラスの姿。ハイネは恨みがましく言い放つ。


「そうさ、お前さえいなければ全て事はうまく運ぶ」


 それはハイネの口から出た言葉だったのか。彼の頭に響いた声だったのか。


 いきなりハイネはアトラスにつかみかかった。

 羽交い締めにしようと、襟元に手がのびる。


 だが、そこは違和感をハイネに感じていたアトラス。余裕を持ってかわし、逆にハイネの腕を後ろ手に締め上げた。


「やっぱり、居たな」

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