第五話 宮廷追放(一)

 三人で子猫の傍へ駆け寄ると、子猫はゆっくりとこちらを見た。野生や迫害を受けた獣人なら怖がるだろうが、怯えた様子はない。

 驚かせないよう、叡秀はそっと手を子猫の前に差し出した。


「大丈夫? どうしたの?」


 子猫はにゃあ、と小さく鳴いた。けれど猫の言葉は叡秀には分からない。

 陽紗の言った『獣人が人間に捕まる事件』というのは、言葉による意思疎通ができないことが原因だ。悪意がなくとも、野良だと思い飼育してしまう。与えるのは獣の食事で、人間態に必要な栄養素は取れず獣としてしか生きていけなくなる。

 その結果、愛玩飼育されるしかなく、捜索願が出てようやく発見に至る。

 だが保護直後から人間態になることを前提とした食事をすれば、すぐに出自を聞くことができる。

 叡秀はひとまず、陽紗に貰った獣人用饅頭を差し出した。


「食べていいよ。でもこれだけじゃ駄目だ。人間態になれる料理を出してあげるから、一緒に来ない?」


 子猫はぱくりと饅頭を咥えると、そのまま叡秀に飛びついた。食べながらしっかり叡秀にしがみついている。


「よかった。じゃあ急いで帰ろう。体も洗わないとね」

「俺ごしごししてあげる! きれいにしてあげる!」


 叡秀は小猫を抱いて、侑浬は侑珠を抱いて自宅へ戻った。野性みある家に子猫は驚いて、いっそう強く叡秀にしがみついた。野生に慣れていないのだろう。

 侑浬に水浴びを任せると、水を怖がる様子もなかった。おそらく人間社会で生活していた獣人で間違いない。

 叡秀は台所へ入り、料理譜を取り出した。獣種に適した料理は様々で、薬膳以外は頭に入っていない。


「猫は肉食だよね。えーっと、猫獣人食は、っと」


 獣人の食の好みは野生に準ずる。猫で言えば、柑橘類や酸っぱい物を嫌う。野菜は幅広く食べられるけれど、加熱が必要な物と生食でも大丈夫な物に分かれる。食べられない野菜もあり、葱類は駄目だ。他にも食べられるが注意が必要な物があり、それらを基準に献立を作る。果物や穀物も同様だ。

 だが全てを記憶しておくのは難しいため、『この獣種はこの料理』として記録されている。御膳官は記録を元に料理を作っていた。


「弱ってるし、やっぱり胃に優しい物がいいよね。鶏肉しかないから、茹でて鰹節と混ぜるか。南瓜を蒸して潰して……」


 叡秀はぶつぶつと口に出しながら考えるのが癖だ。

 猫獣人だけを意識して作ることには慣れていないが、御膳房で使っていた献立ならまず間違いないだろう。

 確認しながら食材と料理を選び、ぱっとできる簡単な物にすることにした。


「やっぱり鶏肉を茹でるだけがいいね。変に味付けして、嫌いだったら困るし。人化したら色々作ってあげよう」


 料理というほどでもない物をぱぱっと作ると、侑浬が子猫を洗い終わり戻って来ていた。汚れを落とせば毛並みは悪くない。やはり人里で生活していたのだろう。

 叡秀は蒸し鶏と柔らかくした南瓜を萵苣の葉に乗せ、余っていた白菜湯も出してやる。子猫は嬉しそうに飛び上がり、真っ先に南瓜へ顔を突っ込んだ。萵苣の葉も食べ、白菜湯の白菜もどんどん食べていく。

 しかし不思議なことに、鶏肉は全く手を付けなかった。猫は肉食だ。肉に見向きもしないのは違和感がある。


「鶏肉は嫌いだった? 他のお肉がいいなら買ってくるよ。牛肉? 豚肉?」


 子猫は叡秀の目を見てくれたけれど、ふるふると首を振って白菜湯へ顔を戻した。


「んー……まずはお腹いっぱいになればいいけど……」


 しかし肉を食べたがらない猫というのはあまり聞いたことがない。これから何を出してやればいいのか迷っていると、侑珠が叡秀の指をつんつんと突く。


「ん? 侑珠も食べる?」


 侑珠はふるふると首を左右に振った。小猫の隣にちょこんと座ると、ぷんぷんと小さな手を振っている。何かを訴えているけれど、叡秀には分からず首を傾げた。

 すると、侑浬がぽんっと手を叩いて侑珠を撫でる。


「叡秀。この子、猫じゃなくて兎なんだって。だから侑珠と同じ匂いだったんだ」

「え? どう見ても猫じゃない?」


 じっと子猫を見つめてみた。姿はどう見ても猫だが、よく見れば尻尾が少し丸い。


「もしかして混血? 親のどっちかが兎の直系なら、兎の血が濃い可能性はあるね」


 子猫は白菜を咥えたままぴょんと跳んだ。侑珠と鼻を寄せ合い、表情は嬉しそうに見える。


「そうだったんだ。じゃあ八宝粥にしよう。ちょっと待っててね」


 叡秀は侑珠も食べてくれた八宝粥を出した。白菜湯も追加で出すとどんどん食べてくれて、侑珠にも出すと二人で元気に食べている。侑浬も嬉しそうで、よしよしと侑珠と小猫を撫でた。


「よかった! たくさん食べるんだよ!」

「気が付かなくて悪かったね。どう? 人化できそう?」


 侑珠のように長らく栄養が足りていなければ時間がかかるが、これまでしっかりと栄養が摂れていたのなら、少し食べればすぐに人化できる場合もある。

 人化してくれることを期待したが、子猫はふるふると左右に首を振った。


「そっか。無理はしなくていいよ。家は分かる? 分かるなら連れて行ってあげる」


 子猫はふるふると首を左右に振った。どう見ても小さい子供だ。地理など把握していなくても仕方ない。

 けれど何かを伝えようとしてくれているのか、子猫は必死に身振り手振りをしてくれている。叡秀はどうしたものかと考え込んだが、侑浬はうんうんと頷いている。


「あ、遠い所から家族で来たんだ。家族とはぐれちゃったの?」


 侑浬はふんふんと小猫と意思疎通をしていた。小猫はにゃあにゃあと何度か鳴いたけれど、やはり人の言葉ではないので叡秀には分からない。


「侑浬。その子が何て言ってるか分かるの?」

「何となく。違う国から来たんだって。知り合いに呼ばれて遊びに来たみたい。こうするのはそういうことなんだよ」


 侑浬は小猫と同じような身振り手振りをした。その横では侑珠も同じような行動をしている。

 侑浬と侑珠は獣人だ。獣人同士特有の意思疎通方法があるのかもしれない。侑浬と侑珠は、叡秀よりもその場で理解できる情報が多いということだ。


「凄いね。分かってよかったよ。君がいいなら、人化できるまでうちにいるといいよ。ちゃんと会話できれば、僕がしてあげられることも分かる」


 子猫はぴょんぴょんと飛び跳ね、叡秀の肩に飛び乗り頬を摺り寄せてくれる。有難うという意志表示であることは分かった。


「食べ終わったら陽紗の所へ行こう。必要な物を揃えなくちゃね」

「陽紗は獣人に優しい人間だよ。楽しい人だから遊んでくれるよ、きっと」


 小猫は侑浬が話をしてくれるから安心したようだった。

 食べ終わると、叡秀たちは再び陽紗の店へ向かった。愛玩獣種である猫と兎は専用の商品も多い。食べ物も工夫されていて、人里の育ちなら気に入る物もあるだろう。

 侑浬と侑珠も嬉しそうで、じゃれながら歩いていく。すると、先ほど騒いでいた東から来たと思われる男たちが掲示板に何かを張り出していた。

 まさか侑浬と侑珠に関わることかと、二人を不安にさせないようにちらりと横目で見る。だがそこに書いてあったのは全く別の人物についてだった。

 張り紙には迷い猫の捜索願が書かれており、探されている人物は『麗華国第一王子猫玲殿下』だった。

 ――描かれている容姿は、拾った子猫によく似ていた。

 叡秀は思わず立ち止まり、歩き続けていた侑浬の手がくんっと引き攣れる。


「叡秀? どうしたの? 行かないの?」


 掲示板より背が低い侑浬は張り紙が見えていないようだった。叡秀はそっと肩に乗っている子猫に目を向ける。


「つかぬことをうかがいますが……もしかして麗華国の猫玲王子では……?」


 麗華国はここよりも東の国だ。御膳房でも麗華国の王族が来ていると話があった。

 子猫は掲示板の上に乗った。てしてしっと張り紙を叩いて頷いている。

 ――猫玲王子だ。

 朝から捜索されていたのは、侑浬と侑珠ではなくこの子猫だ。

 叡秀は血の気が引いた。失踪中の王子を連れ帰ったなんて、知らなかったとはいえ誘拐に等しい。男たちに声をかけようと、猫玲王子を抱き上げ肩に手を伸ばす。しかし、叡秀が肩を叩くより先に男が振り返ってきた。

 男の目はすぐに猫玲王子を捕らえ、奪うように叡秀へとびかかってきた。


「貴様! 貴様が王子を連れ去った誘拐犯か!」

「は⁉ いやいやいや、違」

「子供で懐柔したか。何と卑怯な奴だ。おい! 捕まえろ! 誘拐犯だ!」

「違うって! 話を聞いてくれ! 子供たちに乱暴をしないでくれ!」


 男たちは叡秀の叫びなど聞かず、叡秀だけでなく侑浬と侑珠も捕まえた。侑浬は侑珠を抱きかかえ丸くなり、動かないのでそのまま抱きかかえられる。


「やめろ! その子たちはまだ具合が悪いんだ! 触るな!」

「黙れ! 来賓へ危害を加えたこと、あの世で後悔するがいい!」


 言い分は聞いてもらえず、叡秀と侑浬と侑珠は馬車へ乗せられた。侑浬はひどく怯えていて、叡秀はしっかりと抱きしめてやる。


「大丈夫だよ。誤解されてるだけだから、すぐ家に帰れる」

「うん……」


 侑珠も侑浬の腕の中で震えていた。これでは人身売買の連中と同じだ。

 何があっても侑浬と侑珠は安全な場所へ返してやらなくてはいけない。万が一の時は、雲嵐に引き取ってもらうしかないだろう。

 叡秀たちを乗せた馬車は、人が行きかう場所を駆けるには速すぎる勢いで走った。毎日五刻かけて歩く距離を二刻で到着し、引きずられるように宮廷へ入った。

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