第三話 獣人の寿命と新生活

 何から教えようか考え、世界地図を取り出した。これも雲嵐が教えてくれた知識で、雲嵐がくれた物だ。地図を広げて翠煌国をとんっと指差した。


「まずはこの国を知ろう。ここは翠煌という人間の国だよ。一番偉い人は人間だけど獣人もいっぱいいる。みんな協力して生活してるんだ」

「へえ……良い人間の国なんだね……」


 良い人間、というのは難しい表現だ。

 獣人に好意的な人間を『良い人間』と断定するのは、虐げられていたからだろう。人間主権国家は獣人を嫌う。化け物扱いする国も多い。


「全員が善人じゃないけどね。普通に生活はできるよ。孤児を育てる施設もある」


 あるけれど、あるだけだ。

 何も知らないであろう侑浬は、期待に目を輝かせて前のめりになった。きっと叡秀の両親が期待したのと同じ想像をしているのだろう。

 叡秀は侑浬の隣に座り直し、そっと頭を撫でる。


「侑珠君を育ててほしいと言っていたね。それは侑浬君の方が早く死ぬから?」

「……うん。虎より兎の方が長生きなんだ。俺が生きてるうちに侑珠の家族を見つけておいてやりたいんだ」

「そっか。偉いね。弟の人生を考えてあげられるのは、とても素晴らしいことだ」


 だがとても寂しいことだ。侑浬が育て親を探しているというだけで、侑珠は悲しい気持ちになるだろう。少なくとも、叡秀は寂しく感じていた。

 叡秀は侑浬の震える肩を強く抱いた。


「よく聞くんだよ。翠煌国獣人の平均寿命はどの種族も八十歳前後。虎より兎が長生きなんてことはない。異獣種でも同じくらいの寿命を生きられるんだ」

「……え?」


 侑浬はびくんと身体を揺らした。目を丸くして、呼吸すら忘れているようだった。

 叡秀はとんとんと優しく背を叩いてやる。


「確かに獣種ごとに寿命の差はある。けど、それは獣人医療がない国と野生の話だ。翠煌国は獣人を長生きさせてくれる医療があるんだよ」

「嘘だよ。早く死んじゃう人ばっかりだったよ」

「そうだね。じゃあ野生では草食より肉食の方が早く死ぬのはどうしてだと思う?」

「そういうものだから?」

「確かに生態で差はあるけど、それだけじゃないんだ。理由は大きく二つあって、一つは食事。植物は動かないから草食は食事が簡単だね。でも肉は獲物を探して狩らなきゃいけない。野生の肉食獣は食事を得るのが大変なんだ」

「けど、人里の兎は特に長生きだって聞いたよ。俺より長く生きるはずなんだ」

「それは生き方の知恵だね。人間は小動物を愛玩して飼う。力の弱い愛玩種獣人は、わざと人間に飼われて長生きしたんだよ。愛玩獣種は昔から専門医がいた」


 今では当たり前になった『愛玩獣種』というのは、人間から生まれた単語だ。

 人間、特に富裕層は動物を飼育する。家畜として扱う畜産業と違い、金をかけて健康的に美しく育てることを目的とする。獣人医療の始まりは人間が愛玩するためで、本来獣の獣人にも有効だった。

 獣人医療の有用性を知った人間は、全ての獣人に適応する医療の研究を始めた。

 人間は知識欲が旺盛な種族だ。高い頭脳で未知に挑む姿勢は獣人にはない物で、獣人にとっては有難い。


「二つ目の理由はそれに近いかな。人間の寿命が長いのは医療のおかげだ。人間は命を活かす技術に長けていて、翠煌国は獣人を生かす医療も開発した。獣人の平均寿命も人間並みになったんだ」

「この国は……そんな良い人間がいっぱいいるの……?」


 良い人間、なのだろう。侑珠と長く生きたい侑浬にとっては善人だ。

 だが知識欲と愛情は必ずしも一致しない。研究をしたいだけの人間は獣人を研究材料のように扱う時もあり、諍いになる場合もある。だが治験には多額の報酬が支払われるため、人間と同等の生活を求める獣人は積極的に協力をした。

 ――翠煌国は獣人を愛する国ではない。異種族の利害を一致させただけの国だ。

 けれど、叡秀は利害の一致による改善推進が最良に思えた。

 利害さえ一致すればいいだけなら金で全てが解決する。医者にかかる金を稼げればいいだけだ。利害の一致こそ、獣人に有益な手段だ。

 侑浬を抱きしめると、腕にすっぽりと収まった。しっかり者の兄でもまだ子供だ。

 死を想定して生きるにはあまりにも幼い。


「翠煌国なら二人一緒に生きていける。育て親探しなんてする必要ないんだよ」


 侑浬は叡秀の背に手を回し、ぎゅうっと強く握りしめる。侑浬が鼻をすする音が聞こえ、侑珠は侑浬の肩に飛び乗り鼻を擦り付けている。

 愛する相手を繋ぎとめるために寄り添うのは、かつて叡秀もやった覚えがある。

 侑浬は叡秀から身体を離し、侑珠を抱きしめ頬ずりをした。


「侑珠とずっと一緒にいられる? 大きくなった侑珠を見たいんだ」

「見られるよ。侑浬君も大きくなる。そのためにも、正しい食事の知識を知ろう。さっき少し言ったけど、草食獣人も肉が必要なんだ」


 涙が零れた侑浬の頬を拭い、侑珠が鶏肉を残した白菜湯を手繰り寄せる。


「獣人は『獣態』の時と『人間態』の時で、体内組織が違うんだ。変態の仕組みは解明されてないけど、獣態と人間態で必要な栄養素が違う。人間態は動物性の栄養も植物性の栄養も、どっちも摂取しないといけないんだよ。栄養は変態に関わる」


 侑珠は人化をしない。湯浴みも食事も人間の姿の方が便利で、一般的な獣人は人間態で行う場合が多い。変態は便利な生活をするための手段だ。

 それでも人化しないのはできないからだろう。侑珠を撫でると、嬉しいのか、ぴるぴるっと耳を動かした。愛らしいけれど、人間社会では人間態が必要だ。


「人化できない理由は栄養不足。人間態を保つための栄養が足りないんだ。草食獣人は動物性の栄養が不足しがち。肉を食べる本能がないから意識的に食べないといけない。肉食獣人はその逆だね」

「肉は肉食獣人だけが食べてたんだ。獲物をあんまり取れなかったから。侑珠にもあげなきゃいけなかったんだね……」

「今からちゃんと食べれば大丈夫だよ。健康になる料理を食べるんだ」

「薬膳?」

「そう。これは栄養たっぷりだから健康になれる。僕は御膳官といって、健康になる食事を作る仕事をしてるんだよ。得意分野なんだ」


 侑珠は叡秀の話を理解したのか、じっと鶏肉を見た。

 野生育ちの獣人は人間の言葉を知らない場合が多い。会話が必要な人間社会にいたのだろう。

 次は叡秀が持ってきた献立の本に目を移しじっと見ている。

 野生育ちの獣人は、言葉と同じく文字を知らない者が多い。

 だが『文字を読めない』という認識ができるのは、文字は読む物と認識しているからだ。やはり人間社会にいたのだろう。

 侑浬はぐっと拳を握りしめ、立ち上がると叡秀の袖をがっしりと掴んだ。


「薬膳って俺でも作れる⁉ 侑珠を健康にしてやりたい! 俺も御膳官やりたい!」

「御膳官になるのは難しいけど、薬膳は誰でも作れるよ。教えてあげようか?」

「いいの⁉ やりたい! 教えて!」


 侑浬はぱあっと笑顔になり、侑珠を抱き上げ愛おしそうに頬を寄せた。


「お兄さんすごいね! 獣人も助ける御膳官なんて、とっても格好良いよ!」

「そんな大げさなことじゃないよ。薬膳自体は昔からあるものだし」

「でも獣人のために作ってるんでしょ? 嬉しい獣人いっぱいいるよ! 侑珠も!」


 獣人のため――そう言われて、叡秀は苦笑いをこぼした。

 叡秀が薬膳を作り始めたのは獣人のためではなかった。ただそれしかないだけで、選び抜いた一択ではない。

 それでも侑浬は目を輝かせている。侑珠も嬉しそうに飛び回りじゃれついている。


「まず何すればいい? 俺焚火で焼くくらいしかできないんだ」

「火が怖くないなら上等だ。でもその前に、衣服を調達しに行こう。獣人専用衣っていうのがあるんだ。そういう生活知識も教えてあげる」

「本当⁉ 有難う! 侑珠。侑珠もお兄さんにお礼して!」


 侑浬はしっかりと侑珠を教育している。人間社会で必要な最低限を教えられるなら、侑浬自身が成長すればちゃんと育てていけるだろう。

 前向きで行動力があり、深い愛情がある。大切な物が侑浬には備わっている。

 叡秀は二人を撫でた。かつて両親と雲嵐がそうしてくれたように。


「叡秀でいいよ。お兄さんって柄じゃない」

「そうなの? じゃあ俺も侑浬って呼んで。侑珠は侑珠だよ」


 侑珠はぺろっと指先を舐めてくれた。侑浬を舐めていた舌で触れてくれるのは、とても嬉しかった。

 もう一度二人を撫でてから、叡秀は棚から羽織を取り出した。叡秀が使えば腰より少し長いくらいだが、侑浬ならすっぽりと全身が隠れるだろう。


「今の脱いで、これを羽織って前を留めよう。外を歩くのに人間衣服を着てちゃ危ないからね」

「何で? 姿は人間と同じだよ」

「でも急に獣化しちゃったら首や身体が締まっちゃうよ。生地は伸びないから」

「大丈夫だよ。しようと思わなきゃ獣化も人化もしないから」

「普段はね。でも倒れた時みたいに、制御できない時もある。獣化も人化も身心の疲労が影響するから万全を期す必要があるんだ」


 侑浬はぽかんと口を開け、今着ている衣服と羽織を見比べた。手足を引き抜いて頭から脱ぐのは動作が多い。


「考えたことなかった。そっか。すぐ脱げる衣服がいいんだね。でも俺お金持ってないから買い物はできないんだ。気を付けるからこれで十分だよ」

「衣服くらい買ってあげるよ。高給取りだからお金持ちだよ、僕は」


 叡秀は食器を台所へ戻して水を張った桶に放り込むと、侑浬に羽織をかぶせ、手を引いて外へ向かった。

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