第6話「刺し傷が体の右側に集中してる」
問えば、シンディは遺体を見るよう促し。
「見て。刺し傷が体の右側に集中してる。左手で持ったナイフを、正面の相手に突き刺したんだ。おまけに、背中側の刺し傷は左側にある。このことから、犯人は左手でナイフを使ったことがわかる」
確かに、刺し傷は遺体の右側に集中して刻まれていた。
右手で持ったナイフを使ったのなら、それを相手に刺した際、傷は相手の体の左側にできるはずである。だが逆だった。それはすなわち、犯人が左利きであることを示唆している。
そう言われてみれば、そうかもしれない。レヴィンはうなづいた。
「専門的知識云々は、これは新聞とかでも言われてるよね。犯人が人体の急所を的確に刺してるから。肺に、心臓に、そして喉。素人の殺しだったら、こうは行かない。あぁ、あと……」
「あと?」
「犯人は、凄まじい自己顕示欲の持ち主で、おそらくは……なんでもない人物」
意外な言葉だった。ここは、てっきり、なにか特定の職業を言ったりするものなのかと、レヴィンは思っていた。
「なんでもない、というと?」
「文字通りだよ。著名でもなく、立派でもない。ただの有象無象の人物。馬鹿な新聞記者やその他の切り裂き魔ファンたちは、犯行の手口から、その正体を医者とか屠殺屋とか、それか軍人だと思ってるみたいだけど、きっと違う」
それは、切り裂き魔に対する、全く新しい視点だった。
確かに、彼女が言う通り、切り裂き魔に関する考察は、そのどれもが、件の殺人鬼を大犯罪者のように演出している。
やれ、その正体は著名な外科医なのだ、とか。
やれ、その正体は殺人衝動を持つ王族の関係者なのだ、とか。
突拍子もないものには、絵本作家が空想の果てに殺人を犯した、とか。そんな荒唐無稽なものまである。
センセーショナルな事件が起きると、誰もが、その裏には大きな秘密や陰謀が隠されていると思いたがる。グラストルの市民もそうだった。切り裂き魔事件が騒がれ始めたとき、多くの陰謀論が飛び交った。
この事件には、なにか、なにか壮大で、闇の深い、大きな秘密が隠されているに違いない……。街の誰もがそう思っていた、いや、今もなお、そう思っている。
だからこそ、シンディが言った、犯人はなんでもない人物だ、という推測は、とても新しい考え方だった。
そして奇しくも、レヴィンもまた、細かくは違えど、似たようなことを思っていた。
一体みんな、この切り裂き魔とかいう殺人鬼のなにを恐れているのだ。ただ、御大層な名前がついているだけの、人殺しだろう。彼は常々そう思っていた。
だからだろうか。シンディの言葉を聞いたとき、レヴィンは、妙な納得感を抱いていた。
「……確かにな。どいつもこいつも、切り裂き魔を『何者か』にしたがる。だが、実際はそうではない……実は、俺も似たようなことを考えていたんだ」
「へぇ、そう。私達、気が合うかもね。切り裂き魔事件にはノイズが多すぎる。誰もがそれを恐れるあまり、的外れな犯人像を描いてる。だから真犯人に辿り着くことができないんだ」
レヴィンの中で、シンディに対する認識が明確に変わった。
この少女は、単なる目立たがり屋のお節介さんではない。確かな意思を持ち、確かな知性のもと、真摯に取り組んでくれる。そういう人物である。
レヴィンは、この一連のやりとりを経て、また、意見の一致もあって、シンディを信じる気になった。
「シンディ。先に謝らせて欲しい。君のことを侮っていた」
「いいよ。みんな、そうだから」
「ふふっ。そうか……シンディ。君の知性を、俺は信用したくなってきた。だから君に問う。次になにをするべきだ?」
「決まってる。ローズ・ハントの周辺を探って、怪しい人物を探す」
「よし。なら決まりだ――ポレット!」
レヴィンは、ずっと近くで話を聞いていたポレットに呼びかけた。
「この現場はお前に任せたい。俺は、彼女と少し出かけてくる」
「さっきは突っぱねてたのに、距離縮まるの早すぎませんか?」
ポレットが口の片端を釣り上げて言った。その通りである。
「彼女と話して、信用しても良い気がしてきたんだ。ポレット、ここを任せてもいいか?」
「はいはい。良いですよ。その代わり、なにかしら情報を持ち帰ってくださいね」
「もちろんだ。聞いたな、シンディ。頼むぞ」
「わたし頼りかよ」
「遺憾ながらな……。ともかく、ミス・ハントの……そうだな、まずは家を訪ねてみよう」
「りょうかいっ」
とてもキレイな、上流階級丸出しの容認発音でそう言って、シンディはレヴィンと歩みをともにした。向かうは郊外、ハント邸である。
・ ・ ・
ローズ・ハントは、長者番付にも名を連ねるほど、金持ちだった。
彼女は、貴族に憧れがあったようで、ほかの貴族たちがそうするように、都市から遠く離れた、言い換えれば、その喧騒から解放された、静かな郊外の自然の中に邸宅を構えていた。
列車に乗って、車を走らせること数十分。
レヴィンとシンディは、ローズ・ハント邸へたどり着いた。
そこは、大変に美しい場所だった。
大きな湖の畔に佇む、大きすぎず小さくもない、ちょうどよい大きさの、青い屋根のお屋敷。丁寧に整えられた庭の花々が暖かで牧歌的な雰囲気を醸し出し、燦々と降り注ぐ陽の光が、その穏やかたるやに拍車をかける。
そこをそのまま切り取って観光パンフレットの表紙にしてみても良いほど、美しかった。
「付きましたよ。おふた方」
タクシーの運転手がぼそりと言う。珍しいことに、女性の運転手だった。
東洋風の切り揃えた黒髪をした、また、真っ赤なアイシャドウが印象的な、オリエンタル風味な少女だった。
「どうも。代金だ」
「ありがとうございます。領収書をお出ししますね。お名前は……ハリー・ハートさんでしたっけ?」
「誰のこと言ってるんだよ。俺はレヴィン・リンフォードだ」
「あぁ。これは失礼……ほら、見ての通り、私は東洋人ですから。西洋の方々の顔は、どうも見分けがね、ははっ……」
「ふん。そうかい。あぁ、領収書はいらないよ。ありがとう」
「そうですか。では、私はこれで……」
なんとも変わった運転手だった。
東洋人というだけでも目立つだろうに、あんなふうに振る舞っていては、きっと毎日退屈しないに違いない。
それはさておき。
タクシーを降りたレヴィンとシンディは、そのままローズ・ハント邸の玄関へ歩いて行った。
ざっ、ざっ、と、前庭を歩いていく。色とりどりの花々が、二人を出迎えてくれた。
「ミス・ハントは、この庭のお花たちを見ながら、インスピレーションを探していたそうだよ」
シャーロットが教えてくれる。へえ、そうなのか。
「ふーん……確かに、新しい音色を考えるには、最適の場所かもな」
「だよね。そういえば、私の家もこんな感じなの。庭があって、お花がたくさん咲いてる」
「フフ。だと思ったよ」
「なんで? そんな匂わせしてたっけ」
「君は、どこぞのご令嬢だろう? 俺は君ほど賢くはないが、それでもわかる。そんな宝石のイヤリングつけれるのは金持ちだけだ。それに……王立情報局から直々に捜索願が出されるなんて。相当な要人だろ」
「あぁ……」
言うと、シンディは少し気まずそうに目をそらした。
「王立情報局ね……いや、別に要人とかじゃないよ。ほんとに」
「そうかい。だが、そうとうの身分なのは間違いないだろ。そんな、上流階級丸出しの発音で話してるんだから」
「発音……そんなにあからさま?」
「あぁ。貴族と話してるみたいだ」
アルヴィニア連合王国では、そのまんまのアルヴィニア語を話す。
しかし、同じアルヴィニア語でも、話す人によって様々な訛がある。
生まれた場所、育った場所、触れてきた文化、そして接してきた人々……訛は多種多様な要因で、多種多様に変化する。
人の数だけ訛があると言っても過言ではないが、大別することはできる。
労働者階級の訛と、上流階級の訛である。シンディは、誰が聞いてもそうであるとわかるほどにあからさまに、上流階級の話し方をしていた。
「なぁ、もうバレてるんだし、一回、それっぽく話してみれくれよ」
「……もちろんですわ、ミスター・リンフォード。わたくしの美しい発音をご拝聴なさってくださいまし……ふん。満足した?」
「やっぱりな。すごく流暢だ」
「あっそ。ねぇ……あのさ」
声色を変えて、シンディは改めて話しはじめた。
「今日の仕事が終わったら、私のこと、正直に話すよ。それ聞いた上でさ。私のこと、どうするか決めて。なに言われても、従うから」
「……わかった。約束だぞ」
「うん――あっ、もうそろそろ玄関だよ。呼び鈴を押してみよう」
言って、シンディは玄関扉の脇にあった呼び鈴のボタンを押した。
じー、と音が鳴る。
「シンディ」
応答を待つ間、レヴィンがふと呼びかける。
「なに?」
「俺は別に、お前が誰でも気にしないぞ」
「えっ……あぁ……ありがとう……」
自分でもどうしてそんなことを言ったのかわからなかったが、なんとなく、そう言ってあげたほうが良いような気がした。
「わたし、実は……私は売春婦で、毎日何十人に抱かれてるんだ……」
「えっ?」
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