12新音「あらあら。素敵なお姉さまで助かりましたわ」

 青函せいかんトンネルに入ることも許されず、八戸駅にも降りられなかった一星。仕方なく、それらの中間に位置する新青森駅のホームに降り立っていた。


「さて、これからどうするか……」


 途方に暮れて赤い髪をかいた、その時だった。社員の光輝こうきからスマホに着信があった。


「どうした光輝! 会社で何かあったか!」


 おじさんの記憶が戻ったことを、一星はまだ知らなかった。双子の弟が何かしでかしたのではと危惧した。


『やりましたよ社長! グッドニュースです!』


 ところが、光輝の声は明るかった。喜びを隠し切れない様子で伝えた。


『銀行の融資通りましたよ!』

「ほ、本当か!」


 思わぬ吉報に、一星の声も高くなる。


「すごいじゃないか光輝! よく頑張ったな!」


 大手柄をたたえたが、どうも光輝の返事がおかしかった。


『何言ってるんですか社長。書類作ったのは社長じゃないですか』

「え? 俺が?」


 まったく心当たりがなかった。光輝が説明する。


『俺が持ってったノーパソ、全部データ入ってましたよ』

「ノーパソ?」

『ハンコついた書類も、全部社長がチェックしたんじゃないですか』

「そ、そうだっけか?」


 どちらも身に覚えがない。まるで記憶喪失になった気分だった。


『いやー、物凄い速さでしたよ。いいもの見せてもらいました』

「はあ」

『さすが俺たちの社長です。これからも一生ついていきます!』

「ど、どうも」

『じゃ、失礼します』


 ピッ。


 狐につままれたような気分のまま通話を終えた。スマホの画面をぼんやりと眺める。


「も、もしかして、二郎がやったのか……?」


 天文学的な確率ではあったが、おじさんの気まぐれ入力は正確な値を弾き出していたのだった。


 ハンコを押した書類については、ひとえに部下たちの勤勉さが反映された結果だった。すべてノーチェックだったが特に問題はなかったのだ。ちなみに、拇印が必要な書類はなかった。


「いったい何をやったんだあいつは……」


 そう口にした時、またも着信があった。今度は別の人物からだった。


「ん? サキさんか」


 大学の先輩で、現在は得意先の社長。弟のことはいったん置いて、元気な声で電話に出た。


「もしもしサキさん! お久し振りですね!」


 その言葉を受けて、先は怪訝けげんそうな声音で言った。


『久し振りぃ~? 何言ってる一星、さっき話しただろ』

「え?」


 やはり心当たりがなかった。戸惑う一星に、サキは遠慮なく続ける。


『キャバクラ行く約束をしただろうが』

「きゃ、キャバクラ⁉ 俺がですか⁉」

『ほかに誰がいるんだ。頭大丈夫か?』


 小声でひとりつぶやく。


「こ、これも二郎が……? いや、しかし」


 弟の朴訥ぼくとつなイメージとは、あまりにもかけ離れていた。記憶のねじと一緒に理性のねじも飛んでいたことなど、一星は知るよしもない。


『あ? よく聞こえんぞ』

「な、何でもありません!」


 もしかしたら自分の記憶違いということもあり得たため、とりあえず会話の内容を確かめておく。


「あの、俺どんなこと言ってましたっけ?」

『なんだ忘れたのか? 私よりノリノリで楽しみにしてたくせに』

「ええ⁉ 俺がキャバクラをですか⁉」

『そうだよ。生JK見て興奮してたんだろ?』

「生JK⁉ JKって、女子高生のことでしょうか?」

『JKといったら女子高生に決まってるだろうが』


 あまりの衝撃に頭痛がしてくる。


『私の片想いにも泣いてくれたじゃないか』

「俺が泣いた⁉ そんなわけ」

『いやあ、変わったよお前は』


 後輩の変化にサキは感心する。


『あ、でもおさわりは禁止だからな?』

「おさわり?」

『フィンガーテクニックを見せたいとか言ってただろ?』

「フィンガーテクニック⁉ 何ですかそれ⁉」

『今更とぼけても無駄だぞ? 仕事人間と思っていたが、やることはやってたんだなお前』


 二の句が継げない一星に、サキは本題を切り出す。


『で、肝心の日取りを決めてなかったことに気づいてな。いつがいい?』

「日取りって、キャバクラのですか?」

『当たり前だろ? 男に二言はないよな?』

「二言どころか一言いちごんもないんですが……」

『あ? 何だって?』

「い、いえ!」


 まったく気乗りしなかったが、仕方なく都合のいい日時を伝えた。歯切れの悪い後輩に、サキは苦言を呈する。


『シャキッとせんかシャキッと。まったく、お前らしくもない』

「す、すみません……」

『まるで人が変わったようだぞ』

「本当にそうかもしれませんね……」

『? よく分からんが』


 意地の悪い態度で続けた。


『お前がそんなフラフラしているようなら、あの秘書……』

「!」


 縁の顔を浮かべる一星に、女好きのサキは挑発するような口振りで言った。


『――私が食べてしまうぞ?』


 舌舐めずりの音まで聞こえてくるようだった。サキのターゲットはキャバクラに出前に来る子だったが、それ以外の娘に手を出さないとは言っていない。美人に目がないサキなら、本気で魔の手を伸ばしかねなかった。


「……」


 しばしの沈黙の後、一星は声を大にして答えた。


「引き抜きは困りますね、サキさん。彼女はうちの大事な秘書です!」

『引き抜き、ねえ……』


 少し間を置いてから、サキは続けた。


『抜け駆けの間違いじゃないのか? やはり食えん男だな、お前は』


 先輩を相手取った状況でも、一星は強がるようにして声を張った。


「はっはっは! 人間は食べ物じゃないですよサキさん!」

『フッ……』


 小さく微笑んだ後で、サキも豪快に笑った。


『ハッハッハ! 私から一本取るか! 腕を上げたな一星!』

「はっはっは! なんたって俺は、サキさんの後輩ですからね!」

『まったく、お間が一番人を食ってるよ』


 縁の件は、結局この場ではうやむやになるようだった。


『……まあいい、今はそういうことにしといてやろう』


 最後に念を押して締めくくった。


『キャバクラの件はそういうことだからな? 直前になって怖気おじけづくなよ?』


 釘を刺されて苦笑いを浮かべる一星。賑やかな場所は基本好きだったが、キャバクラに誘われたところで特に興味は湧かなかった。


「え、ええもちろん。この俺が怖気づくなど!」

『ハッハ! それでこそお前だ。じゃあな!』


 ピッ。


 相手が切ったのを確認して、一星は珍しくため息をついた。周囲に知り合いがいないのをいいことに、消え入りそうな小声でぽつりと呟く。


「……なんだかドッと疲れたな」


 彼の超人ぶりを知る人物が聞けば、誰もが耳を疑うような発言だった。が、今は異郷の地に一人。顎に手をやって静かに考える。


「……キャバクラの件も、二郎が取りつけたのか……?」


 一星自身に覚えがない以上、そうとしか考えられなかった。


「だとすれば、意外だなあ……」


 おじさんの頭が記憶以外でも飛んでいたとも知らずに、双子の兄は思い違いをした。


「二郎のやつ、けっこう女好きだったんだな!」


 生まれた時から一緒だった弟の新たな一面を、今になって発見したと思う一星なのであった。

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