後編

「そういえば」


 がたがたと揺れる車内。助手席に座っている加須鳥は、月刊粕取のバックナンバーを読みながら運転中の三田に話を振ってくる。


「私が三田先生の担当に着くよりも前の話なんですけど、三田先生ってコラム書いてましたよね?」


「まあ、普通に今でも書いてるが……」


「そうなんですけどそうじゃなくって、えーっとなんですかね……なんか、禁忌がどうのって感じの」


 そこまで言われて三田もぼんやりと思い出してきた。


「ああ、そうだね。夏が近づいてくるとだいたい似たような文を書くんだ。ほら、夏になると肝試しとか言って心霊スポットに近付く人が増えるだろう?」


「ちょうど、今回心霊写真を送ってくれた大学生グループみたいにですね」


 まさしくその通りなのだが、情報提供者に全く遠慮がないのもそれはそれでどうかと思う。


「……そう。そして心霊スポットというのは得てして危険なモノだ。山の中や海沿いは普通に遭難や海難事故の危険があるし、廃墟だって軽装で入れば怪我をしかねない。だから夏が近付いてくると色んな形で肝試しに行くなら気を付けろって感じの記事を書くことにしてるんだよ」


「そうですそうです。確かにそんな感じの記事を書いてましたけど、その中でもちょっと気になったことがありまして。禁忌がどうのこうのって記事を書いてませんでしたっけ」


 話しているうちに三田の記憶もはっきりとしてきた。3年以上前とは言え自分で書いた記事だ、記憶の中にはそれなりに残っていたらしい。


「ああ、禁忌についてだね。やってはいけないこと、言ってはいけない場所、そういったものには大抵理由があるのだからあんまり軽視するな、たしかそんな感じのことを書いたような……」


「そうですそうです!それですよ!その中で何か気になることを書いてたと思うんですよね。なにかこう、うーん……何を恐れろ、みたいな……」


「——本当に恐れるべき禁忌、それは」


 記憶の中から自分で書いた文章を思い出す。


「理屈のわからない禁忌、だ」


「……それは、どうしてですか?」


「さっきも言っただろう。禁忌には理由がある。危険な場所から人を遠ざけるため、有害なものを摂取しないようにするため、或いは信仰に依るもの……神仏や祖先の霊に対して敬意を払うため。それは言ってしまえば現代社会に存在するルールの延長線上にあるものなんだ」


「現代の……そうなんですか?」


「法律だってそうだろう?過去に起きた事件や事故を参考に、今や未来に生きる人々がより暮らしやすくなるようルールを作る。身近な例で言えば、学校の校則や店舗に掲載されている決まり事の中に一見しておかしなルールがあった場合、それは過去実際にそういうおかしなルールを設定せざるを得ないようなことを過去に実行した誰かがいたってことなんだ」


 例えば、アメリカのフロリダ州には”日曜日の午後に独身女性がパラシュートで降下してはいけない”という法律があるらしい。過去にどういったことがあってその結果としてそんな法律が作られたのかは想像するしかないが、恐らくは日曜日の午後に独身女性がパラシュートで降下したことに起因するトラブルが起きたのだろう。


「背景を想像できる因習や禁忌は、そういうものだと思えばいい。だが、破ったところで何が起きるのか全く想像できないような禁忌は……本物の心霊現象に関係している可能性が高い。だからこそ警戒が必要なんだ。そんな禁忌がある場所には、できる限り近付かない方がいい。つまりは」


 話しているうちに車は目的地に近付き、ゆっくりと停車した。


「こんな風な場所だ」


 車を降りる。あたりは長い間手入れされていないことがよくわかるほどに雑草が伸びており、部分的に人が踏み荒らした跡があるのみだ。

 雑草に囲まれるようにしてぽつんと建っている一軒家は、少なく見積もっても築年数50年は経っているだろう。こちらも人が住まなくなって長い時間が経っていることを伺わせるほどにボロボロだ。

 そして玄関には”はなさないで”と書かれた紙が貼られている。


「……三田さん、そんなこと思ってるのによくここまでついてきてくれましたね」


 半ば呆れたような声。そもそも誘いをかけたのが加須鳥だというのに、と言いかけてその言葉を飲み込んだ。


「仕方ないだろう。僕も僕で結局、こういうものには惹かれる性質なんだ。準備無しに突っ込むほど愚かではないが、危険だと知っていてそれでも怪しい話に首を突っ込んでしまう」


「じゃあまあ、似た者同士ですねぇ」


 違いない。三田と加須鳥は結局のところ同じ穴の貉、危険があるとわかっていてどころか実際に危険な目に遭って尚未知オカルトへの探求をやめられない、ろくでなしだ。


「そういうことだ、とりあえずまずは外観の調査から始めようか。何せ一度中に入ってしまったら一言も話せなくなるかもしれないんだからな」


 三田と加須鳥は今回、心霊写真(?)の現地調査をするに当たって事前にいくつかの下準備をしてきた。と言ってもできることはそう多くはない。廃墟探索をするに当たって装備を整えること意外は、専ら貼り紙についての考察くらいのものだった。


 はなさないで


 「話さないで」なのか「離さないで」なのか。どちらだとしてもそれは「何を」話しては、ないし離してはいけないのか。


 数日前、はなさないでの意味についてああでもないこうでもないと話し合っていた時のことを思い出す。


「私気になったんですけど、これってどうしてはなさないで、なんですかね?警告するならはなすな!とかになりそうですし、丁寧に言うならはなさないでください、とかになりそうじゃないですか?」


 何気なく発せられた加須鳥の言葉が、今に至るまでずうっと喉に刺さった魚の小骨のように気になっている。


「たしかに……いや、その観点で言うならもうひとつ気になることがある。このメッセージは玄関に貼ってあるということは、つまりは外からこの家に入ろうとする人間に対する警告の意味合いがあるんだろうが……それならばそもそも“入るな”とかじゃないか?」


「うーん、入るなの看板は近くに立ててあって、その警告も無視して家に入ろうとする人に対しての最後通牒、とか?どうしても入りたいってことなら仕方がない、その代わり中では絶対話すなよ!みたいな」


 筋は通っていなくもない。無論、近くに看板なりロープなりと言った立ち入りを禁止する物が見つかれば、の話だが。


 その後も三田と加須鳥は何度か話し合い、心霊関係に詳しい人間にも話を聞きに行ったりしたが、明確な回答が得られないまま今に至っている。


「じゃあとりあえず、辺りを探してみますか」


 結局のところ、準備期間の間に得られた結論は“とりあえず周囲をもっと探してみる”ということのみであり、現地に着いた2人はその方針通りに辺りの捜索を始めていた。


「看板か、トラロープか……とにかく人工物なら何でもいいから見つけたら教えてくれ。あ、それと家の方をチェックするのも忘れるなよ。例の投稿によれば、恐怖体験をしたって言うのは家の中を探索した人間じゃなく外から見てた側なんだろう?」


 はーい、と加須鳥の暢気な声。それを合図にしたかのように2人は時折家の様子を伺いつつ、周囲の捜索を開始した。





「なーんもないですね」


 捜索開始から1時間。人工物も心霊現象も近付いてくる人も見当たらず、ただただ活動時間相応の疲労だけが2人に蓄積していた。


「うむ……そろそろ切り上げ時か。一息ついたらいい加減家の中を探索するか」


 乱れた息を整えながら、三田は改めて家を確認する。


 長い間人が住んでいないことが明らかなほどにボロボロの民家、とは言え玄関に貼られた”はなさないで”の貼り紙以外には特別おかしな点は見受けられない。貼り紙にしたって誰かのイタズラかもしれない。大学生の証言だって誇張交じりかもしれない。


(加須鳥くんの勘にしたって外れることもそれなりにはある。今回はハズレを引いたのか、或いは……やはり家の中こそ心霊現象の核なのか)


 答えの出ない疑問だけが積み重なり、疑問と危機感がじりじりと三田の心を焦がす。加須鳥はそんな胸中を一切気にしていないのか、喉を鳴らしながらスポーツドリンクを飲み干している。


「ぷはぁ。了解でーす。にしても、これで何にも見つからなかったらどうしましょうねぇ?」


「なに、それならそれで書きようはあるさ。伊達に文章書いて飯食っちゃいない」


「まあ、私としては最終的に原稿さえ貰えたらオールオッケーなわけですが……でもやっぱり」


 そう言うと、加須鳥もまた件の家を見つめる。


「どんな秘密があるのか、それとも普通の民家なのか……どうせなら知った上で書きたいですよねぇ」


 君が知りたいだけじゃないか、と言いかけて言葉を飲み込む。知的好奇心に突き動かされているのは三田もまた同じであり、今更常識的な振る舞いをすることも無いだろう。


「そうだな……よし、それじゃあ行こうか」


 三田は気合を入れ直し、加須鳥は空になったペットボトルを鞄にしまい込み、共に玄関に向けて歩を進める。


 一歩一歩、心霊写真の舞台となった家に近付いているというのに、恐怖や怖気は感じられない。


 元々近くを探索していただけあって、間もなく二人は扉の前に立っている。改めて、貼り紙を確認する。


 ”はなさないで”と書かれた紙は雨風に晒されていたのが伺えるほどボロボロになっており、本来ならば前後に何か別の言葉が付け足されていた、という可能性も無くはないだろう。

 

 とは言え、今更の話だ。今更、何を考えたってわかるものでもない。今更、変えるという選択肢もない。


 覚悟を決め、三田は玄関の扉に手をかけ—―


「あ、すいません三田さん、やっぱダメです」


 加須鳥がそういうよりも早く、三田の腕は扉を開けるために動かされている。今更になって止められないというタイミングでかけられた声は三田の心に急速な勢いで不安感と後悔を与え、それとは関係なしに扉は開かれる。


 扉の 

                 なかには


   おおきな  おおきな

                    女の姿が

























 三田が覚えているのは、そこまでだ。

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