異世界ジオラマ

彁はるこ

一章 遺跡ジオラマ

第1話 遺跡ジオラマ

 僕のジオラマは、異世界に繋がっている。 


 それを目撃したのは半年前。

 ミニチュアグッズを飾っている趣味部屋は作業部屋も兼ねていて……その日は、明日が休日なのもあり、深夜まで作業に没頭していた。

 僕は風景模型ジオラマをだけでなくドールハウスも好きで、ミニチュア雑貨作りにも手を出している。

 その時は先日作った『魔法の森の小さなカフェ』に飾るためのパンをネリネリコネコネしていた。


「――……ぅうん?」


 ふ、と集中が途切れる。

 自分から我に返ったのではなく、違和感を覚えて強制的に現実へと引き戻された。


「……カツ丼?」


 深夜二時。胃袋をいじめるには最高の時間だが、願望を口にしたわけではない。


「カッツ丼さーん?」


 閉まっている扉に向かって、リズミカルに美味しそうな愛猫の名を呼ぶ。

 趣味部屋は細かいものが多い。偉大なるお猫様であろうとも、作業中は出入り禁止。

 だから、なにかあると下僕は扉の外からニャンニャンと呼ばれるわけで……。今回もそうだと思ってご主人様へと声を掛けてみたが、お返事はにゃい。

 作業に戻ろうとしたが――


「荷物をぶん投げた⁉︎ 鍋もか⁉︎」


 やっぱり気のせいじゃない。

 声が聞こえる。


「だ、だって……あ、あんなに急に、ゴブリンが……!」

「ちゃんと襲ってくる前に逃げろって言っただろ! お前はもう冒険者だ! 恐怖に負けて判断をミスったら命もなくなるぞ!」

「うっ……ご、ごめん、なさい……」

「クソッ、メシどうすんだ!」


 荒々しい態度の女性の声と、気弱そうな少年の震え声。

 猫の声ニャン語と人語を間違えるほど残念な耳はしていない。そして、作業部屋に二人も侵入者がいて気が付かないほど鈍感でもない。


 キョロキョロと室内を探るが、当たり前に僕以外の姿はなかった。

 亡くなった祖父母の家を譲り受けて早六年。木造建築の古い平屋は隙間風も多く、家鳴りもするが……幼少期から遊びに来ているし、住み慣れているからこそ違和感には敏感だ。

 というか、三十歳手前にもなってそこまで防犯面に鈍かったら、一軒家での一人暮らしなんてできないしねえ。


「携帯食料を食べればいいんじゃないですか?」

「んなモン買う余裕がどこにある!」

「ええっ⁉︎ な、なら食事はどうするつもりだったんですか!」

「だーかーらッ! そこらの薬草やらモンスターの肉やらを煮るのに鍋が必須だったんだよ!」

「ダンジョン内のものを食べるつもりだったんですか⁉︎」


 少年の悲痛な絶叫は、僕しかいない作業部屋から上がった。

 しかも、結構近くから。

 僕は反射的に席から立ち上がる。声が気になりすぎて出来栄えを確認していたミニチュアトーストを置くのも忘れ、それを手にしたまま部屋を彷徨うろつく。


「メシの現地調達は基本だぞ?」

「ぼ、冒険者は携帯食料を食べるって聞いてました!」

「そりゃあダンジョン内の良し悪しを理解できてねえ新人の話だ。保存が効くモンはそれなりの値段だし、荷物も増える。携帯食料なんて初心者向けアイテムだっての」


 存外、すぐに二人は見付かった。

 僕は瞬きを繰り返す。


 二人は、


 複数のジオラマを飾っている専用棚の中。

 僕の目線より少し下の位置に置かれた遺跡ジオラマに、赤毛の女性と金髪の少年がいた。


 …………あー……なんと言いますか。

 驚きすぎると悲鳴って出ないんだな。代わりになぜか鼻水が出てきた。ズビッ、と啜る。勢いよく啜りすぎて鼻の奥がツーンと痛んだ。

 痛いなら、夢じゃないかあ。

 でも夢じゃないなら……なに?

 僕は現実を、ジオラマの中を、ジッと観察する。


「それに、テメーを買って全財産スッカラカンだ! 自分がいくらしたか分かってんのか⁉︎」


 艶のない赤毛をポニーテイルにしている女性は、口調に見合った粗雑な態度で頭を掻いた。髪型が乱れるのをまったく気にしていない。


「うぅ……すみません……」


 彼女とは真逆で、倒れている支柱に縮こまって座っている少年は肩越しに前に流したきれいな三つ編みを白い指でモジモジと触る。


 服装も二人は相対的だ。

 赤毛の女性は動きやすそうな軽装。随分と着古された雰囲気だが、けしてボロいわけではない。細部まで手入れが行き届いていて使い慣れている感じだ。


 金髪の少年はサイズの合っていない革製の防具で、着慣れてもいないのかちょっとした動作すらぎこちない。腰に吊るされているのは剣ではなく棍棒。華奢な美少年には似合わない無骨な武器だ。


「ったく。前に出るのが怖いっつーからまずは荷物持ちにしたのに。これだから元お坊ちゃんボンボンは」

「……すみません」

「鍋がないなら生で食える草でも探すぞ」

「はい」


 ショボンとする訳ありらしい少年と、彼をなんらかの理由で買ったらしい女性はジオラマに生えている草を確認し始め……はあっ⁉︎ 買ったあ⁉︎

 改めて言葉を理解した途端、驚きのあまり手にしていたミニチュアトーストをジオラマに落としてしまった。

 わっとと! やっべ……!


 ジオラマはアーチ状の出入り口がいくつも開いた円形の古代遺跡。

 ジオラマ作りを始めた頃に作製したもので、自分的にはファンタジーな古代遺跡をイメージしたんだけど……遺跡というよりも円形闘技場コロッセオっぽくなってしまった。


 吹き抜けの中心部は緑が生い茂り、苔に覆われた瓦礫や倒れた支柱が散乱している。

 うーん……手当たり次第に置けばそれっぽくなると当時は思っていたんだろうなあ。散らかすにもバランスが大事だと知った現在いま、反省点は多い。

 ここの瓦礫は詰み過ぎてるし、こっちは草の量が……って、違う!

 危うく反省会を始めそうになった。


 無意識に反省会をしたくなるほど反省点の多いジオラマに、ミニチュアトーストを落としてしまった。

 美味しそうな生ハムとアボカドのクリームチーズトーストが瓦礫に乗っかっている。なんて場違い! 雰囲気が合わない!

 しかも差が目立つ! 粗のある初期作と最新作の組み合わせは、そりゃあもう凄まじく出来栄えの差が目立って……「あれ?」目立って、ない?


「⁉︎」


 そこで僕はもうひとつの事実に気付いた。


「ほ、本物に、なってる……?」


 遺跡ジオラマの雰囲気が変わっていた。

 発泡スチロール、粘土、パウダー、その他もろもろ……とにかく、ジオラマはどれだけ精巧に作ってあっても偽物だ。小さな世界。小さな箱庭。

 なのに、どうも様子がおかしい。

 顔を近付けると湿った土と草のにおいがして、風を感じる。

 少しスパイシーな……独特な香のような匂いを含んだ風は、アーチ状の穴から吹いてきている。

 吹き抜けの内側からアーチ状の穴を覗くと石造りの廊下――つまりは、奥に続いている遺跡の風景が見えた。


「な、中身なんて作ってないぞ⁉︎」


 確かにこんなふうに奥へと続く道のイメージはしていた。だが、当時の僕にそこまでの技術はない。

 切った発泡スチロール板に粘土でアーチ状の縁を作っただけだ。しかも当時は作り方をちゃんと学んでおらず、いくつかの穴は発泡スチロールごと貫通して、本当に穴にしてしまった。

 だから見た目が、円形闘技場コロッセオっぽくなってしまったんだ。


 ファンタジーな遺跡を作るぞ! と意気込んだのに円形闘技場コロッセオっぽくなって落ち込み、じゃあ中心部をそれっぽくしようと意気込み直して無駄に瓦礫や支柱などを作った記憶があるから間違いない。


「外側は……普通だよな?」


 僕は慌てて外側からジオラマを見直す。

 ゲッ……塗り残しを発見。本当に未熟だったなあ。


「どういうことだ?」


 見まごうことなく、これは僕が作ったジオラマ。

 なのに、ジオラマは本物の遺跡になっていた。余計に現実味がなくなる。

 一旦、前屈みになりすぎた姿勢を伸ばして部屋の中を見渡した。いつも通りの作業部屋。

 試しに他のジオラマを軽く触ってみたが、他のはただのジオラマだった。


「せ、先生! これを見てください! 出来立てのパンですよ!」


 少年の嬉しそうな声に、僕はハッとする。

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