第326話 神様の夢話1

 真っ白な世界…眠りにつけばフィルマリアはいつもここに居る。


神様であるフィルマリアの世界…何もない空っぽな痛いほどの白だけが広がる地獄。

吐き気がして、全身が痛くて、頭もうまく回らなくて、立つこともままならない現実から逃げるように眠ると逃がさないとばかりにここに来てしまう。


だが今回はいつもと違う事があった。


「…?」


いつもなら白い世界におぼろげなレイの姿が現れ、聞き取れない呪詛を投げかけてくるというのに、今回はその姿がなかった。


顔の見えないその姿の足元に縋り付いて目覚めるその瞬間まで許しを請う…そんなルーティンが崩れてフィルマリアは少しだけホッとしていることに気がつき、罪悪感から強烈な嘔吐に襲われ、真っ黒な泥を吐き出した。


「あの子に…謝れない事に胸をなでおろした…?あはは…最低…謝らなくちゃ…謝らなくちゃ…謝らなくちゃ…謝らなくちゃ…謝らなくちゃ…謝らなくちゃ…謝らなくちゃ…謝らなくちゃ…謝らなくちゃ…謝らなくちゃ…」


口元に付着した泥を拭う事もなく、未来永劫謝罪を続けなくてはいけない相手を求めて白い世界をさ迷い歩く。


しばらくそうしていると、フィルマリアは何かに躓き、転んでしまう。

現実ならば何でもないが、この世界ではよっぽど身体が脆くなっているのか身体のいたるところが擦り剝けて赤い血が流れ落ちていく。


だがその程度の痛みをすでに痛みとは認識できなくなっているフィルマリアは、怪我をしたという事すら気がつかずに自分がつまずいた何かに目を向ける。


「あ…あ…あぁ…」


ピクリとも動かず、虚ろな目を見開いたレリズメルドと目が合った。

全身から血を流しながら物言わぬレリズメルドはもう何も映すことの無い瞳をフィルマリアに向けている。


「ち、ちがっ…わた、し…そんなつもりじゃ…うっぷ…ぇぇぇえええええええ…」


再度たまらず吐き出してしまった泥が白い床に跳ね返り、レリズメルドの頬を汚す。

それを見たフィルマリアが慌ててレリズメルドの顔を拭おうと手を伸ばすと…ぐしゃりとレリズメルドの顔が潰れた。


「ひっ…!違う、違うの!!!私はただ顔を綺麗にしなくちゃって…っ!?」


恐る恐る自らの両の手のひらを見ると、その手はレリズメルドの血でべったりと汚れていて…。


「いやああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


フィルマリアはその場から逃げ出した。

どこまでも続く白い闇の中を一心不乱に走る。


足がもつれて何度も転び、その度に血が流れて骨が折れた。


それでもただ走った。


どれだけ走ったのだろうか…やがて走る身体の機能を失ってしまったフィルマリアの前にやっとレイが現れたのだ。


それを確認した瞬間にフィルマリアは美しかった髪を振り乱しながら、ほとんど形を保てていないほどぐしゃぐしゃになった腕を伸ばしてその足に縋り付く。

そしていつものように言うのだ。


「っ…さ…い……ごめんなさい…ごめんなさい……うぇ……ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい……────────」


レイの表情を見たくなくて…憎悪を自分にぶつけられることが何よりも怖くてその表情を見る事がないフィルマリアは気がつかない。

自分が吐き出すように許しを乞うている娘が…両手で顔を覆って泣いていることに。


「もうやめてお母さん…私が出てこなければお母さんは苦しまないって…思ったのに…どうあってもお母さんは「自分で自分を傷つけるのを辞めてくれない」…誰か助けて…誰か…」


レイの悲しみの声はフィルマリアに届かず、ノイズが奔ったような声に変換され、それをさらに脳内で自分に対する怨嗟の声と認識してしまう。


だから謝り続ける。


だがレイは許すことができない。

そもそも恨みなどこれっぽちも抱いていないのに許すも何もない。


だから彼女もまた助けを請う事しかできない。


「助けて…リリちゃん────」


この地獄は終わらない。

白い闇が世界の全てを塗りつぶすその時まで。

もしくは願いを託された人形少女の暗い闇が、壊れた神様を眠りに誘うその時まで…。


────────


「ごめん、なさ…い…」


一筋の涙と共に、フィルマリアはゆっくりと目を覚ました。

目を開くと見知らぬ場所に寝かされていて、さらには何か温かいものが腕から流れ込んでくるような感覚を覚えた。


「あっ!お姉さん起きた!」


耳元で少しだけ舌足らずな少女の声が聞こえると同時に忘れていた強烈な頭痛が戻ってくる。

不快な物を感じつつも身を起こし、違和感を感じる方を見ると、幼い少女がフィルマリアの手を両手で包み込むようにして握っていた。


「わわっ、まだ起き上がたらダメです!顔色悪いままです!」


慌ててフィルマリアを再び寝かせようと、幼い少女が身体を押すも、フィルマリアはピクリとも動かない。

あまりにも非力な少女に苛立たしい物を感じながらも、その手を払いのける。


「…どちらさまですか」

「あ、えっと…ここミィの家で…えっとえっと、病院みたいなことしてる、ます…?あ!パパ呼んでこなくちゃ!ぱぱ~!」


少女は慌ただしくフィルマリアの寝ていた部屋を後にした。

その後ろ姿に何か懐かしいものを感じ…頭痛と吐き気がそれ以上考えることを妨害する。


何とか嘔吐することだけは我慢し、安っぽいベッドから抜け出し、先ほどまで少女に握られていた手を動かす。


「先ほどの感覚…あの少女、欠片を持っているようですね」


ならばやることは一つ。

スッと目を細めて、フィルマリアは少女の後を追ったのだった。

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