5おじ「シノめ。どうしてまともに書かせないんだ?」

『あの人……。百衣露錯乱暴ももいろさくらんぼの総長ですよ』


 神妙な面持ちで耳打ちするシノ。いつになく真剣な声音だったが、一方のおじさんはぽかんとしていた。


『……何だその、ももいろサクランボZって』

『Zなんて言ってませんが』

『いま会えるアイドルか?』

『アイドルどころか、ガチヤンキーですよ』

『週末ヒロインじゃないのか』

『終末ヒロイン……。言い得て妙ですね』

『その終末じゃない』

『口頭なのによく分かりましたね』


 土手の脇の地面に、シノは棒きれで字を書いた。


桃金ももきん学院の百衣露錯乱暴ですよ。漢字で書くとこうです』

『こんな漢字だらけの名前、よくそらで書けるな』

『それだけ有名なんですよ。女子だけで構成されたチームなのに、男子にも引けを取らない極悪集団です』

『極悪集団~? 何かの間違いじゃないのか?』

『間違えようがありません。いいですか、百衣露錯乱暴の総長は』


 李花りかの耳に入らないよう、いっそう声を潜めた。


『番長から剥ぎ取った学ラン。怒りによって目覚めた戦闘民族の金髪。そして、いつも釘バットを振り回しているんです』


 漫画の設定のような説明に、おじさんは恐怖するよりむしろ呆れた。心配そうな目でシノを見つめる。


『シノお前、頭大丈夫か? 中学2年生の妄想じゃないんだから』

『私が言ってるんじゃなくて、そう噂されてるんですよ! どれも当てはまってるじゃないですか。本物の不良ですよ』


 おじさんは後方に控えているリカをチラと見た。出で立ちを確認する。


『……まあ、確かに学ランで金髪だけど。でも、釘バットではないぞ?』

『あ、本当ですね』


 彼女が肩に担いでいるのは、普通の金属バットだった。


『それに、あのバットは妹のねいちゃんのだ。少年野球で使うバットだよ』

『え、そうなんですか?』


 土手のそばに広がるグラウンドを顎で示す。


『そこのグラウンドでこれから練習らしい。今は寧ちゃんがサングラスで遊んでるから、リカが持ってやってるけどな』


 シノの説明の中に、おじさんにはもう一つ引っかかる点があった。


『どこの学校って言ったか? その百衣露錯乱暴がいるのは』

『桃金学院ですけど。それが何か?』


 心の中でつぶやいた。


一星いっせいの母校だ……)


 エリートの兄も通っていた中高一貫校で、不良グループが幅を利かせているというのが、どうにも腑に落ちなかった。


『あそこって、このあたりじゃ一番頭のいい学校だろ。そこにヤンキーがいるのって、なんかおかしくないか?』

『た、確かに……。違和感ありますね』

『それに、あの格好は威嚇だってリカは言ってた。妹を変なやつから守るための、いわば警戒色らしい』

『単なるハリボテに過ぎないってことですか?』

『たぶんな』

『うーん、どういうことでしょうね。得体が知れなくなってきました』


 難しい顔で考え込むシノ。


『男よりも強い無慈悲な女王か、成績優秀で妹想いなお姉さんか……』

『無慈悲だとは思えんがな』

『そうなんですよね。あんなにきれいな人が、ケンカに明け暮れているとも考えにくいですし』

『そういえば、手をつないだ時もきれいな手だったな』

『な、何ですか手をつないだって⁉ 聞いてませんよ⁉』

『立ち上がる時に引っ張ってもらっただけだよ』

『ああ、そういう』


 殴り合いなどすれば当然、顔も手もれあがるはずである。


『でも、無傷のまま蹴りだけで勝つのかもしれませんよ?』

『うーん……』


 実際に蹴られて吹っ飛んだおじさんには否定できなかった。

 

『……もう本人に直接いちゃうか? ここで議論しててもらちが明かない』

『そうですね。馬鹿なフリして訊いてみましょうか。おじさんが』

『俺かよ』

『当たり前でしょう? もし本物のヤンキーを怒らせて、か弱い乙女に何かあったらどうするんですか』

『ずいぶんしたたかな計算だな、か弱い乙女。まあいいけど』


 長いことコソコソしていた二人に、リカが声をかけた。


「おーい。今度は何の作戦会議だー?」


 意志を確かめ合うようにシノと頷き合うと、おじさんは平静を装ってリカに近づいた。声のボリュームも元に戻す。


「ああ悪い。やっとこさシノの誤解を解いたところだ。まったく、聞きわけがなくて参ったよ」

「そーか」


 リカはあれこれ詮索しなかった。サッパリした性格の持ち主のようだ。


「本当におかしなことばっかり言うやつでさあ。お前が不良の元締めだとか言い出すんだよな。何だっけ、えーっと……」


 シノが成り行きを案じているのを、背中で感じ取る。噂のチーム名をリカにぶつけた。


「そうだ、百衣露錯乱暴ももいろさくらんぼとか言ってたな」


(さあ、どう出る――⁉)


 寧とリカのやり取りを見て、おじさんは十中八九シノの思い過ごしだと予想していた。


 が、万が一ということもある。出足が鈍らないよう、肯定する可能性もあえて捨てなかった。


「あー……」


 当のリカは曖昧な返事で答えた。面倒そうに金髪をかく。


「……その話か。つまんねー噂ほど広まるもんだな」


(『噂』……)


「だ、だよな。ただの噂だよな、根も葉もない」


 感触は悪くなかったが、まだデマだと決まったわけではない。額に汗を浮かべて言葉を待った。


「アイツらにはオレも手を焼いてんだよ」


 バットを持ちながら器用に腕組みするリカ。渋面をつくって嘆息を漏らした。


(『あいつ』。組織が成り立ってるのは確定か?)


 雲行きが怪しくなってきたが、露骨に疑っていることを悟られれば警戒されるかもしれない。あくまで自然体を装って相槌を打った。


「ほう。そりゃ難儀だな」


 同情を示すおじさんに、いくらか気を許して続ける。


「口じゃオレを慕ってるようなこと言ってるけどな」


(慕われる立場……。ってことは、総長なのも本当なのか?)


 グループを束ねる立場に就いているらしい。噂が真実味を帯び始め、次第に不安が募ってくる。


 構成員の不始末を思い返して、リカはやるせない口調で言った。


「結局、いつも好き放題暴れやがる。片づけるこっちの身にもなれってんだよなー」


 展開された不穏な文脈に、おじさんは内心で激しく動揺していた。


(あ、暴れてるのか⁉ それに『片づける』って……。いったいどういう意味だ⁉)


 並みいる不良たちをなぎ倒しているとでもいうのだろうか――。更なる情報を引き出そうと、声の震えを必死に言い聞かせて尋ねた。


「ふ、ふうん。か、片づけるっていうのは、あれか。掃除みたいなものか?」

「こー見えても、オレはきれい好きなんでな。一掃しねーと気が済まねーんだ」


(何を⁉ 何を一掃するんだ⁉)


 確かめる必要はあったのかもしれないが、それによってどんな地獄絵図が紐解かれるか分からない。すっかり怖くなったおじさんは、いったん切り口を変えることにした。


「そ、そういや、その学ランだけどさ。番長から剥ぎ取ったって本当か?」

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