□月星歴一五四ニ年一月⑤〈出立〉
湖の畔にある、王族の墓地の先には湖を借景とした庭園が造られている。
湖を臨める東屋に、月夜に映える銀髪の女性と黒髪の男性の姿があった。
ライ・ド・ネルト・ファルタンとペルラ・ブライトである。
二人は翌月に結婚することが決まっていた。
婚約者同士ということになるが、元レオニスの愛妾だったペルラがライを誑かしただとか、人は色眼鏡で邪推する。
ライからの求婚だったが、なかなか信じて貰えずら煩いため、それまでは人目を忍んで会うことにしていた。
「早く改修が終わらないかしら」
ペルラの声音は月光の糸のように凛とした響きを持っていた。
結婚後はアセラにあるファルタンの屋敷に住むことになっているが、五年間空き家同然だった為、現在大規模改装中である。
「そうですね」
含みを持って、ライは相手の銀糸の髪に触れた。優しげに茶色い瞳がペルラを見入る。
「ライ……」
思わず、つられそうになるペルラだったが、背後に第三者の気配を感じ、意識を理性の領域に引き留める。
「ペルラ?」
振り向きざまにペルラの氷青のが映したのは、城の方から歩いてくる男の姿だった。
剣を腰にクラミュスを羽織った姿は旅支度以外の何ものでもない。
「アトラスさま……」
ライの声に、アトラスもばつの悪そうな顔で足を止める。
「邪魔して悪かったな」
アトラスはそう言って何気なく通り過ぎようとした。
「お待ちなさいな」
ペルラは小走りに追いかけ、引きとめた。
「何処へ行くのかしら?ちょっとその辺って格好じゃないですわね」
「その辺なんだよ」
アトラスは困った顔を浮かべた。
明らかに、嘘。
「そう?でも、そのお散歩へ行くことはレイナに言ってないわね」
行き先を言わねば通さないという姿勢。ペルラは今すぐにでもレイナを起こしに行きかねない勢いだった。
「俺には遭わなかった。そういうことにしといてよ」
「無理を言わないで下さい」
ゆっくりと追いつきつつ、ライが口を挟む。
「仮にもレイナ様は女王。そして我々は仕える臣下たる立場にあるんです」
そして、レイナを国主にと最終的に推したのはアトラスだと茶色い瞳が鋭く射る。
アトラスは肩をすくめた。
「モースには書き置きを残してきたよ」
だが、断言。
「レイナには逢わない。何も告げない」
そう言う手段をとるのは自身に確信もないからだとアトラスは語った。
「レイナを納得させるだけの材料もない。止められるのは必然だ。でも行かなきゃならない。もし、うまくことが運べばこのことは必ずレイナはおろか、この国自体の為になるはずだ」
アトラス自身にも形になっていないらしい話は、漠然としすぎて二人に理解できるわけもなかった。
だが、アトラスの口調には有無を言わせ得ない強さがあった。
行かせなければならないように思ってしまう緊迫感があった。
ペルラとライは顔を見合わせ、再びアトラスを見つめた。
アトラスは表情を変えてはいなかったが、僅かに微笑も含まれていたことに二人は気付いた。
その笑みはどこか寂しげで、このまま消え去ってしまいそうなか細さをも感じさせた。
「アトラスさま、必ず帰っておいでなさい」
ペルラの凛とした一声。
戸惑いを見せたのはライ・ド・ネルト。
ライは口を挟みかけるがペルラは鋭く制止した。
「アトラスさま、あなたがいなければ、今度魔物に憑かれるのはレイナかもしれなくてよ」
「あいつはそんな柔なタマじゃないさ」
半ば脅迫のような言葉にアトラスは笑って答えた。
「……結婚式に出られなくて悪いな」
「式は内輪で済ませますからお気遣いなく」
婚姻自体は両家長と王の許可があれば成立する。
ファタルの領主ファルタンと傍系とはいえブライトの婚姻となれば、大貴族同士。それなりに大規模なものになりそうなものだ。
国王の愛妾が、別の男性のところへ嫁いでいく例がないわけではない。しかし、国を危機に陥れた暴君でレオニスの愛妾となると意味合いが違ってくる。
「失礼した」
複雑な事情に、察しがいいアトラスは律儀に謝罪を口にする。
二人に背を向け、アトラスは更に樹海の奥に行こうとした。街を出ると言うなら方向が逆だ。
「アトラスさま、まさかあなた、竜に乗れるの?」
ペルラが問う。
黒髪や茶系の髪が多いこの国で、ペルラはアシエラの子孫であることを示すかの容姿を持つが、竜には乗ることはできない。
ファルタンも幾度となく王家の血を入れているが、ライも同様である。
観念したのか、アトラスは足を止めて行動で答えた。
一頭、竜が舞い降りてくる。
「どうして?」
「レイナが許可したんだろ?」
「そんな話、聞いたことありませんよ」
竜への騎乗はアシエラの血の契約である。
「俺に聞くなよ」
竜の背に登り座るまで、竜は大人しく動かない。
「……半年よ」
「了解。それ以上たったら死んだとでも言っといてよ」
「アトラスさまっ!」
竜は静かに舞い上がり去っていく。
□□□
「行かせて、良かったのだろうか?」
今ならまだ間に合う。そんなニュアンスを含めてライはペルラを見る。
だが、彼女は首を振った。
「たとえこの場にレイナがいても、アトラスさまは行ったわ」
「え?」
「ああは言ったけど、レイナでさえ説き伏せるだけの決意を持っていたわ。ただ、あの娘に泣きつかれるのが面倒だっただけよ」
そう言ってペルラは肩をすくめた。
「見事にその厄介な役目を押しつけてくれたわよ」
ライ・ド・ネルトは黙ってアトラスが言った方を見つめた。
「『アトラス』、か…」
根拠無いことをもこうもあっさり説得してしまうのは、やはり『アトラス』である故なのか。
本来なら敬称で呼ぶべき人物かもしれないと、初めに思ったのはモース。そして、ライだった。
「もし、彼が戻ってこなければ、我々は多大な損失を被ったことになるかもしれませんけどね」
ライはつぶやいたが、その大意はペルラには届いてはいなかった。
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