第69話 レドモント子爵

 レドモント子爵は自分の執務机から立ち上がると、館の入口が見える窓に近寄った。


 その窓からは、ラッカム伯爵家の紋章を付けた馬車が見えていた。


 そしてシルクハットを被り黒服を着た男が馬車の扉を開けると、優雅な仕草でブレスコット辺境伯の令嬢が馬車に乗り込んでいった。


 子爵は手に持ったグラスを傾けると、その中に入っているワインを一口含んだ。


 そしてワインの味を楽しみながら、令嬢との会談に思考を巡らせていた。


 学園の卒業パーティーには本当は出席するつもりだったのだが、領内の鉱山で落盤事故が起こり、その対応をしていてそれどころではなかったのだ。


 そしてマリアンから来た手紙を読み、婚約破棄と王城に人質に取られたことを知った。


 元々、マリアンの縁談話は、第二王子派のスィングラー公爵からの仲介で、ターラント子爵家から来ていたのだ。


 そこに第一王子派のベイン伯爵家から長男の嫁にと言われ、条件の良いベイン伯爵家を選んだ経緯があった。


 そこにいち早く婚約破棄を知ったターラント子爵から、再びマリアンが欲しいと言ってきたのだ。


 ターラント子爵は無類の女好きと言われ、女性を囲うために別館を幾つも建てたという噂まである男なのだ。


 こんな男の元に嫁いでいったら、マリアンが幸せになるのか心配もあった。


 だが、第一王子派への反感もあり、娘の身柄解放を条件にこの話を受けるつもりでいたのだ。


 そんな時にラッカム伯爵家からの使いの者が、手紙を持ってやって来たのだ。


 ラッカム伯爵の手紙には、ブレスコット辺境伯家から同じ目にあった4家で同盟を結ぼうという提案があった事と、アレンビー侯爵家とラッカム伯爵家がそれに同意するつもりでいる事、それから私にも賛同するように促す内容になっていた。


 ブレスコット辺境伯はアンシャンテ帝国軍から王国を守った英雄で、かなりの戦略家だと聞いていたが、彼の関心事はあくまでも軍事関係に偏っていて、国内の貴族同士の勢力争いには全く興味を持っていなかったはずである。


 そんな事から、この話はどこか嘘くさいと思っていたのだ。


 そこに突然、クレメンタイン嬢の先触れがやって来たのだ。


 ブレスコット辺境伯の一人娘であるクレメンタイン嬢の事は、噂でしか聞いた事が無かったが、その内容はあまり好感を持てるものでは無かった。


 しかしラッカム伯爵の手紙には、その噂はブレスコット辺境伯が意図的に流しているもので、実物はかなり聡明な娘だと書かれてあった。


 その令嬢が、突然私を訪ねてきたのには驚いた。


 ラッカム伯爵の手紙にも、ブレスコット辺境伯の令嬢がこちらに来るとは書いてなかったからだ。


 彼女の突然の訪問をラッカム伯爵の手紙から推察すると、私が手紙だけでは本気にしないと思ったブレスコット辺境伯が、わざわざ娘を寄こしたという事になる。


 クレメンタイン嬢を実際に目にすると、高位貴族にありがちなほんわかとした深窓の令嬢といった感じはなく、世間の荒波にさらされた意志の強さを感じたのだ。


 成程ラッカム伯爵もそれを見抜いたからこそ、手紙で知らせてきたのだろう。


 そして同盟を誘ってきた時、あの娘は条件は何もないと断言した。


 我々に派閥に入るように言ってきた第一王子派や第二王子派は、マリアンを差し出すように言ってきたのにだ。


 俄かには信じられなかったが、そこでブレスコット辺境伯が娘に激甘で、世間が何と言おうと娘の我儘には全肯定する男だったことを思い出したのだ。


 つまりクレメンタイン嬢がそう言ったのなら、辺境伯本人が言ったも同然という事なる。


 そしてこの娘が仲よくしようと言ったのなら、ブレスコット辺境伯は本気で自分達と同盟を結ぶつもりでいるという意味になるのだ。


 マリアンが第一王子派に捕まっている事は知っているはずなので、その上であの大丈夫という言葉は、マリアンの身の安全を保障するという意味なのだとしたら。


 我がレドモント子爵家が鉱物に関する知識や技術では右に出る者がいないのと同じように、ブレスコット辺境伯家はその武力と作戦遂行能力は国内随一なのだ。


 その家が保障してくれるというのであれば、いざとなればキングス・バレイに踏み込んでマリアンを救出するような荒事もやってのけるという意味なのではないか?


 実際ブレスコット家が動いたら、あっけなく成功しそうな気がしてくるから不思議だ。


 いくら第二王子派が面倒を見てくれると言っても、それはあくまでも圧力をかける程度であり、それだけでマリアンが戻ってくる保障はどこにも無いのだ。


 だからクレメンタイン嬢から、マリアンが悲しむような事はするなと言われた時はどきりとしたのだ。


 あれは女好きのターラント子爵の事を引き合いに出して、第二王子派には行くなと釘を刺したのだろう。


 確かに彼女に会うまで、私は第二王子派に合流しようと考えていたのだ。


 それに長い事行方不明になっていたバイロンが、スクリヴン伯爵領で悪魔に憑依された状態で見つかったそうだが、それもあのクレメンタイン嬢が助けてくれたのだろう。


 おかしな魔術に傾倒していたと思ったら、突然行方不明となり既に5年が過ぎていた。


 どこでどうしているのかと思ったら、他の貴族をたぶらかしておかしな魔術の研究をしていたなんて、我が家の恥だ。


 これが公表されたら大きなダメージを受けるだろう。


 スクリヴン伯爵からはまだ何も言ってきていないが、先に教えてもらった事はとても助かったのは事実だ。


 これ程の恩を受けておきながら提案を断われば、我が家は貴族の間から恩知らずの恥ずべき家だと言われるだろう。


 我が家には、この提案を飲む以外の選択肢は無かった。


 やれやれ、これではブレスコット辺境伯が溺愛するのは当然か。


 そしてグラスのワインをもう一口含むと、一緒に居たサディアス・ブリューの事に思考を移した。


 あの男は、恐らくはラッカム伯爵から送られてきたのだろう。


 その目的はクレメンタイン嬢の篭絡か。


 だが、辺境伯が娘を簡単に嫁に出すとは思えないので、きっと婿候補といったところだろう。


 それなら我がレドモント子爵家が同じ事をしても、文句は無いはずだ。


 バイロンはクレメンタイン嬢に助けてもらった恩があるのだから、私の命令に素直に従うだろう。


 それにスクリヴン伯爵家から、莫大な賠償金を請求されるのだ。


 その原因を作ったバイロンには、その損失に見合った働きをさせるのは当然だな。


 最近は事故や娘の事で気が滅入る事ばかりだったので、久々の明るい話題に子爵の顔も緩んできていた。


「ふふふ、ちょっと面白くなってきましたね」


 そう言うとレドモント子爵は、手に持ったワインを飲み干した。


 そんな上機嫌な子爵の元に執事がやって来ると、スクリヴン伯爵家から使者が来たと知らせてきた。


 来たか。


 何も知らされていなかったら、最悪追い返していた所だ。


 さて、スクリヴン伯爵がどのくらいの金額を要求してきたか教えてもらおうか。

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