第56話 会食という名の駆け引き1
私が連れて来られた場所は医務室で、そこには白服を着た医務官と白いローブを着た治癒魔法師がいた。
問診による健康診断を終えると、直ぐに治癒魔法師が治癒魔法をかけてくれた。
治癒魔法師は手に持った宝玉が付いた杖を両手で持ち、何かを念じながらその先端をこちらに向けると宝玉が淡い光を放ちだした。
その光がすっと宝玉から離れ、私の方に飛んで来るとそのまま私の全身に纏わりついた。
するとどうでしょう。
今まで体中にあった痛みがすうっと引いていき、痣だらけだった肌も元の綺麗な状態に戻っていったのだ。
私が不思議そうに痣だらけだった手が元に戻って行くのを見ていると、他の個所も治ったのかと服を捲ろうとして、目の前の治癒術師と目があった。
いけない。
男性の前で何とはしたない事でしょう。
ここは笑って誤魔化しておきましょう。
「オホホホ、凄いですわ。体から痛みが消えて行きました。それに痣も」
すると目の前の治癒術師は仕事ぶりを褒められて、まんざらでもないとう顔をしていた。
「どこか、他に痛む所とかありませんか?」
彼がそう聞いてきたが、既にすっかり元通りになっていたので首を横に振った。
「いいえ、何処も痛くありません。本当にありがとうございました」
次に案内されたのはお風呂だった。
私は久しぶりの入浴を楽しんでいた。
やはり日本人としては湯船に浸かるというのは気持ちがいいもので、固まった筋肉も解れてくるようだった。
ただ、もう少し湯の温度が高いと私にとっての適温なのだが、と思ってしまった。
伯爵の浴槽は黒曜石で出来ているのか黒く磨き抜かれた石で作られており、浴槽も20人は入れるくらいの大きさがあった。
そしてお湯は、浴槽の端に設置してあるライオンの口から勢いよく吐き出されていた。
私はそのゲームの世界でも御馴染みのライオンの口をぼんやりと見ながら、エミーリアはどうしているのだろうと考えていた。
エミーリアとは一緒にお風呂に入ろうとしたのだが、伯爵家の使用人に貴族令嬢とメイドでは同じ浴槽を使う事は出来ないと頑なに拒否されてしまい、仕方なく別々に入っているのだ。
そして私はメイド達に服を脱がされ、風呂に入ると文字通り体中隅々まで綺麗に洗われたのだ。
メイド達は今も後ろに控えて私の一挙手一投足に注視しており、何かあればすぐに手を貸せるように控えていた。
風呂から上がり、次に向かった先は着替えのための部屋だった。
普段は客間として使われているだろう部屋の中には、ベッドとテーブルが置かれ、大きなクローゼットの隣には等身大の姿見が設置されていた。
私が姿見の前で自分の全身をチェックしていると、伯爵家のメイドがクローゼットを開けて中にズラリと並んでいるドレスを選び始めた。
そしてここに並んでいるドレスは、どれもサイズがほぼ合っていることに内心驚いていた。
思わずメイドの顔を見ると、そこにはどうです凄いでしょうとでも言いたげな顔があった。
もしかして風呂に入る時にでも目測で計ったのと聞きたかったが、それを声に出して言う事はせず、私もさも当然ですねと言った風を装うことにした。
そしてメイド達に髪の毛を結い上げて貰い、首元に装飾品を付けて準備を整えると、ラッカム伯爵達が待つ食堂に向かう事にした。
ラッカム伯爵が客を持て成すために使う食堂は、取引相手に圧倒的な財力を見せつけて交渉を有利に進めるための戦略の場でもあった。
そういう目的で作られた食堂は、如何にも金を掛けていますといった空間になっていた。
床一面に敷かれている絨毯は、毛足が長く歩く度に足が沈み込み足音を全て吸収していた。
部屋を支える大理石の柱は見事な彫刻が施され、壁には絵画が並び、部屋の隅には黄金のマーメイドとビーナスが鎮座していた。
そして部屋は会食用のスペースと歓談用のスペースに別れており、食事をした後ですぐに歓談出来るようになっていた。
私が入室すると椅子から立ち上がったラッカム伯爵が満面の笑みを浮かべ、両手を広げてこちらに近づいてきた。
「おおクレメンタイン嬢、見違えましたな。流石はブレスコット辺境伯殿の自慢のご令嬢だ」
何となくハグでもされそうな勢いだったが、流石にそれは無いようでそのまま席に案内された。
ラッカム伯爵は黒色の正装用の服装を着こみ胸には貴族章が付いているので、今の姿は何処をどう見ても貴族に見えた。
重厚なテーブルの招待者側には、伯爵とその隣に豪華なドレスに身を包んだ婦人、それとご子息ご令嬢と思われる男の子と女の子が居たが、婚約を破棄されたイブリン嬢の姿は無かった。
そして賓客側の席には私の他にもう一人男性客が座っていて、私が席に着くとにこやかに微笑みかけてきた。
私が席に座ると、ホスト役の伯爵が改めて私への謝罪と会食へ参加してくれたことへの謝意を伝えてきた。
そして食卓に集まった人達の紹介をしてくれた。
同席しているのは、予想通りラッカム伯爵夫妻にイブリン嬢の弟と妹だった。
そして、私の隣に座る男性客は、アレンビー侯爵家のお抱えの穀物商人サイラス様とのことだった。
そして傷を治してもらい、お風呂に入ってさっぱりした私は頭が冴えていた。
この会食は私に対するお詫びのはずである。
その席に、関係のない商人が居るのは何故だろうと考えたのだ。
その時、私は無意識にサイラスの顔を見ていたのに気が付いていなかった。
そして伯爵が言っていたアレンビー侯爵家のお抱えという言葉で、卒業パーティーで婚約破棄されたクリスタル・エリカ・アレンビー侯爵令嬢の事を思い出していて、それが口を突いて出してしまっていた。
「クリスタル様・・・お気の毒に」
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