第88話邪教聖女のもたらす救い
「あなたは理性的な人です。自分の欲を抑え込んで誰かのために、仲間のためにその力を振るう…とても立派です。あなたはすごくいい人です。とても頑張っているんですね」
アルスの手が優しくアグスの頬に添えられる。
その小さな口から紡がれる綺麗な声はゆっくりと、しかし確実にアグスの中に染み込んでいく。
「な、なにを…」
「頑張った人は報われなければなりません。努力し前を向き必死に頑張った人が報われないなんてそんな悲しい話はないじゃないですか…だからさぁどうぞ。私があなたの欲を全て受け入れましょう」
「やめろ…はなせ…!」
「いいんですよ我慢しなくて。私なら全てを受け入れることができます。さぁあなたの欲を私に見せてください。その激しい衝動の赴くまま…私を壊して?」
アグスの中で何かが切れた。
「う、うわああああああああああああ!!!!」
硬く、血がにじみ出るくらいに握りしめた拳を一心不乱に目の前にいる少女に叩き込んだ。
まずはその柔らかそうなお腹に、そして綺麗な顔に。
何かが砕けるような鈍い音がしてアルスが倒れる。
「あっは!そう!それです…あなたの中にある誰かを壊してしまいたいという欲…抑えられてきた破壊衝動…なんて素敵な欲望でしょうか…」
「黙れえええええ!!!!」
倒れたアルスに馬乗りになり、アグスはその拳を振り下ろしていく。
硬い拳が肉を叩き、骨が砕ける音が響き続ける。
「あっ、あはっ!う、ごほっ!、あ、ごっ、う、…あははははははは!素敵すてきすてきすてきすてき!!あっは!!もっと、もっとぶつけてくださいませ…その心地の良い欲を…」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!」
「あっはぁ…私の見込んだ通り…あなたはすっごく素敵な…正しく生きる人間です…あっは…」
フリメラはその光景を茫然と眺めていた。
少しチャラいところはあったがそれでも仲間の事を第一に考え、怒ったことなどほとんど見たことの無いようなアグスが、まるで獣のようにひたすら少女を殴り続けている。
そのあまりな光景に動くことができず…そしてアルスが殴られ続けてぐちゃぐちゃになった顔で、自分を見て微笑んでいることに気が付いた。
「あなたは…なるほど…いいですね~あなたには「私達」の同胞になれる素質を感じます…さぁどうかあなたの欲を私に見せて…?」
するすると黒い触手がフリメラにゆっくりと近づいてくる。
動きは遅く攻撃する意思は感じないけれど、このままではアルスに飲まれる…そうフリメラは感じていた。
今も獣のようにアルスを殴り続けるアグスを見て自分がああなってしまう事への恐怖と…一抹の高揚感のようなものを感じていた。
「だめ…やめて…お願い…」
「あぐっ…、だい、じょうぶっ、ですよ…怖がらないで。欲を持つことは正しく生きる人間のあかしなのですか、ら…」
その触手がフリメラに触れようとした時、その触手が切り飛ばされた。
「…レクトさん…?」
「大丈夫…?」
「ええ、なんとか…」
「そっか…」
立ち上がっていたレクトがフリメラを庇うようにして聖剣を構える。
「アグス!君も正気を取り戻すんだ!」
「っ!…れく、と…?」
アグスの動きが止まり、ぎこちない動きでその視線をレクトに向ける。
それを見たアルスはため息を吐くとアグスの顔にそっと触れた。するとアグスはまるで糸が切れた人形のように意識を失い倒れる。
「アグスに何をした!」
「眠ってもらっただけですよ。本当に、本当に下らない生き物ですよあなたは。下品で下劣で気持ち悪くて吐き気がする」
ゆっくりとアルスは立ち上がり、姿勢を整えたときにはその身体は元の綺麗なものに戻っていた。
「俺を気持ち悪いと君は言うが、俺には君こそ理解できなくて恐ろしい生き物に見えるよ」
「でしょうね。あなたのような気味の悪い物には私の姿はそう映って当然です」
「ずいぶんとハッキリ言い切るって…うっ!?」
一切の予備動作を見せずに触手がレクトの身体を打った。
そうなってしまえば先ほどと同じく無数の触手に弄ばれるように身体を打ちつけられていく。
「先ほどは手心を加えましたが、もう無理です。殺します」
触手の先端が鋭く尖り、レクトに向けられる。
「あなたはきっとこの先、世界にとって良くない結果をもたらします。故に人々の安寧のためここで散りなさい」
レクトが死を覚悟したその時、空中になにか影のようなものが見えた。
「あれ、は…」
それは空から落ちてきているようでどんどんと大きくなり、その姿をはっきりとしていく。
やがて形を認識できるようになり、人型のように見えたそれは…彼も見知った者の顔で…。
「リリさん…?」
「何を言っているの…え?」
空から舞い降りた人形の形をした神…リリがアルスの身体を手にしたナイフで切り裂いた。
その光景を見た俺の意識は静かに沈んでいった。
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