第337話 魔王少女の昼下がり
特別製のポッドからカップにトポトポと液体が落ちていく。
立ち上る湯気に混ざって何とも言えない…生臭いような香りが私の鼻を刺激するけれど液体に混ぜられた薔薇のフレーバーがいい感じに相殺してくれてるのでそこまで不快感はない。
私は液体を注ぎ終えるとカップを向かいに座る友人、メイラさんの前にそっと置いた。
「ありがとうございます」
一言お礼を言ってメイラさんはカップを持ち上げ、中身の香りを確かめるように鼻を近づける。
「これは薔薇ですか?」
「そうそう。メイラさん香りは分かるって言ってたから少し混ぜてみたの。気分変わるかなって」
「ええ、とても素敵です。なるほど…血に香りをつけてみるというのは考えたこともなかったですね」
今でこそメイラさんは血と人肉が主食だけど元々は食べ物という認識があったものではないから、そういう方向には思考が行かなかったらしい。
たまに作ってくれる料理では香りにまで気を配っているから少しだけ面白い話だ。
「ただ味に影響しちゃうかもしれないから美味しくなかったらごめんね。一応口直しに普通のも用意してあるから試しにって事でお願い」
「お気遣いありがとうございます。ではいただきますね」
メイラさんがカップに口をつけ、ゆっくりと中身を飲み込んだ。
味を確かめているのか数度だけ口の中で転がしているかのような仕草を見せていたが飲み込んだという事は少なくとも吐き出すほどまずいわけではないのかな?と一安心。
やがてメイラさんがゆっくりと目を開けて、顎に手を置き神妙な顔を作った。
「なるほど…」
「もしかして口に合わなかったかな」
「いえ…これはなかなかの発見だなと思っていただけです」
「発見?」
「はい。血でお酒を造ろうと思えば血にアルコールを混ぜるだけではどうにもならず、生きた人間にアルコールを大量に摂取させて殺す…という手段を取らないといけないのでただ何かを血に混ぜるだけではダメだと思い込んでいたのですが、なるほど香りというものはとても偉大ですね。味は変わっていないのだとしても鼻を抜ける香りのおかげで普段とは違うものの様に感じられる…」
「つまりは美味しかったってこと?」
私がそう訊ねるとメイラさんは慌てたように姿勢を正して慌てて頭を下げた。
「す、すみません!興味深さが先に来てしまって…は、はい美味しかったです、ありがとうございます!」
「あはは、そんなかしこまらなくてもいいよ」
「いえ、お礼を先に言うべきでした…お詫びと言ってはなんですがこちらをどうぞ」
「ん?」
メイラさんが小さな小箱の中からカップに入った焼き菓子のようなものを取り出して私に差し出してきたので、ゆっくりと受け取る。
もし柔らかいものだったら潰れちゃうからお菓子の扱いは慎重に。
「先日クルミをいただいたので新しいレシピに挑戦してみたのです。お口に合えばいいのですけど」
「へぇ~いただきます」
焼き菓子を手に持ったままで一口かじる。
本当はお皿の上でナイフとフォークを使って食べないといけないのだけど、こういうものはあんまり格式ばっても美味しくないとリリが言うので、身内しかいないときはあまり気にしないようにしている。
それはともかく、一口かじるとフワッとした甘い香りが鼻をくすぐり、口の中にはコリコリとしたクルミの触感とフワッフワッの甘い生地が調和した素晴らしい触感と甘さが私を満たした。
「え、これすっごく美味しい」
「良かったです」
「あとでレシピ教えてもらってもいいかな?」
「ええもちろんです。もし改良案があればぜひ教えてもらいたいので」
「もう口を挟まなくてもいいほどに美味しいけどね。リリとアマリリスはたぶん二人で家中のクルミを食べ尽くしちゃうかも」
「あはは、ないとは言い切れないですね」
メイラさんと二人っきり、少し前までは考えられなかったほどの穏やかな時間が流れる。
別に何かきっかけがあったわけじゃない。
ただリリとの結婚式を追えて、いろいろ考えすぎなんだって理解できただけ。
「平和ですね~」
「だねぇ」
おやつには少しだけ早かったけれど、何でもない日の何でもない昼下がり。
私たちは実に平和な時を過ごしていた。
「なんというか魔王様、最近リリさんに似てきましたね」
「ん?」
「雰囲気が緩くなったと言いますか…あぁそのバカにしてるわけじゃなくて…何と言いますか余裕ができた?みたいな丸くなったみたいな…」
「あはは、自分ではよくわからないけどね~」
あぁでも意識してみれば今の語尾を伸ばす感じとかリリっぽいかもしれない。
緩くなった、丸くなった。
そんな言葉が出る時点で私がどれほどメイラさんにとげとげしい態度をとっていたのか分かるというものだ。
本当に申し訳ない。
でも今雰囲気がいいと言ってもらえたのなら…それはリリのおかげなのだろう。
今の私の全て。
私の中のこの想いの全てを満たしていると言っていい私の世界で一番好きな人。
今だって二階にあるこのバルコニーから庭を覗き込むとリリと子供たちが楽しそうに遊んでいるのが見える。
「ファミリートーテムポール!」
「きゃ~!たかいー!」
「きゃっきゃっ」
リリがリフィルを肩車してさらにその上にアマリリスが乗っている。
…たまにああして私には理解できないよく分からない事をするときがあるけれどね。
ちょっと危ないって思うけどリリはあれでちゃんとしているので大丈夫でしょう。
「ふふっ楽しそうですね」
「うん」
もしかしたら呑気に遊んでいるだけに見えるかもしれないけれど、リリがああやって娘たちの面倒を見てくれるから私もこうしてお茶を飲む時間を作ることが出来る。
子育てが嫌なんて気持ちはこれっぽちもないけれど、やっぱりどんなことでも息抜きは大事なのだとはリリの弁で、娘二人が赤ちゃんの頃から夜泣きの対応をしてくれたり、せっせとどこからか集めてきた子育ての本を熟読して私の時間というものを出来るだけ守ってくれた。
そのおかげで精神が不安定なところがあると自覚できている私はここまで潰れずに来れたって部分も多大にあると思う。
それでいていつも笑顔を向けてくれて…どんな時でも私の事を一番に考えてくれる強くて優しくてかっこいい私の最愛のパートナー。
えっちな事が好きすぎるのがちょっと身体がもたない…って思わない事もないけれど求められてると言う事実は私の心をこれでもかと満たしてくれるから文句はあれど不満はない。
「あ!お~いマオちゃ~んメイラも~」
「お~い!」
「お~い」
縦に重なった奇妙な状態で私の大事な家族たちがぶんぶんと手を振ってくるので、私も振り返す。
それで満足したのか合体を維持したまま、三人は庭中を駆け回り始める。
「魔王様、私そろそろ休憩終わりなのでこの辺で行かせてもらいますね」
「あら、もう少しくらいいいんじゃ?」
「いえいえ、お休みの時間は十分すぎるほど頂いているので。では~」
足音も立てずにメイラさんが茶器をもって出て行ってしまった。
…どうやら気を使ってもらったみたい。
私は大きく伸びをすると二階の窓から勢いよく跳び下りる。
「リリ!」
「ん?どうした…の…って、ええ!?うおおぉおおおおおおお!!!!?」
跳んだ私に気がついたリリが娘たちを抱えたまま大急ぎで両手を広げて走ってくる。
娘たちはどうやらリリの糸で安全を確保されていたようで、勢い余って少し宙に浮く形になってしまっているけれど「きゃははははは!」と笑っていた。
そんなリリに私も両手を広げてその胸に飛び込むと、勢い余ってリリと一緒に地面に倒れて、その上に娘たちがポスっと着地する。
「な、なにしてるの!?びっくりしたよ!?」
「あははははははは!!」
なんだかおかしくなって笑いが出てしまう。
急に跳び下りるのなんて危ないし(それで怪我をするほどやわじゃないけど)、娘が真似したらどうするんだとか(それで娘が怪我をすることがないのも私は知っているがそういう問題じゃない)色々問題があるけどそれでもたまにはというか変なテンションに今身を任せてみたくなった。
「ママ楽しそうだね~アマリ」
「うん~」
変なテンションの私が物珍しいのかリフィルとアマリリスが私の身体中をずどどどどどどと指でつついてくる。
何してるの?と言いたいけれどマッサージみたいで気持ちいし楽しそうだから好きにさせておく。
誰に影響されてるのか、この二人もたまに不思議な行動をとることが増えてきたのよね。
のびのびと育ってくれてるという事なのかもしれない。
「ねえリリ、このままお昼寝しちゃおうか」
「ええ?風邪ひいちゃうよ」
「じゃあ風邪ひかないところまで運んでほしいな」
「なんだか今日はマオちゃんが甘えん坊だなぁ」
「ダメ?」
「むしろ良いですはい」
リリが勢いよく立ち上がると同時に娘たちがポーンとジャンプ。
私はお姫様抱っこされるような形になり、上から落ちてきた娘たちが地面に着地すると同時にそれぞれ左右からリリのお腹にしがみつく。
「動きにく過ぎる」
「がんばれ~」
見事な家族合体を果たしたまま、寝室に移動してみんなでくっついてつかの間のお昼寝を楽しんだ。
この幸せがいつまで続くのかは分からないけれど、今この時を後悔せずに生きていきたいなって思った今日この頃だった。
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