こっくりさん(研究に基づく)
葉野ろん
セーラー服と狐耳
井上円了の研究によると、いわゆる「こっくりさん」の起源は1884年、下田沖で難破したアメリカ船の乗組員から伝えられた占いであるという。
それならば認めるべきであろう。僕の目の前にいるのはまさしく伝承における「こっくりさん」そのものであると。この、セーラー服で英語訛りの、狐耳の美少女が。
彼女に出会ったのは、今が初めてではない。小学校の頃に会ったことがある。会った、というか、呼んだ、というべきか。子供は怖いもの、不思議なものが好きなのだ。幽霊、妖怪、オカルト、都市伝説。テケテケ、人面犬、口裂け女、UFOやビッグフットまで。なかでもこっくりさんは抜群の興味の的だった。こっくりさんには決まりがある。そのひとつ、
①ひとりでこっくりさんをしてはいけない。
しかるに病弱で友達のいない僕は、隣にぬいぐるみを二人並べてこっくりさんを始めた。人形やぬいぐるみに人格を認めるかどうかは、オカルト界では意見が分かれるところだ。こっくりさんとしても判定に困ったらしい。発想の転換により、自分自身が参加することで「ひとりではない」ことを確実にしようとしたと思われる。
「ハロー・ボーイ、私にご用ですカ?ご用ですネ?」
つややかな毛並みの耳が揺れる。どぎまぎして思わず目を逸らしかけた。こっくりさんは女性や若者のもとに発生しやすい、そう井上円了も記録している。まぎれもない子供だった当時の僕がこっくりさんに出会うのは、必然のことだったといえる。ぬいぐるみたちを横に、彼女の鮮やかさは眩しいほどだった。狐狗狸、と字を振る通りの、狐の耳に高い鼻にタヌキを思わせる垂れ目。こっくりさんは、あまりに美しかった。
「特別に、こっくりさんが直々に来たんですヨ?ささ、質問をお願いしマース!」
あなたは、と言いかけた言葉は押し止められた。彼女の手が僕の口を塞いだのだ。
②こっくりさん自身について聞いてはいけない。
ルール違反ダヨ!囁かれた途端、思考が宙に浮いた。質問したいことといえば、彼女のことをおいてほかにない。いったい何で、誰で、どこから、何を、曖昧な疑問が何度も喉を衝きかける。彼女が僕の目を覗き込むものだから、いっそう頭がまとまらなくなった。
「なーんでも聞いてくだサーイ!ホラ!ホラ!」
10円玉の上で重なる指から熱が伝わる。狐の体温は人間より少し高い。指先から耳の先まで、自分の体が火照っていくのがわかった。やっとのことで質問を絞り出す。
——宇宙人は、本当にいますか?
彼女は口の端を少し上げ、ふっくらとしたしっぽを左右にゆったりと揺らした。徐に10円玉が動き出す。迷いのない動きだった。答えに近づくにつれ、興奮が抑えられなくなる。「はい」の文字の上で、ぴたっと止まった。彼女もゆっくりと頷いた。その時の僕は、どんなに嬉しかったろう。こっくりさんに出会って、直々に「宇宙人はいる」と教えてもらったのだ。
——じゃあ、ツチノコは?人面犬は?宇宙人は地球に来るの?
次々と繰り出した質問に、ひとつずつ10円玉が答えを示していった。はい。はい。はい。心拍はどんどん早くなっていった。この日の世界は、僕のためだけにあるかのようだった。
——宇宙人が来るまであと何年?
4、2、ね、ん。本当に?と言うと、10円玉より早く彼女が頷いた。イエース。42年。膝が震え出した。自分が大人になって生きているうちに、本当に宇宙人と会えるかもしれない。と同時に、不安も襲ってきた。病気のことだ。僕は体が弱くて、何度か入院だってしている。宇宙人が来る時まで、ちゃんと生きていられるだろうか。目を逸らしたい気持ちもありながら、どうしても聞かずにはいられなかった。
——僕の寿命はあと何年?
70年、80年でなくてもいい。50年もあれば間に合うんだ。そう思いつつも、彼女が眉を顰めるのを見逃すことができなかった。鼓動はますます早くなる。10円玉が動き出す。せめて45年、いや42年ちょうどでいい。来ることがわかっているなら、どうしたって一目でも見たい。10円玉は数字の並ぶ列に近づく。お願いします、4、4より上に来てください。祈るように指に力を込める。しかし、ああ、10円玉は左へ左へ進む。「6」の上を通り越し、「5」の上を通り越し、なんということか、「4」までも通り越してしまった。
足の先から冷えていくのを感じていた。こんな、こんなに苦しい予言があっただろうか。宇宙人もツチノコも世界のどこかにいるってわかったのに、その世界にいられる時間が足りないなんて。まだ止まらず、ついには3、2までも通り越す。こんなことなんて、知りたくなかった。知りたくない。悪い夢を振り払うように、思わず指を離してしまった。
③何があっても指を離してはいけない。
しまった、と思った時には遅かった。部屋の中なのに突然に風が吹き荒れ、こっくりさんの姿は朧気になっていく。ああ、僕が指を離したせいで、こっくりさんがここから消えてしまう。消えてしまうにはあまりに惜しい美しさだ、と改めて思えてしまう。最後にひとつだけ聞いておきたかった。
「また会えますか?」
返事はない。こっくりさんの姿はもう、部屋のどこにもない。ただ、風が止んだ部屋に落ちた紙の、「はい」の文字のそばに10円玉が落ちていた。それから何度こっくりさんをしてみても、彼女が現れることはなかった。
あれから長い時間がたった。僕は呪われたのかもしれない。指を離してしまったからだろうか、正しく儀式を終わらせなかったからだろうか。とにかく、取り憑かれたようにひたすら学んだ。心理学、民俗学、物理学から生物学まで。オカルトも端から端まで調べ尽くし、こっくりさんが顕現する条件を探った。
宇宙人にも会った。大船団の到来は、42年から2年ほど遅れた頃のことだった。こっくりさんの啓示は、未来については外れもする——そう井上円了も述べている。あるいは、2年くらい彼女には大した差ではないのかもしれない。こっくりさんの類型は、15世紀ヨーロッパですでに記録に残されている。500年以上を生きる存在なのだ。その大雑把さのおかげか、僕もまだ生きている。
人面犬も、ツチノコも見つけた。どころか、今まさにその人面犬に追われている。携帯にはひっきりなしにメリーさんからの着信があり、曲がり角では口裂け女が待ち構え、さらに後ろからはテケテケが迫っている。積年の研究の成果というべきか、因果といったほうがいいか。それらすべては、再びこっくりさんと出会うためだった。そしてついにいま僕は呼ぶ。文字通り人生をかけて組み上げた召喚理論の研究に基づいて、あらゆる困難の末に作り上げた五十音表に、10円玉を乗せ指を重ねる。こっくりさん、どうぞおいでください。呼びかけに応えるように、つむじ風が湧き上がる。
「しばらくぶりですネ、ボーイ」
顕現。彼女が指で鉄砲のかたちを取ると、背後から迫る怪異たちはたちまち弾き飛ばされた。多くの伝承を積み重ねた妖怪としての格があってはじめてなせる技だ。あるいは「織田信長がこっくりさんを行った」という明治期の風説、噂話に依るものかもしれない。
「これで二人きりだネ」
狐を思わせる黄金色の毛並みの耳。爽やかな色彩のセーラー服。高い鼻に、少し垂れた目。微笑む彼女は、一生涯待ち侘びた姿そのものだ。認めよう、目の前にいるのはまさしく「こっくりさん」そのものであると。そっと微笑みを返す。10円玉に指を重ねながら、耳元で彼女が囁いた。
「タッタ一人で、タッタ100年で、よく頑張ッタね」
ああ、この一言だけで、この年月が報われた気がする。いいや、まだ話したいこと、聞きたいことがたくさんある。だから今は、もう二度と指を離さないよう、枯れ木のような手に力を込める。
こっくりさん(研究に基づく) 葉野ろん @sumagenji
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