アドルフ

原氷

第1話

 アドルフが何を考えたって、ぼくには関係ないのだ。ただ、混沌とした作品が地球上に残り、どんな偉大な作家も延命治療をこころみたところで、作品より先に早く死ぬなんて、こんな滑稽なことはないだろう?

 ところでアドルフがぼくにめがけて煙草の煙を吹きかけるのは、礼儀だとしても許されないことだ。ぼくはアドルフの肩をどついた。それから二人はにやにや笑っていた。ぼくたちは高尚な生き物じゃないと知っていた。それでも、物語はとめどなく続くし、ぼくは軽度のアルツハイマーだから、覚えていることしか覚えていないんだ。バターミルクのパンを頬張ったこと、公園で二人で話したこと、マリファナを日本で吸ったこと、落伍者という落伍者が、公園で酒におぼれていたこと。


 地球なんてものは滑稽な演技をしているぼくたちにとって、生きるのに都合のいいところだけど、アドルフが恋人とセックスをする前に、地球はあったんだ。ぼくは五分前仮説を信じていた。だから、今のぼくは、ぼくの記憶を本当に持っているか、心配なんだ。

 ニューエイジ系の教祖が何をいっているのか分からないが、ぼくは彼が偉大だと思っている。そこは断頭台だ。そこで、何かを話している。こんな都会で何を申し立てたって、強いものは弱いものを虐げるのが事実だ。そして、ぼくは弱者として生まれて、久しく、物書きとして生きていた。「失われた楽園」これは少し売れた。こそこそ書きながら、次は何を書こうか迷っていた。そのうち教祖が信者を連れて、都会から田舎、田舎から都会、へと移動していく。アドルフは「ああいうのをエクソダスというのだな」と、でも思ってみろ? 地球そのものが檻なんだから、何を言っているんだ、アドルフ。

「わたしはね、ああいう、偉ぶったのが嫌いなんだ。思わず糞を投げる気がするよ。それに、アドラー。君はわたしの何も知らない。だから、マクロな目線で何を語っても、誰にも理解されないよ。ところでゴロワーズはまだある?」


 こんな具合で、上野から、新宿に到着して、公園でぷらぷらして、煙草を放り投げて、感極まる思いで、酒をだらだら飲んだ。ぼくたちは高貴な敗北者だ。間違いない。マイクを掴んで、いきなり公園でポエットリーリーディングをして(ギンズバーグのように)声高らかに、陰気なものを吹き飛ばして、コロナビールをかっくらった。

「こんなとこー、ゲヘナ(地獄)みたいに、わたしたちはー、糞をくらい、肉を食べることもできずに腐敗していってー、蛆虫にたかられー、そしてー、神聖なる国を招くために肉体を浄化させているのですー」

 大衆はぼくを見つめた。ぼくはこの高揚感がたまらないのだ。

「しかしー、昨今の日本はー、神武天皇以来のわたしたちをー、皆殺しにする政策しかー、しないのですー」

 そのうち警察が来た。ぼくは逃げた。逃げて逃げて、にやにやがとまらなかった。


 こんな生活に終わりはない。ぼくは今度壇上で喋ることを考えていた。それは廃墟のなかだ。ここでは神聖であり、誰にも汚されない魂がある。それは秘密という魂だ。

 ぼくはいろいろ考えた。それからアドルフが「なんだかなあ、なんだかなあ」とうろうろしている。

 こういう活動をしていて、大衆は変に喜んでいた。いや、確実に喜んでいた。みんな最初は気味悪がった。それでも、やっているうちに、「変なやつが何か喋っている」という認識になった。それで、もっともっと狂ったものを喋り始めた。ぼくは単なるヒッピーじゃない。聖なるヒッピーだ。

 

 大したこともしていないくせに、人はたまに、「あいつろくでなし」とか莫迦にする。そんなやつは無視でいいんだ。

 ところで、ラジオを聞いていると、どうやら、ドイツと中国が同盟を組んで、日本に迫ってくるかもしれない。ぼくは物書きだ。どういう展開になるか紙に書いてみた。日本は聖なる国じゃない。だから滅ぶんだ。

 

 アドルフ。君はどう感じている? 

(永遠の憧れも、真実も、文章の中に閉じ込めた。それを開けるのはただあなただけ)



 ヒッピーの暮らしも悪くないさ。ただそれを受け入れるだけ。

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