第352話 壊れるもの 壊れないもの
メイラはクチナシが戦ったいる中、戦場から離れて物陰に身を隠し、アマリリスに巻き付いた鎖を外そうと試みていた。
しかし悪魔であり一般的な人よりは身体能力の高いメイラの腕力をもってしてもその鎖はびくともせず、ならばとアマリリスの身体を傷つけないように細心の注意を図りながら自らの血を鎖の間に滑り込ませ、破壊しようとするがそれでも鎖はわずかに歪む程度で壊れる気配はない。
それでもメイラは必至に自分が取れる手段を用いて諦めずに何度も何度も鎖を壊そうとする。
半ば焦っているようにも見えるがそれもそのはず、メイラがそうしている間にもクチナシは一人で戦っているのだ。
それもかなりの劣勢で、追い込まれているように見えた。
メイラはすぐにでも飛び出してクチナシに協力したかったが、アマリリスをこのままにしておくことなどできるはずは無く、結果として焦りばかりが募っていく。
そしてもう一つ…メイラの視界の端。
その場に座り込んでいるリフィルの異様な様子がどうしても気になる。
先ほどまでアマリリスの状態に取り乱していたが、いつの間にか静かにその場に座り込んでいたのだ。
メイラからリフィルの表情は見えはしないが、その静かな様子がメイラにはとても怖かった。
ただじっと何もない虚空を見つめて、時折聞き取れないような小声で何かを呟いて再び静かになる。
このままだと絶対に何か良くない事が起こる。
そんな確信に近い予感がメイラの心を覆っていく。
「この!外れて!外れてよ!」
壊れる気配のない鎖がたてるガチャガチャという音がメイラをイラつかせる。
色々なものが重なり、感情が高ぶってしまいうっすらとその瞳に涙を浮かべた時だった。
メイラは突如として背後に誰かの気配を感じた。
慌てて振り返るとそこにいたのは────
「…え?」
────────
クチナシの戦いは一方的なものになっていた。
剣を持った男がその鋭い剣さばきでクチナシを追い込み、拳を握りしめた大男がまだ治りきっていない腹部にさらに拳を叩き込んでいく。
そしてダメージの蓄積からクチナシが動きを止めると人形兵の巨大な腕がクチナシの身体をまるでボールのように弾き飛ばす。
バラバラと壊れたクチナシの身体から破片が散らばっていく。
「ふむふむ。弱くはないけれど特筆して強いわけでもないね。リリちゃん関係の何かだとは思うのだけど案外普通でがっかりだ。それともあれかな?もしかして手を抜いている?」
「…」
ボロボロになったクチナシを見下すようにマナギスが声をかけた。
その顔にはつまらなそうな表情を浮かべており、マナギスの中で元々あまりなかったクチナシへの興味はこの時点でほぼゼロになっていた。
いろいろとパーツの欠けた身体でギィギィと音をたてながらなんとか立とうとしている様子が哀れにさえ見えている。
「観察しようかとも思ったけどもういいや。とどめ刺しちゃって」
マナギスが指示を出そうとした時、その首に銀色の糸が掛かった。
しかしその糸は首に触れるより先に剣の男によって切断されて力無く地に垂れ下がり、男はそのままクチナシに剣を突き付けた。
「む?マナギス様」
「なに?無駄話してないで早くとどめを刺しなさいな」
「いえ、私の間違いでなければこの人形…人の魂を感じます」
「んん?」
男の言葉に首をひねり、マナギスは改めてクチナシをじっと観察する。
すると確かにクチナシから人の魂のようなものが感じられた。
途端にマナギスは瞳を輝かせ、ニコニコと笑いながらその場にしゃがみこんだ。
「わぁ!なになに?君もしかして人の魂を使って出来てるの?へぇ~!先に言ってよもう!うふふふふ。邪悪だねぇ~酷いねぇ。君のようなバケモノを動かすのに人が犠牲になったわけだ。さぞ無念だっただろうね、その魂の持ち主は。でも安心して?その魂…私が未来のために役立ててあげようじゃないか。悲劇のまま生涯を終えた魂に輝かしい未来を見せてあげよう」
パチンとマナギスが指を鳴らすと人形兵がゆっくりと移動し、クチナシの身体を掴み上げる。
「…」
「人の魂を核に作られているのなら、もしかすればその肉体もいい燃料になるかもしれない。物は試しだ、人形兵、そのままその子を食べてあげなさい」
人形兵の口が醜く、大きく開かれた。
身じろぎ一つしないクチナシはそのまま人形兵の口の中に落ちていく…寸前にその姿を消した。
「…ん?」
「マナギス様!」
気がつけばクチナシはマナギスの背後にいて、その首に向かって鋭い手刀を放っていた。
咄嗟に大男が身体を滑り込ませ、マナギスを庇うが手刀は大男の身体を貫き、マナギスの肩にその指をくい込ませた。
「ぐぇ…痛いなぁ…」
マナギスは後ろに下がりクチナシの指から逃れ、それを確認した大男が自らの傷など気にしていないかのように平然とした動きでクチナシを殴り飛ばす。
地面に激突し破片を辺りにまき散らすもクチナシはゆっくりと、しかししっかりと地に足をつけ立ち上がる。
「瞬間移動…みたいなことが出来るのかな?どうして今まで使わなかったの?」
クチナシは乱れた白髪の隙間からマナギスの事をじっと見つめる。
その瞳には怒りのような感情が浮かんでいるように見えた。
「私は…この戦いで一切の消費をしないつもりでした。惟神を封印し魔法を封印し…糸を取り出すために使う魔力以外は一切使っていません…そもそも私はあなたと戦うつもりがなかった」
「ふむ?」
「あなたの言い分で言うのなら…そうですね。私があなた方に勝てるわけがない。本気を出していないのだから本気のあなた方に敵わないというわけですね」
「まぁそうだね。なんでそんな事をしたのか…こちらの戦力を見誤っていた?」
「いいえ。あなた方は強いと思っていましたよ。そう…「私の思った通り」ちゃんと強くて嬉しかったくらいです」
「話が見えないな。私たちに負けることが目的だったという事?何のために?そしてじゃあなぜさっきは能力を使ったの?」
「なぜでしょうね…なんて知らないふりをするつもりはありません。私は…そう、あなたに怒ったのです。私の中に眠る魂…私の初めての友達のそれを好き勝手に言われるのは我慢なりません」
また姉様に黙って勝手な事をしてしまったなとクチナシは苦笑いを漏らした。
この状況はクチナシがリリと打ち合わせていた状況だ。
もちろんすべてを想定していたわけじゃない…しかしもしこうなったらこの状態までもっていくと決めていた事柄の一つだった。
その中にクチナシが能力を使うというのは含まれていない。
むしろわざわざこんなことをしている目的を考えると決してやってはいけない事の一つでもあった。
しかしすでにクチナシにも分かっている。
そんな事でリリは怒りはしないと。
むしろ自分の大切なものを貶されて…それでもリリを優先しようとしたことを説教されるだろうと。
「あなたはやはり独りよがりの…ごっこ遊びが好きな子供です。この胸にある魂はあなたの言う輝かしい未来などではなく幸せな今を最後の瞬間まで生きていました。そして私にその今を託してくれました。それを知りもせず自分に都合のいい妄想を事実の様に押し付ける。幼稚が過ぎますよあなた」
「あはははは!まぁ確かに夢見がちなところはあるかなって思ってるよ。そうだね夢に向かってひたすら邁進することを幼稚というのなら私はまさにそれなんだろうね。さて、じゃあどうする?君はこれから本気を出してくれるのかな?」
「ええそうですね。一つだけ面白いものを見せてあげましょう」
クチナシはそう言いながらもその場の誰にもわからないように一つの魔法を発動させた。
リリと共にマナギスへの対策魔法を創作していた折にできた魔法の一つ。
リリが得意とする全属性の魔法を混ぜ合わせる技術を使い混ぜ合わせた魔法を極限まで圧縮させて身体の中に仕込み、そして意図的に暴走させることで術者を中心としてありとあらゆるものを破壊し塵に返す…いわゆる自爆するための魔法だ。
予め身体に仕込んでおくという魔法のために、使用時には魔力を消費せず、さらに破壊力も範囲こそ狭いがリリの放つカオススフィアに少し劣るくらいという破格の破壊力を持つ。
そしてこの魔法の最大の利点は────。
この魔法ができた際にリリは何のためらいもなくそれを破棄しようとした。
「うーん。どんな状況でもこんな魔法があるといらん事しかしないだろうから破棄だねコレは。やり方も何もかも封印してしまおう」
リリとしてはこんな悲しい事しか思い浮かばないようなものはいらないという考えだったのだがそれにクチナシは待ったをかけた。
絶対に役に立つ瞬間が来るとリリを説得したのだ。
二人はそこで初めてといってもいい喧嘩をした。
絶対にいらないと譲らないリリと、何が何でも必要だとこれまでにないほどに食い下がるクチナシ。
そんな状況でももちろんクチナシに引き下がれとリリは命令することは無かった。
だがそれゆえに最後に勝ったのはクチナシだった。
その魔法の有用性を必死に訴え、そして以前二人で話したある事が最後の決め手となり、クチナシに一度だけその魔法を仕込み、何もなければ数年後に破棄して二度と使わないという条件の下で納得させたのだ。
だがそれを使う機会は訪れた。
今この瞬間がそれだ。
(これですべてうまく行く。姉様…私はちゃんとあなたのお役に立ちますよ)
クチナシはすでに致命的なダメージを負ってしまっている。
どうあがいてもあと数分もすれば消えていくことはわかっていて…ならばその状況を最大限生かすだけだとゆっくりと瞳を閉じる。
瞼の裏にはたくさんの事柄が浮かんでは消えていく。
この世に生み出してくれた敬愛する姉のような主人。
初めてできた自分に誰かを愛するという事を教えてくれた友達。
沢山の遊びを共にし、語らい喜びを共有した同じ主人を持つ親友。
(…本来は自我や感情を持つはずのない存在だった私が…よくもまぁここまでいろいろなものを手にできた物ですね。私の名前…クチナシ…そう私は…私は幸せでした)
その名前に込められた意味を実感しつつ、クチナシは魔法を発動させようとした。
だがその瞬間、背後から何者かがクチナシの身体を掴み、背後に投げ飛ばした。
「邪魔」
この数十分ほどで何度目になるのか…クチナシは宙を舞った。
しかしクチナシを受け止めたのは硬い地面ではなく、柔らかな感触だった。
「クチナシちゃん!」
「メイラ…?」
ボロボロになったクチナシの身体を悲しそうな顔をしたメイラが受け止めており、メイラはそのままクチナシを休ませるように膝枕をした。
「一体何が…」
うまく動かない首を動かし、先ほど自分を投げ飛ばした何者かを見た。
「…なぜ…あの人がここに…」
「私もよく分からない…でもなんか突然私たちのところに現れて…アマリリスの鎖を切ってくれて…それで…」
メイラ自信も状況を理解していないらしく、うまく言葉を紡げないでいた。
話だけ聞くと援軍が来てくれたと思えるかもしれないが…クチナシにはその人物が手放しで味方と呼べる存在でないことを知っている。
だがしかし、その人物がそこにいてマナギスと対峙しているという事は何か意味がある事のはずだ。
「まさか…姉様が…」
どちらにせよもうクチナシにはどうすることもできない。
ただ信じること…それだけしか。
バラバラと崩れ落ちていくクチナシをメイラは大粒の涙をこぼしながら抱きしめた。
「クチナシちゃん…!」
「メイラ…そんなに泣かないでください」
「泣くよ!泣くに決まってるじゃん!」
「いいんです…これで…これが一番正しい事なんです…」
「そんなこと言わないでよ!私にはクチナシちゃんの考えてる事なんて何もわからないけど…でも…これが一番いい事のわけないじゃん!」
「そうですね…でも私は遅かれ早かれこうなることが運命だったんです…私は本来いるはずのない存在…姉様の力の一部ですから」
クチナシのひび割れて指も足りない手がメイラの頬に触れてその涙を拭きとる。
だが涙は何度も何度も零れていく。
「そんなこと言ったら…リリさんに怒られるよ…」
「そうですね…でもどれだけ否定しようとも…それが真実で…それが私ですから…でもそんな私が当たり前の運命をたどる…それだけのことにこうして涙してくれる人がいることに…自分がどれだけ恵まれていたのか実感する思いです」
「当たり前だよ…あたりまえなんだよ…」
「そうですね…当たり前のこと…ですよね。ごめんなさいメイラ。あなたを…残していくことになって」
残されるのは悲しい。
かつてルティエという友を見送った者としてその悲しみは痛いほど良く分かる。
だからこそ悲しんでくれていることに喜びと…悲しませてしまっていることに申し訳なさを感じた。
なので一つだけ、たった一つだけクチナシはメイラに言葉を遺すことにした。
「メイラ」
「なに…?」
「────」
「…うん…うん…!」
それを伝え終わるとクチナシはニッコリとした笑みを浮かべた。
誰が見ても笑顔と呼べるその表情…ただの人形には決して作ることのできない笑顔を最後にメイラの腕の中でクチナシは崩れ去ったのだった。
「…う…っ…ぐすっ…クチナシ…ちゃん…!!」
メイラは崩れて砂のようになったクチナシの残骸を握りしめ、声を押し殺して泣いた。
しかし数秒で立ち上がると砂をハンカチに包み、リフィルとアマリリスが身を休めている場所まで戻った。
今この瞬間、悲しみに明け暮れている暇はない。
それをするのは全て終えた後だと…きっとあのいつだって冷静な親友はそう言うはずだから。
────────
マナギスは突如として横入りしてきた人物に見覚えがあるような気がした。
いや、確実に顔を見たことがあるはずのだが思い出せない。
それは妙な威圧感のある存在だった。
ただそこにいるだけで気圧されるような…それでいて神聖な気配を感じさせるそんな存在。
異様なほど白く、尋常ではないほどに整った顔には明確な殺意と怒りが浮かんでおり、瞬きをするたびに色が変わって見える不思議な髪を地につくのではないかと思うほど伸ばした女性。
その名はフィルマリア。
原初の神と呼ばれ、幾万の恨みと幾億の後悔を引き連れて…ついにフィルマリアはそこにたどり着いたのだった。
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