なめくじのなめ郎くん

月鮫優花

なめくじのなめ郎くん

 ぼくはグルメななめくじ。

 あの日もまた、美食を求めて旅をしていた。森の中を進んでいたら、その途中、甘い香りがしてきて、ぼくはその方向へワクワクしながら進んでいくことにした。

 すると、そこには人が立っていた。身なりはとても汚くて、服はしわくちゃで汚れていて、髪もボサボサ。けれど、顔は線が細くて、中性的で、とても美しい人だった。神秘的なイメージに思わず魅入っていたら、声をかけられた。

 「どうしたの?」

 「あ、ええと、ここから甘い香りがして。それで美味しいものはないかなぁと思ってきたんです。」

 「甘い香り?それならこれのことかな……。はい、どうぞ。」

 そういってその人はぼくにキラキラした石をくれた。確かに甘い香りがした。

 びっくりした。美しい人に話しかけられたからびっくりしたのもあるけれど、まさか意思疎通ができるだなんて思ってなかった。それに、この宝石、とても美味しい!

 「あの、もしかして、あなたは魔法使いか何かなんですか?」

 「魔法使い……の、なり損ないかな。他の魔法使いは何十何百と様々な魔法を使いこなせるものだけれど、私の使える魔法はたった2種類だからね。一つは、君みたいな本来言葉の使えない生き物と喋ることができるようになる魔法。もう一つは、記憶を甘い香りのする宝石に変える魔法だよ。」

 記憶を宝石に変える魔法、そんなものもあるのか。少し興味が湧いてきたから、追加で質問してみる。

 「記憶を宝石に変える魔法って、どういう魔法なんですか?」

 「どういう魔法って。そのままだよ?」

 少し呆れたように魔法使いさんは笑った。それでも説明してくれた。

 「記憶を宝石にして、脳みそからは消し去ってしまうんだ。私は出来損ないの魔法使いだから、まあ悲しいことばかりあって。それを全部忘れてしまうために宝石を作っているんだ。」

 その言葉を聞いたぼくは、少し物悲しさを感じたけれど、魔法使いさんは変わらずへらへらと笑っていたので、そういうもんなんだな、と心得ることにした。

 「ところでなめくじさん、お名前は?」

 「名前はありません、ただのなめくじなので。」

 「ん〜、じゃあ、なめ郎、なんていうのはどうだい?」

 なめ郎。正直にいうと少しダサいなと思った。でも、名前をもらうのはこれが初めてで、結構嬉しかったので、ぼくは笑顔で返事をした。

 「はい。素敵な名前をありがとうございます。魔法使いさんのお名前は?」

 「私はオマエ。本名ではないかもしれないんだけれど、確かそう呼んでくれた人がいたと思うんだ。さて、なめ郎くん。お互いの名前を知ったところで折り入ってお願いがあるのだが、また明日もここにきてくれるかい?何だか君と話していたら少し心が軽くなったんだ。美味しい宝石もあるし、どうかな?」

 オマエさんの綺麗な瞳に見つめられて、ぼくはそのお願いを了承することにした。というかやっぱり純粋に、明日のご馳走が楽しみだった。どんなに長生きしてどこに行っても、あれより美味しいものは食べることができないということが直感できていたのだった。

 そしてぼくは次の日も同じ場所へお前さんを訪ねた。

 「お!なめ郎くん。本当にまた来てくれたんだ。立ち話もなんだし、私の家に来ないか?」

 そう言われて連れていかれたのは、ひどく汚い小屋だった。玄関の前から鼻の曲がりそうな臭いがしていて、ギイギイ音のするボロいドアを開けていざ中に入ってみたならば、そこには埃や蜘蛛の巣にまみれた部屋が一つあるのみだった。そのくせモノは溢れかえるほどあった。床に中身をこぼしている大きな薬のビン。日当たりを悪くしている、天井に何故か釣り下がっている沢山のロープ。しまいには机の上に剥き出しで置いてある汚れたままのナイフがあるのを見つけてしまい、ゾッとした。危ないだろう。

 けれど、オマエさんの作る宝石はやっぱり美味しくて。

 「明日は森じゃなくてここに来ておくれよ。」

 そう微笑まれて、また了承してしまったのである。

 そういうことでその次の朝は内心少し憂鬱ではあった。しかし、驚いたことにオマエさんの小屋の中はすっかり片付いていたのである。

 愕然としているぼくにオマエさんは少し自慢げに笑って声をかけてきた。

 「綺麗になっただろう?」

 「はい。でも、どうして?」

 「せっかくなめ郎くんが来るのにあんな調子の部屋じゃあ良くないと思って。それに、もう過去にとらわれているのも、やめにしたいしさ。」

 そう言ってお前さんは大きく膨らんだゴミ袋を撫でた後、ぼくに宝石をくれた。

 綺麗になった部屋で食べる宝石は一段と美味しかった。食べながら、前日には見えていなかった壁にポスターがあるのを見た。何が書かれているのか、自分だけでは分からなかったけど、そのまま見ていたらオマエさんが教えてくれた。

 「あれはね、この宝石を作る魔法のやり方が書かれているんだ。嫌な記憶を忘れてしまう前に魔法のやり方を忘れてしまったら、辛いからね。」

 オマエさんは軽く笑っていた。けれど、ぼくはその目にどこか頑なさを感じた。

 「明日も来てくれるかい?」

 「……毎日でも来ますよ。」

 本当かい!?とオマエさんはとびきりの笑顔を見せてくれた。ポスターを見ていた時の笑顔より、こっちの方がいいな、と思った。

 その翌日もぼくはオマエさんの家に行った。この日のお前さんは玄関先に立っていた。

 「おや、なめ郎くん、ご機嫌よう。すまないが、私は今から出かけるところだったのだよ。」

 「な、なんでですか?」

 「なんでって。ちょっとした散歩だよ。なめ郎くんこそ、どうしていつも来てくれるんだい?」

 少し呆れたようにオマエさんは笑った。なんでもないようにつま先で軽く地面を突いていた。ぼくは悲しい気持ちになって、弱々しい声しか出せなかった。

 「オマエさんと、約束したからですよぉ。」

 「そうかい、けれど申し訳ないね、あいにく忘れてしまって。」

 申し訳ないと言っていた割に、オマエさんは笑っていた。どこか自慢げですらあった。概ね記憶が消えたことを喜んでいたってところだろう。本当は許してもらおうだなんて思っていないんだろうと思った。

 オマエさんは続けて言った。

 「けれど、なめ郎くんは覚えていてくれたんだろう?嬉しいよ。待っていて、今ご馳走の宝石を持ってくるからね。」

 オマエさんは穏やかな笑みでいつものように宝石をくれた。ぼくが約束を覚えていたのが良かったっていうのは本当らしかった。

 食事を終えたぼくは、また明日来ますね、と言って帰った。オマエさんの顔を確認するのはなんだか怖くてできなかったけど、そんなに悲しい顔はしていなかったと思う。

 そして、その次の日。

 ぼくはやっぱりオマエさんの家に行った。

 「おや、きみじゃあないか、宝石をどうぞ。」

 オマエさんはいつもより清々しい感じがしていて、だからこそだろうか、ぼくは嫌な予感がした。

 「ありがとうございます、オマエさん。この宝石はやっぱり美味しいですね。」

 「それは良かった。このポスターに、作り方と、なめくじさんに渡すといいってことが書かれていたんだよ。」

 そう言ってポスターを見て微笑むオマエさんを見て、ぼくはますます嫌な予感がした。

 「ぼくのために作ったんですか?それ以外に目的はなかったんですか?」

 「そうだね、ポスターにそうするといいって書いてあったから。」

 「じゃあオマエさん、ぼくの名前が言えますか?」

 「……………………………………ごめんね。」

 オマエさんは苦笑いをしていた。あとは沈黙と4文字、それが答えってわけだった。ぼくの予感していたことは、間違いじゃなかった。

 それでもぼくは往生際悪く、希望を探した。

 「ぼくのなまえはなめ郎っていうんですよ。」

 「なめ郎?ははっ。」

 オマエさんはぼくの名前を繰り返すなり、声を出して笑った。

 「なめ郎、そうか、なめ郎かぁ。あははっ、はぁ、すまない、ふふっ。あんまり人の名前を馬鹿にするのもよくないとは思うんだけどね、なめくじだからなめ郎なんていくらなんでも安直すぎるだろう、ははははっ。端的にいえばダサいよ。あはっ、あははははははっ。」

 ぼくにとって、今までで一番嫌な笑い方だった。

 ぼくは本当に何もかも嫌になってしまい、食べかけの宝石もほっぽり出してその場から逃げてしまった。

 とにかくどんどん進んで遠くに行こうと思った。その間も考え事をしていた。小さな脳みそを一生懸命動かして、嫌なことを考えていた。

 どういうわけでぼくはまだ出会って数日のオマエさんにこんなに心を揺さぶられてるっていうんだろう。訳がわからないほど悲しい、おかしい。心がグチャグチャだ。なんで?なんでだろう、美味しいものをくれたから?美人だったから?ああそうか、ぼくはオマエさんのことをこの数日だけで好きになってしまったんだ、そういうことなんだろう、少なくともぼくはオマエさんの宝石と笑顔が好きだったんだから、これは確かなことだ。

 じゃあ、この悔しさや悲しさは、オマエさんがぼくのことを覚えてくれていなかった、片想いの痛みってところかな。ああ、でも、それだけじゃないかも、オマエさんに記憶がないこと自体がすごく悲しい感じがする。オマエさんにとって、本当に楽しかった、嬉しかったっていう忘れたくないような思い出は何一つなかったのかな。ぼくはそんな思い出の一つにはしてもらえなかったのかな。

 本当はオマエさんはオマエさん自身に幸せな思い出が一つあることすら許せなかったのかもとすら思うけどな。だってオマエさんはいつもぼくに許しをこいたことがないんだもの。いつも笑っていたのだってオマエさんがオマエさん自身を諦めていたからだろう?これは流石に独りよがりすぎるか。

 とにかくぼくはオマエさんが好きで、オマエさんに記憶がないことが悲しい。だけど、オマエさんの記憶でできた宝石はとても美味しくて、ぼくはそれを進んで食べに行って、それでも、こんなぼくでも、オマエさんのことを、まるで、愛しているみたいに言う権利なんて、あるのかな……。

 いつの間にかまた一つ夜が明けていた。ぼくは、花を持ってオマエさんの家の前にいた。そうすることで何か答えが得られればいいなと期待していた。

 そのうちオマエさんがぼくを見つけて、花を受け取ってくれた。すると、オマエさんは花を少しの間じっと見つめたあと、口に丸ごと頬張った。数回噛まれて、呑み込まれたのを見た時、ぼくはようやく何かの手がかりに触れた気分になれた。

 それから毎日、ぼくはオマエさんの家に花を持ってきている。とびきり美味しい花。オマエさんは時折ぼくに微笑む。ぼくがいつまでこうしていられるのかはわからないけれど、どうかオマエさんが幸せでありますように。

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