第5話「惨たらしく冒涜された、誰かの亡骸だった」
今回、事件の現場となったのは、街の中心部から少し離れたところ。
貴族をはじめとした金持ち連中が多く住まう、首都グラストル西部のエリアである。
王宮が所在することからロイヤルガーデンの通称でも知られるその一帯は、普段ならば、いつも静かで上品で、落ち着いた空気を漂わせている。
お金持ちたちが優雅に公園を練り歩き、クリケットに興じたり、訳知り顔で世界情勢やら経済状況について、それらしい言葉を交わし合う……そんな街が、今日に限っては物々しい空気に淀んでいた。
「……はいはい、どいて、どいて」
寄ってきた、仕立ての良い礼服姿の紳士淑女の野次馬たちをかき分けて、レヴィンは事件現場の中心へ歩いていく。
そこはロイヤルガーデンの公園、その中でも最も大きいリバーサイドパークのど真ん中だった。川のすぐ側に広がる、草花と木々の公園の、その中心。大きな噴水のあるところに、それはあった。
「おぉ。これまた酷いな」
それは、惨たらしく冒涜された、誰かの亡骸だった。
下半身が丸ごと切断され、その切断された下半身が逆さまにされ、開いた両足でVの字を描くように逆さまに置かれており、尻の穴のところには大きな剣が突き刺さっていた。
一方の上半身はというと、そんな様の下半身のすぐ下に、自分の頭を抱きかかえるような形で放置されていた。もちろん、頭は切断され、白目をむいていた。
切り裂き魔はいつもこうする。死体を使って芸術作品でも作っているつもりなのだろうか。あの恐ろしい殺人鬼は、いつも決まって、こうして、死体をバラバラにしたのち、その各部を使って、オブジェのようなものを作るのである。
「どう見ても切り裂き魔だな。発見のいきさつは?」
先に現場に来ていた巡査にレヴィンが問う。すると、彼は眉をひそめながら答えた。
「はい。第一発見者は現場作業員の男性です。ちょうど、この噴水を補修する工事を行っていたそうで、今日も仕事を始めようと、工事のために設置していた防音壁の中に入ってみたら、その中に死体があった……ということらしいです」
「なるほどな……」
工業化の発展に伴い、工事の様相も変わった。
機械を用いて作業を行うようになり、それゆえに機械による騒音が発生するようになった。
そのため、昨今では、工事現場には音が漏れないように防音壁を設置するのが常識となっている。
今回、遺体はその防音壁の中にあった。最初に見つけた作業員は気の毒だった。
「で、口の中はもう見たのか?」
レヴィンが再び問う。切り裂き魔といえば、口の中だから。
「……はい。これです」
そう言って彼が手渡してきたのは、白い紙に赤い文字で書かれたメッセージ。紛れもない、切り裂き魔からの手紙である。やつは遺体の口の中にこうしたものを仕込むことで知られていた。
「今度はなんなんだ……? 『切り裂き魔、参上。この哀れな女は、最期に美しい音色を奏でたぞ。甲高い、悲鳴のメロディだ』……フン。安くさい文句だな」
レヴィンが吐き捨てた、そこへ、もう一つ、声が飛び込んでくる。
「全くだね。自己顕示欲の塊って感じ。私もそうだけど、さすがに人を殺して自分を誇示しようなんて思わないよ」
「あぁ。こんなことするやつは、他にいないクズだ――って、お前……っ!?」
なんとなく話していたが、ふと横を見たとき、レヴィンはまさかの人物の登場に驚いて後退りしてしまった。
「やぁ。また会ったね」
褪せた金色の髪。こげ茶色のジャケットにスカート、そして薄桃色のブラウス。なにより、美しい緑色の瞳……そこにいたのは、他ならぬシンディだった。
「どうしてここに!? てか、なんで入れたんだよ。規制線あっただろ」
「人は見た目に騙される。堂々たる歩みで入っていけば、私を関係者ではないと疑う者は一人もいなかった」
聞いて、レヴィンは隣に立っていた巡査のほうを見る。本当か、目線でそう問いかけた。
「いえっ、あまりに堂々と入っていくので……てっきり、関係者かと」
「そんなわけあるか! こんな小娘の刑事がどこにいるんだ……っ!」
「小娘の刑事がどうかしましたか?」
と、そこへ、またもう一人、ややこしいのが入ってきた。
ミス・グラハム。ポレットである。
「おや、リンフォードさん。そちらの方は?」
「あぁ、彼女は通りすがりの市民だ。珍しさ余って入ってきてしまったらしい」
「違う。捜査に協力してやろうと思って来たんだ」
シンディが遮り気味に言う。自信満々の顔で。
「おぉ! それはありがたいですね。リンフォードさん。良かったですね。補充の人員が来ましたよっ」
「なに? 補充? いやいや、彼女は警察官ですらないぞ!」
「それがどうかしたんですか? どうせ人手は足りないんですし、警察官は随時募集中じゃないですか。今、ここでスカウトしましょう」
「そんなことできるわけないだろう。彼女がどこの誰かもわからないんだぞ!」
「硬いこと言わずに。あなたもやりたいですよね、見知らぬお嬢さん?」
「もちろん。ぜひともやらせていただきたく存じますわよ。刑事殿」
「なら決まりです!」
「ハッ。レヴィン。あなたの同僚は現代社会に必要なものを持っているようだね。つまりは柔軟な思考ってやつを」
「あぁ……もう好きにしてくれ……」
あっという間だった。押し切られた形だった。
当然ながら、現地でスカウトしてそのまま事件捜査に加えるなど言語道断のことである。そんなことをしたら街中刑事だらけになってしまう。
だが、彼女にそんな理屈は通じそうにない。
ならば、仕方ない。少しだけ望み通りにさせてやろうじゃないか。どうせ、少しやれば満足して、大人しくなってくれるだろう。
……それに、今ここで彼女を追い返せば、色々と不都合もあるかもしれない。レヴィンは、そんな考えのもと、とりあえず、シンディを受け入れた。
「……それで。名探偵。あんたはこれをどう見るんだ?」
レヴィンが問う。若干、投げやりな口調で。
対するシンディは、展開式のルーペをかしゃっと開き、すたすた、と遺体のほうへ歩き出した。
「ふむ……死因は出血……鋭利な刃物で首を斬られて死んだ。死体の切断にはノコギリが使われ、特殊な薬品により劣化を防いでいる……おそらくは高純度エンバーマーオイル。この独特の光沢からしてね」
ぶつぶつと、シンディは遺体に向けてなにかをつぶやく。レヴィンは黙って聞いていた。なにを当たり前のことを、と思いながら。
彼女が話しているのは、新聞でも報じられていることである。文字が読めれば誰でも知っているようなことを、さも推理したかのように話している……そういうふうに見えていた。
「……彼女の名はローズ・ハント。ここロイヤルガーデンから世界へ名を馳せる、新時代の若きピアニスト。繊細かつ大胆な演奏で貴族たちを魅了し、世界各国で公演を行う、新進気鋭の音楽家」
「ふん。そんなのは誰でも知ってる。もっと変わったことはわからないのか。彼女の名前なんて、顔を見ればすぐにわかるだろう」
ローズ・ハント。
その名は、音楽といった芸術の世界に疎いレヴィンの耳にも入っているほど、毎日、絶えず繰り返されている。
ラジオや新聞、雑誌でも、ローズ・ハントの名はよく聞く。
新しい世代を代表するピアニスト――として、若くして様々な、常識にとらわれない美しいピアノ演奏を披露した。が、今この瞬間、それも過去のものとなった。
またしても著名人が、切り裂き魔の凶刃にかかったからである。
「そうだね。ローズ・ハントなんて、みんな知ってる」
「あぁ。推理するんだろ。なら、そういう誰もが知ってること以外のことを教えてくれよ」
レヴィンが呆れ気味に問うと、シンディは、にやりと笑って答えた。
「ローズ・ハントは、かつては脚光のもと自信に満ちていた。しかし……二年前ぐらいから自信を失い、タバコに浸るようになった。ピアノも弾かなくなった」
「おいおい」
レヴィンは思わず口を挟んでしまった。
「てきとうなこと言うんじゃない。一体どうして、そんなことがわかるんだ?」
「おや、説明してほしいの? ふふん……もちろん、良いよ」
すると、シンディは、まず遺体の、その半開きになった口を指さした。
「彼女の目元を見て。この色のアイシャドウは、二年前に流行ったものだ。人前にもよく出る女性が化粧品を二年も変えないなんて不自然だ。二年前から、自分の美しさというものに頓着がなくなったんだ。その理由は、自信の喪失。今から二年前といえば、ちょうど、ローズ・ハントの演奏はワンパターンだ、とか言われ始めた頃だよ」
「ほう? ……タバコってのは?」
「歯を見れば一目瞭然だよ。黄ばんだ歯、歯肉の深刻な後退。これは典型的な喫煙の症状だ。おまけに目も充血し、また目尻が少し垂れ下がってる。これも、タバコによる弊害だろうね。おまけに肌もガサガサ。ファンデーションが粉吹いてる」
「ふむ……ピアノから遠ざかったってのは?」
「爪が伸びてる。ピアニストにはありえない」
「ほう……」
正直、レヴィンは、驚いていた。
ただ、デタラメに喋っているわけではなさそうだ。レヴィンはそう直感し、もう少しだけ、シンディの好きにやらせてみることにした。
「……シンディ。犯人については、なにかわからないか?」
レヴィンが問う。彼の眼差しは、真剣な、同じ仕事仲間に向けるそれと同じものだった。
「ちょっとだけね」
「教えてくれ」
「……犯人は人体について専門的な知識を持つ。それと、おそらくは左利き」
「なぜそう思う?」
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