1LDK
あ
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「狩谷様、本日はよろしくお願いいたします。」
紺色のスーツに頭を撫でつけた不動産屋がニコニコと挨拶をする。
三月。春から夢の一人暮らしを始める狩谷は、部屋の内見を予約していた。
場所は首都圏郊外某所、閑静な住宅街だった。
「狩谷様はどちらの大学なのですか。」
「A大です。」
「A大学!いやあ、ご入学おめでとうございます。今回ご紹介するお部屋から徒歩十五分のところにT駅がありまして、A大学前駅まで乗り換え無しでいけます。近くにはコンビニやコインランドリーもありますから、周辺施設は充実しています。A大学の先輩でも借りられる方は多いんですよ。」
これだけ良い立地で賃料は月々四万円台。破格の安さだ。
あまりにも安い物件だと、窓から墓場が見えたり、工場や電車の騒音がうるさかったりするものだが、物件へと向かう道中は普通の住宅街。行き交う人の身なりもキチンとしているし、道路にごみのポイ捨ても無い。
となると、物件の方に理由がある。
「不動産屋さん」
「はい、なんでございましょう。」
「今日の部屋は、ホームページで間取りも拝見しましたが、1LDKというにはキッチンが狭いような。ああいや、僕は一人暮らしなので図面の通りの部屋で十分なんですが……」
1LDKは1つの部屋と、広いリビングダイニングキッチンからなる間取りだ。リビングダイニングキッチンは8畳以上の部屋を指すが、今回のそれは8畳には少し足りない。
「ああ!あれは『リビングダイニングキッチン』ではなく『リビング』と『デスキッチン』なんですよ。」
「デスキッチン!?」
「実際にご覧になったほうがわかりやすいかと存じます」
その建物はごく普通のマンションに見えた。
築十六年だというが、外壁は白く、目立った汚れも無い。
駐車場・駐輪場はもちろん、オートロックに宅配ボックスまで用意されている。
内見の部屋は四階で、玄関入ってすぐ脇がトイレと浴室。その先に広めのダイニングキッチンがあり、最奥の扉の先がリビングルームとなる。
先導する不動産屋の後に続き廊下を進むと、デスキッチンの全貌が見えた。
広さは普通のダイニングキッチン程度。
肝心のデスキッチンにはシンク、作業台、コンロ、上下に収納と一通りのパーツが揃っていて、一見するとどこにでもあるシステムキッチンのようにみえる。
「実際に見ると、結構広いんですね」
狩谷が廊下から部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、デスキッチンからナイフが飛んでくる。
トスッと軽い音を立てて、狩谷の顔のすぐそばの壁に突き刺さる。
デスキッチンは侵入者を殺しにかかった。
不動産屋は慣れたもので、設備の説明を続けた。
「十分なスペースがありますから、テーブルを置いてこちらで食事をすることもできます。寝室と分けることで、匂いがこもりにくくて快適ですよ!」
対するデスキッチンはガラッと下の収納棚を開けると、次々と調理器具を飛ばしてきた。
不動産屋は両手剣を取り出すと、軽く振り回してそれらをはじき落とす。
「テーブルを置かないレイアウトにしますと、――このように!得物を振り回すのに十分な空間が生まれ、余裕のあるキッチンになります。」
料理にはそれほど大きな刃物は使わないのでは?
狩谷には疑問を投げかける余裕が無かった。
狩谷は何の装備品も用意していないのでひたすら避けるしかなかったからだ。
住宅の内見にあたって適切な服装を事前にインターネットで調べてはいたが、動きやすい服装としか出ていなかっため、ただの私服である。
狩谷の胴体に避けきれなかったカトラリーのいくつかがぶつかる。致命傷になりかねない刃物類は避けたが、スプーンやゴムベラでも高速でぶつかればそれなりのダメージになる。
「さっきから飛んできてるのはなんなんですか!?」
「弊社では家具家電に限らず一通りの雑貨を付けたお部屋もご用意しておりまして……」
狩谷は賃貸のサービスを聞いているわけではない。
いや、内見に来ているのだから備え付けの物品について解説されるのは当たり前なのだが、不動産屋の話は狩谷の頭には半分も入ってこなかった。
脳の30%で設備の詳細について確認するというタスクを追加し、残りの70%では床に叩き落とされたぴかぴかの包丁を見ながら、けっこう耐久力があるんだなあと考えていた。
調理器具の弾幕が止む頃には、狩谷は息も絶え絶えになった。
デスキッチンの初動を避けるのに動き回ったせいにしては、別種のだるさがある。
「あの、なんか息苦しくないですか?」
「そうなんです。デスキッチンでは都市ガスではなく毒ガスを採用しておりまして、部屋内の対象に対して、20秒ごとに最大体力の1%を減らすバッドステータスを付与いたします。」
最大体力から割合で減らしていく毒であればたしかにアピール対象かもしれない。
体力数十万のボスに対し固定で500ダメージしか入らない毒に比べればかなり強いと言えるだろう。
一般住宅のキッチンに必要な機能なのかはともかく。
「しかもこちらのキッチンでは二口コンロを採用しておりまして。
単身者用のマンションだと一口しかコンロが無い場合もあるのですが――狩谷様は料理とかなされますか?」
「いや、自炊はあんまり……」
あと戦闘もあんまり……と、心の中で狩谷は思う。
「そうですか。それでも二口あった方が色々と便利ですよ!一口しかないとヤカンでお湯を沸かしている間何もできなくなりますので、私共の方では料理はされない、という方であっても二口のコンロを勧めております。初めて一人暮らしをされる方ですと、金銭的に自炊を始めたりと、途中でライフスタイルを変える方も珍しくないですから」
不動産屋は勢いよく捲し立てた。
自炊は一人暮らしには重要なトピックだ。一汁三菜の立派な献立を作る気は無くても、朝など、ヤカンでお湯を沸かしながらフライパンでソーセージを転がす程度のことはする可能性がある。
確かにコンロは二口あったほうが良いのかもしれない。
「二口コンロの場合は他にも利点がございまして」
「はい」
「スリップダメージも二種類まで重複するようになるんです。」
「通りで。先ほどから体力の減りが早いと思ってました。」
体力バーが緑から黄色になってきたような感覚だ。
対する不動産屋は平然としている。
首元でキッチリと締められたネクタイを苦しそうに思う素振りも無い。毒耐性は不動産屋の必須スキルだったのかもしれない。
そもそものところ、狩谷は尋ねた。
「なぜ都市ガスではなく毒ガスを?」
「都市ガスはお値段が安いというメリットもあるのですが、火力があまり出ないんですよ。毒ガスであれば……」
不動産屋の背後でコンロがにゅるりと持ち上がると、口をこちらに向けて炎を噴き出した。不動産屋は、構えた剣で火炎放射を受け流す。狩谷は避けきれず左腕を焦がした。
「十分な火力が出るんです。本格的な中華も可能ですよ!」
ウェルダンを通り越して消し炭になりそうな強さだった。
この炎の余波で焦げ付いた袖を見ながら、狩谷は内見時の服装について反省した。
動きやすい服装というのは、回避率の高い服装という意味だったのかもしれない、と。
「シンクにつきましても、他より良いものを使っておりまして。」
不動産屋はデスキッチンのそばへと狩谷を手招く。
狩谷たちのターンになったのか、デスキッチンは様子を伺っているようだった。
恐る恐る狩谷が近づくと、シンクの説明を始める。
「こちらクォーツシンクと言いまして、水晶を使用したシンクになります。高級感あふれる見た目ですが、汚れにもしっかり強いんですよ」
シンクというとステンレス製の銀ピカがイメージされるが、これは黒光りするシンクだった。高級ホテルの水回りにあっても違和感はない。
「しかも熱や衝撃にもとても強いので、生ミ=ゴの処理も楽チンですよ!」
「生ゴミの処理は大事ですね。」
狩谷はもはや、不動産屋の発言への追及を諦めた。
とりあえず、これ以上の説明が来る前に、話題を変えようとあたりを探す。
「不動産屋さん、この電子レンジと冷蔵庫も備え付けの?」
「そうです!最近新しいものと入れ替えたところですよ」
電子レンジと冷蔵庫はピカピカでほこりの一つも付いていない。
サイズはやや小ぶりだったが、一人暮らしであれば十分である。
狩谷は意味もなく冷蔵庫を開ける。
上の扉は冷凍庫。
下の扉を開けると缶詰が入っていた。サイズ確認用のサンプルなのか無愛想な銀色の筒だったが、それでも備品があると生活の想像はしやすい。
次いで電子レンジの扉を開けた瞬間――狩谷は感電した。
デスキッチンにかかれば、一般的なマンションに引かれた電気から十万ボルトを放つことも可能らしい。
人間は感電すると身動きがとれなくなる。狩谷は声をあげることもできないまま、その場に倒れた。
しびれた脳で、狩谷は状況を確認する。
あ、冷蔵庫の扉が開けっぱなしだ。電気代がもったいない。
顧客が瀕死になっているにもかかわらず、不動産屋は相変わらずニコニコと説明を続ける。
「最後の部屋に参りましょう。」
焦げた狩谷を連れて、不動産屋は奥へと進む。
奥の部屋は普通の居室だ。デスキッチンは部屋の外まで攻撃してこないらしく、不動産屋を見送るだけで大人しくしている。
部屋の中に入ると間もなく、狩谷の傷が治った。
体中に回っていた毒も消えたのか、思考もハッキリとする。
完全に復活した狩谷は、不動産屋に尋ねた。
「この物件、何なんですか!」
「はい、こちらは1LDK。
1つのリビング――つまり1回分の蘇生と、デスキッチンが備え付けられたお部屋でございます!」
1LDK あ @a____a
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