小さい人

鶴亀 誠

第1話

 私が通う中学は、私の出身の北小学校と隣の南小学校の子が半々くらいで入ってくる。

 南小学校の子は大人っぽいという噂で、入学式のころはちょっと緊張していた。でもだから、友達になれたときはすごく嬉しかった。その子の名前は千佳ちかちゃんといった。


 入学式から2週間、クラスの空気が分かってくる頃。私は千佳ちゃんとよく話すようになっていた。千佳ちゃんは髪が綺麗で、お化粧も知っていて、イメージ通りの南小学校の子だった。


 ある日の掃除の時間、

 「絶対誰にも話さないでね」

 そう言って千佳ちゃんは秘密を教えてくれた。


 「私、たかし君のことが小学校のときから好きなんだ」

 クラスメートの名前だった。正直驚いた。南小学校の子は、こういう話をするのか。誰のことが好きだとか、そういうことを言い合うのか。

 北小学校だってそういう話はあっただろうけど、私はそういうのに触れたのが初めてで、新鮮だった。自分は中学生になったんだなあと実感したような気がした。



 私は南小学校の子と友達だということも、その子の秘密を知っているということも、すごく特別なことのような気がして、誇らしかった。だから、北小学校の友達と帰り道を歩くとき、それを話さずにはいられなかった。


 「秘密なんだけどね、――」

 私は得意げに、千佳ちゃんのことを話した。話しているときは優越感のようなものでいっぱいだった。北小学校の友達は、「えっ、本当に?」「すごいね」と素直な反応を返してくれ、私はさらにいい気分になった。



 その日、家に帰ってからも私はそのことが嬉しくて、他のことなんて考えられなかった。


 でも。晩ごはんを食べているとき、ふと気づいた。何かきっかけがあったわけではなく、唐突に思い出した。千佳ちゃんは絶対話さないでと言っていたことを。

 今まで忘れていたわけではないけど、気づいた。自分は悪いことをしてしまったのではないかと。急に不安がお腹の底からせりあがってきた。


 一旦気づくとその考えが頭から離れなくて、嫌な気持ちはずっとぐるぐる回っていて、頭がくらくらした。

 それでもなんとかごはんを食べ終え、お風呂に入り、明日の準備をして、やっとのことで一日を終えた。


 夜はなかなか眠れなかった。

 千佳ちゃんは実は知ってほしくて、わざとああ言ったのだと思ったりもした。それでも気持ちは晴れなかった。話が広まっていないことを一心に祈った。


 次の日、起きるとすぐに昨日のことが頭に浮かんだ。こんな嫌な気持ちで起きる朝は初めてだった。


 苦しい作業のように朝食を詰め込み、緊張と不安でキリキリ痛むお腹を押さえながら学校に向かう。こんな嫌な気持ちで登校するのも初めてだった。


 今更、後悔が込み上げてきた。なぜ私は昨日、あんなに舞い上がっていたのだろう。ただ自分が認めてほしかっただけで、なんで話してしまったんだろう。



 学校についても、私は後ろめたくて千佳ちゃんに話しかけられなかった。目が合いそうになると、なぜか咄嗟に目を逸らしていた。

 それでも何度も様子を窺っていたが、千佳ちゃんが私を気にするそぶりはなかった。


 話は広まっていないのだろうか。もしそうだとしたら。軽率な思い込みで私は千佳ちゃんに話しかけようと、席を立った。

 そのとき。教室の隅から声が聞こえた。私が一番恐れていたものだった。

 「ねえ聞いた?千佳ちゃんて隆君のこと好きなんだって」

 「まじ?やば」


 頭が真っ白になった。今まで抱いていた淡い期待は簡単に打ち砕かれた。再び不安が込み上げてきた。

 どうしよう、どうしようと必死に考えながら、動き出していた私の足は止まることなく千佳ちゃんの席へ近づいていった。


 近くで見る千佳ちゃんはいつもより少しだけ暗い雰囲気を漂わせているようで、それが一層私の不安を強くした。

 私は振り向いてほしい一心で声をかけた。


 「ねえ、千佳ちゃん?」


 大丈夫。千佳ちゃんはいつも通り私を見て、笑いかけてくれる。信じて待つ。

 でも、いつまで経っても千佳ちゃんは振り向かなかった。思い描いた最悪の事態が起こっていた。もうどうすれば良いのかわからなかった。

 

 長く重い沈黙が流れた。やがて千佳ちゃんは席を立ち、どこかへ行ってしまった。私はそれを止めることもできずにただ立ち尽くしていた。


 私は、自分は手放した何かを、千佳ちゃんには放さないでいてほしいと都合よく願っていたことに気づいた。傲慢だと思った。

 悔しくて、涙が出てきた。


 クラスメートが千佳ちゃんのことを噂しているのがまた耳に入ってくる。


 これ以上私と千佳ちゃんを離さないで。

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