■月星歴一五四ニ年七月⑫〈告白〉

 深夜、部屋に人の気配を察してアトラスは跳ね起きた。


 次の瞬間、枕元におかれていた剣を素早く手にすると、侵入者に向けていた。

 過去に身に付いた条件反射。


「誰だ?」


 剣を向けた相手の姿を確認して、アトラスは唖然とした。

 レイナの気配を間違えるなど、あり得ないはずだった。


「わ、悪い……」

「ごめんなさいっ」


 レイナは衝動的に駆け出した。


「待てよ、アストレア!」


 昔の名前を呼ばれて、一瞬足を止める。

 アトラスはその隙に腕をつかんで引き止めた。

 レイナがびくりとするのが伝わり、あわてて手を離す。

 振り向くその顔には狼狽の色が浮かんでいた。


「すまない。俺はどうかしている」


 アトラスは、気まずそうに言った。

 気が張りつめている証拠。

 アトラスは、溜息をついて髪を掻きむしった。ここまで、痛手が大きいとは、自覚していなかった。


 アトラスは、続き部屋にレイナを促し、長椅子ソファーに座らせた。


 棚から葡萄酒ワインを取り出し、一杯仰ぐ。

 減り具合がやたらと早い。戻ってきて、すでに瓶六本を空にしている。

 もう一杯注ごうとして、止めた。

 杯を持たずに、レイナの向かいに座る。

 些か無理に笑みを作って、アトラスは言った。


「言えよ。聞いてやる。文句も鬱憤も溜まっているんだろう?」


 レイナは頷いた。

 努めてくつろいだ風に座り直す。


「……アストレアって、久しぶりに呼んでくれたね」


 ぎこちなくも、レイナの顔に笑みが戻る。

 さすがに名無しでは都合が悪いと、アトラスが付けた名前だった。


「この名前で旅をしていたのが、もう、懐かしい」

「そうだな……」


 当時を思い出して、アトラスも顔を和ませた。


「あの旅は、色々新鮮だった」

 そして、自由な時間だった。

「……でも、六年間も故郷を離れさせてしまったのね。私は、アトラスにも帰る場所がある……そんな当たり前の事を失念していた」

「いいんだよ」


 言ってから目を逸らすアトラス。


「お前は、王の息子でも、タビスでもないアトラスとして俺を見てくれたからな」

「王の息子……。改めて聞くと、別の人のことみたい」


 レイナは淋しそうに微笑した。


「……あなたが自分のこと言ってくれなかったのは、私が記憶を失っていたから。自分が分からない人に話すのは酷だから。配慮だったんだって、ペルラに諭されたわ。だから、責めるなですって」


 でも哀しかったと、レイナは吐き出す。


「簡単に割り切れない。どうして黙っていたのって、やっぱり聞きたいよ」


 アトラスは疲れた様に頷いた。


「レイナ、あんな辺鄙な処に、供の者も付けずに俺がなんでいたと思う?」


 おかしな状況だったろうと、笑う。

 とても、お忍びで行くような場所ではなかった。


「俺は家出少年だったのさ」

 ふざけたように、アトラスは言った。


「お前は怒ってもいいんだ。俺はお前を利用した。おかげで、帰らずにすむ口実が出来たって、内心喜んでいたよ」


 明るく言うアトラスの表情に無理がある。


 レイナは真顔で尋ねた。

「戻りたく、なかったの?」


 アトラスは首を振る。

 戻れるものなら戻りたい。これも、また本心。


「自分を知らない人間ばかりのこの地での暮らしは楽しかった。誰も、へりつくろった愛想笑いをしない。自分勝手な期待を押しつけない。俺は、ここでの居心地の良さに甘えてしまっていたんだ」


 王としてのレイナを補助し、出来ることをしようと思ったのは感謝のつもりだった。


 反面、するべき事を逃げていたのも事実。

 尽くすべき相手をすり替えて、償ったつもりでいたのも事実。


「誰よりも功績を残し、英雄とまで言われたって聞いたわ」


 アトラスは首を振る。

 英雄なんて、知らない。

 周りの連中が勝手に評価しただけだ。さすがは、タビスだとその肩書に。


「誇って話せるほどの過去じゃなかった」


 それでも、どこかで認めたい。

 あの頃はそれなりに頑張って生きていたのだと、信じたい。

 自分に出来ることを全うしていたと叫びたい。


 生まれながらのタビスともてはやされたが、それに甘んじただけではなかった。

 名前負けしないよう、努力をした。

 しかし、その努力が結んだ末路を考えれば、誇れるはずも無い。


 アトラスはレイナを見つめた。いつになく厳しい顔になる。


「俺はただ、父上や兄アウルムの役にたてればそれでいいと思っていた。だが、それが何を意味するのか、本当の意味で解かっていなかったんだ……」


 アトラスは大きく溜息をついた。

 自分が何を伝えたいのか。伝えなければならないのか。そして、どう伝えるのが相応しいのかが、判からない。


「レイナ、知らずにしてしまうことを、どう思う?仕方がない、と、思うか?」


 唐突な問いに戸惑いながら、それでもレイナは慎重に口を開く。


「判からない。でも、知ろうという行為を怠っての結果なら、仕方がないではすまされないこともある。だけどアトラスは常に言っていたね。その時できる最善をしろと。それを実践した結果なら、仕方ないとしか言わざるを得ないと思う」


 レイナの言葉は優しい。

 アトラスはこの上なく頼りなげな瞳でレイナを見ていた。

 口調もだんだんと重くなる。


「俺は逃げたんだ。自分のしたことの意味に気がついて、恐ろしくなってしまった。俺の中で、壊れてしまった」


 信じていたものが、音を立てて砕け散ってしまった。

 恐怖。不安。怒り。悲しみ。渦巻く心境を正当化して目を背ける勇気も、事実を認める勇気も無かった。


 だから、逃げることしかできなかった。


 臆病な少年が、今も心の奥底で殻に閉じこもって丸くなっている。


 アトラスは顔を上げた。

 海青マリンブルーの瞳がまっすぐに彼を見つめている。濁りのない澄んだ青。


 この女性にならば、言ってもいいのかもしれない。赦してくれるのかもしれない。


 そんな希望にすがってしまいたい自分がいる。


「王を支えるのが自分の義務だからって、アトラスなら言いそうなのにね。覚悟ひとつで大抵の事はこなしてしまうあなたが、城を出なければならないほどの決心をさせたものは何だったのか……」


 レイナの言葉は呟きに近かった。

 ふと視界に入った蝋燭の炎が揺れた。

 まるで、アトラスの、心の如く。


「レイナ、俺は月星に戻りたくないわけじゃない。だけど、本当は戻れる場所でもない」


 いつだって会いたかった人達。

 その中に存在していたかった。それも本心。


「……あの戦場で、俺が手にかけたのは、アンブル派にとっての敵将、ライネス・ジェイド・ボレアデス」


 肉を断つ感触がいまも手によみがえる。

 濡れた血の匂い。のしかかる身体の重み。だんだんと生気が失われていく青灰色そらいろの瞳。


 俯くアトラスの隣にレイナは移動した。

 背中を優しく撫でてくれる感触が、強張る身体をいくらか解してくれる。


 アトラスは、怯えに似た眼差しをレイナに向けた。


 細い身体を抱き寄せる。

 腕の中の温もりを噛み締めながら、自嘲をはらむ声音で次の句を続けた。


 続けなければと思った。

 レイナには、言っておかねばならないような気がした。

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