涙の海を旅する少年

遠藤草一

涙の海を旅する少年

 少年が泣いている。誰もいない夕方の海岸。

 浜辺に打ち寄せる波の音に混じって鳴き声が僕の耳に入ってきた。

 辺りを見渡すも、

 周囲に保護者らしき人はいない。仕方なく僕は少年に声を掛けることにした。

 しかし、声を掛けようにも肝心の第一声が出てこない。

 この様な場合は何と声をかけるべきなのか、僕は悩んだ。

「大丈夫?」、「どうして泣いているの?」いや、どれも違う気がする。

 僕は頭を抱えてしまった。そんな僕を尻目に少年はズボンのポケットから試験管を取り出し、それを目の下に持っていき、頬を流れる涙を試験管の中に入れ始めた。

 気づいたときにはもう言葉が出ていた。

「なぜ君はそんなことをしているの?」

「お兄さん、そんなことって?」

 少年は試験管を目に当てた状態で答えた。

「今、君が試験管を使ってしていることだよ!」

 強い口調で答えた。

 少年は怯えながら言った

「試験管って何?」

「君がいま手に持っている物のことだ!」

 僕は怒鳴った。

 少年の目から流れる涙の量は増えていた。そこで僕は我に返った。

 こんな子供に怒鳴るなんて、僕はどうかしている。なぜこんなにも僕はイライラしているんだ。

 少年は声を荒げて泣きながらも試験管に涙を入れ続ける作業をやめなかった。

 少年にとってそれほど意味のある行動なのだろうか。

 僕は少年が泣きやむのを待つことにした。



 勉強は出来て当たり前だと言われて育った。

「あなたは私たちの子なんだから」この言葉を何度聞いたことだろう。

 テストで良い点を取ったことを両親に伝えたとき、

 話の話題は僕のことではなく両親の過去の自慢話に移った。

 僕もそれが当たり前だと思っていた。だから、勉強も一生懸命頑張った。

 それなのに、僕は受験に失敗した。それを両親に伝えると両親はため息を吐き、落胆した目で僕を観てきた。

 僕はその場から逃げるように家を飛び出し、電車に乗ってこの海岸に来た。

 美しいはずの夕日に照らされた海は僕の心に何の作用も与えなかった。

 そんなときに僕は泣いている少年を見つけた。



 少年が泣き止んだ。僕は少年が涙を入れた試験管をズボンに戻したのを見て、

 直ぐに頭を下げて少年に謝罪をした。

「いきなり怒鳴ったりしてごめん」

「お兄さん、頭を上げて下さい。僕は怒っていませんので」

 少年の方が僕より大人だったようだ。僕は恥ずかしくなり赤面した。

「それにお兄さんの方が僕より泣きたい気持ちのようですしね」

「なぜ君はそう思ったのかな?」

 僕は不思議に思って尋ねた。

「理屈で説明するのは難しいです。ただ僕には分かるのです」

「なるほど」

 不思議な子だ。前までは怯えていたのに、今は臆することなく僕と会話している。

 僕は彼に自分の心が見透かされている気がしたので、話を変えることにした。

「ところで君は試験管を使って何をしていたのかな?」

「涙を集めていました」

「集めてどうするのかな?」

「海を作ります」

 少年が何を言っているのかよく分からない。

「ええと、つまり君は涙の海を作りたいということかな」

「はい」

 少年は大きな声で答えた。少年は本気のようだ。

 僕も昔は下らなくて突拍子もないことを考えてよく大人たちに呆れられていた。

 それでも僕は楽しかった。ところが、大きくなり大人たちに相手にされなくなるにつれて下らないことで楽しめなくなった。コストパフォーマンスが悪いからだ。

 少年にはそうなって欲しくない、そんなお節介な考えが芽生えた。

「涙の海にはどんな生き物がいるんだい」

 少年は相手にされたと思ったのか、目を輝かせた。

「うれし泣き魚、くやし泣き魚、ゴミ以下とか他には…」

「ちょっと待って、って聞こえたけどそれは生き物なのかい?」

「それはね、この前、僕のお兄ちゃんから言われた言葉でそれを聞いて僕は泣いちゃったんです。それで涙の海に新しく入ることになったんです」

「なるほど」

 正しくはなのか。生物に関しては聞かない方がいいな。

「君は涙の海でどんなことをしたい?」

「ええと、船を作って冒険したいです」

「とても楽しそうだね」

 僕は少年の目を見て答えた。

「はい!楽しみです」

「そうだ、涙の海を作り終えたらお兄さんも一緒に冒険に行きましょう」

 その言葉を言った少年の視線の先には夕日に照らされ赤々と輝く水面があった。

 視線を少年の目に移した。

「そうだね、一緒に涙の海を冒険しよう」

 言い終わった後突然5時になったことを知らせる時報チャイムが鳴り出した。それを聞いた少年は、

「もう帰らなくちゃ、バイバイ」と言い残して颯爽と海とは逆方向へ走って行った。

 一人海岸に取り残された僕は笑いながら海を見た。すると、海に一隻の船が見えた。その船には誰も乗っていない。

「あれが新しい船か」

 僕は前まで人々の涙で出来た海を一人で旅していた。そして、その旅受験に失敗した。でも一回目を失敗したとしても、また次の旅に行けばいい。

 それに今度は一人じゃないかもしれない。

 僕はそんなことを考えて光に染まっていく海をいつまでも見ていた。





















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涙の海を旅する少年 遠藤草一 @endomamekiti

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