再会

 船の甲板に置かれたセレネの耳には、多数の声がおぼろげに聞こえてくる。


「間に……おい、誰……」


 パウルスの声。ああ、遅れてやって来たんだ。多分、救援に手間取ったんだな。でも、イラクリスのために船を出そうとしてくれたんだ。やっぱ、この人は良い人だ。


「セレ……死んじゃダメ!」


「おい、じゃじゃう……姉ちゃんが悲しむぞ……目をさま……」


 これは姉とレス島のうるさい女王様の声。あたしのために泣いてくれるの? とても嬉しい。でも、あたしの体はボロボロでさ。これっぽちも動かせないや。


「セレネさ……遅れてごめんな……もっと早くグラ……」


 これは姉貴の旦那の、確かダフニスだったかな? あたしの無茶なお願いを聞いてくれてありがとう。イルカでグラエキアまでひと泳ぎしてもらって、あっちのお偉いさんを説き伏せて、船団の派遣をお願いするなんて今思えば馬鹿な話だけど、本当にやってくれたんだ。遅れたことなんて、あたしは怒ってないよ。勝手なお願いをしたあたしに責任があるんだからさ。


「姉御、死なねえでくだせえよ! ほら、いつもの……あっしに指示してくだせえな。『おい、次の目標……』って!」


 この声は間違いなくデメトリオだ。間違いようがない。あたしゃ相当あんたをこき使ってた気がするのに、それでもあたしを心配してくれるのか。本当に良い男だよ。あんたがいるから、あたしは海上で何度も命を救われたんだ。「ありがとう」って伝えたいんだけど、水を飲みすぎちまって出来ないや。ちくしょう。


 セレネが親しい者たちの言葉を聞き、嬉しさと後悔を感じていると、彼女の唇に温かく柔らかい感触の「何か」が触れるのを感じた。それは胸を圧迫された後に行われたものだった。


(心肺蘇生? 誰だか分かんないけど、ありがとう)


 彼女への蘇生行為は実を結んだ。意識も徐々にはっきりしてくると、セレネはおもむろに体を起こす。


 傍にいたのはアレクサンドロスだった。彼はアケイオス海軍と協力して、援軍として駆け付けるようにセレネから言い含めていたのだが、ダフニス同様に遅れて参上したのだった。


「セレネさん、良かった! 遅れてきてすいません。俺がもっと早く来てれば――」


「いや、あんたは悪くない。それに」


「それに?」


 顔を赤らめて、セレネは言った。


「あたしを助けるために、頑張って人口呼吸してくれたんだろ? その……あたしこそありがとうって言わないとさ」


 セレネを助けたい一心で無我夢中のアレクサンドロスは、自分が彼女に何をしたかを徐々に理解していく。状況が状況とはいえ、異性に口付けをしたわけで……。


「ご、ごめんなさい! 怒ってますか?」


「全然、むしろ――」


 海の香りを肺に取り込んでから、セレネは彼に思いの丈をぶつけた。


「助けてくれてありがとう。愛してる!」


 生きているから好きな人に、親しい者に、顔見知りになった者に会える。


 セレネがアレクサンドロスに告白をし、彼を力一杯に抱きしめる様子を見た人々も、十八歳の乙女の笑顔に希望の光を見せられたようだった。



 こうして指輪は破壊され、世界は守られた。そして、テイテュス女王の魂はコーネリアス――太陽神ヘルメイアスの嫉妬心と共に西の世界、つまりは海の女神メセニエスの魂が眠る場所へと帰っていった。


 さらにもうひとつ。ナクサス島である異変が起きた。


「ムカデが!」


 島の支配者である猛毒のムカデたちが西の海岸へと向かうと、そのまま海に入っていったのだ。まるで、西に帰還した女王の魂に呼ばれたかのように。


 真相は不明だが、これだけは言える。


 ナクサス島から「呪い」が解かれたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る