咲き誇る世界 風の四姉妹
初瀬 方貞
第1話 ある少女、瀧春菜の日常 1
幾度も見る光景。
白い清浄な空間、人によっては毒の瘴気の方がマシな空気が漂う場所。
その奥に美しい女が立っていた。
神々しくも見えるその姿はこの世界で彼女が聖女神と尊称されるに相応しい容姿であった。
だが、彼女の目に前に立つ、金色の長髪に長身で白いスーツを着た美麗な男はこの女が高々一万年ほどしか生きていないと知っていた。
彼女の力ではかなり強引な手法での延命であろう。
「聖女神様にはご機嫌麗しく」「前置きは無しだ。この世界で間違いないのか?」「ええ、一度呼んでみてはいかがかと」「…ふん」聖女神は鼻を鳴らすと左手を上に掲げてほんの少し力を注ぐ。
すると虹色に輝く円形の複雑な紋様が浮かび上がり、それがクルクルと回ると中央に何人かの男女が唖然として立っていた。
「…ほう…なるほど…」聖女神は空間の片隅に視線を向けると仰々しい格好をした男たち複数人が現れた男女たちに話しかけて連れて行ってしまった。
「そちの言うとおりだが、あれでは私は満足できんぞ」「…防人に護られているのが一人…それが最後です」
聖女神は満足そうな笑顔で頷いた。
男は深々と頭を下げたので聖女神は男が満足そうに蔑んだ笑みを浮かべてることに気づくことは無かった。
白い男は無駄に明るく荘厳で長い廊下を歩くと、その先に唯一の黒い装束の女性が控えていた。
フリルとリボンがやたらと多い黒いドレス、所謂ゴスロリといわれる装束で、それを着ている女性も黒い滑らかな髪を伸ばし、黒い瞳で白い肌がそれを際立たせていた。
「クォージ、待たせた」「いえ、何ほどのことでもありません」歩く男にそのまま並ぶように歩く。
「いかがでしたか」「何処にでも全能の神はいるものだ」黒い女性の質問に白い男は皮肉そうな笑みを浮かべて感嘆してみせた。
「よろしいのですか?」「私は怠慢に滅んでいく世界を許すことはできない」「左様ですね」女性の言葉に男は慈愛の笑みで頷いた。
四月上旬の早朝はまだ寒い。
藍知県の西部、周囲が田んぼに囲まれたところでは風が強いので冬は刺すような寒さだが、四月になれば少しは緩むがそれでも寒い。
店舗兼住宅の三階にある4畳半の自室、畳の上に敷いた布団から手を伸ばした瀧春菜は、枕元に置いた目覚まし時計をかけ布団の隙間から見た。
早朝5時前はまだ日は出ておらず、締めたカーテンからは光は入ってこないが、わずかな光があればアナログタイプの時計でも春菜はそれがうっすらと見える程夜目が利いた。
暖かい布団の抵抗も感じさせない勢いで起き上がった春菜は、中学二年生の少女の体躯で軽く伸びをする。
寝巻代わりの大きめのTシャツにショーツだけという、少々はしたない姿だがそれを包んでいる身体もそれほど強調されていない。
いや、どちらかと言えば細い方であろう。
軽く深呼吸すると春菜は手元にある部屋のシーリングライトのリモコンスイッチを押して明かりをつける。
明るいところで見る彼女は異質だった。
寝起きとは思えないシャッキリとした表情は美少女と言ってもよく、切れ長の目だが優しさがあった。
異質なのが彼女の髪の色が淡い紅毛で、春の色を思わせる。
地毛である証拠に眉毛も同色だった。
そしてやや濃い藍色の瞳を持つが肌の色、顔の作りは普通なのだ。
更に言えば彼女の家族も同じようなものだ。
春菜は立ち上がると布団を畳み、部屋の隅に移動するとTシャツをスパっと脱ぎ、やや細いながらも均整の取れた身体を露わにし、着替え始めた。
スポーツブラを付け、水色の長袖Tシャツを着て膝上の長さのデニムのスカート、フード付きのグレーのトレーナーを着る。
くるぶしまでの靴下を履くと、前日に用意した肩掛けの通学カバンを持って静かに部屋を出た。
ナイロンのカーペットが敷いてある廊下に出ると、大きめの窓が並び、その反対にいくつかの扉が並んでいた。
三階は姉兄妹たちの部屋があり、廊下の先に一室空いていた。
春菜はまだ寝てるはずの兄妹を起こさないように静かに歩く。
廊下の窓からはこの家二件分の舗装されていない駐車場が見えた。
階段も静かに降りて、二階の家族共有の生活スペースに降りる。
両親の部屋とキッチン、ダイニング、大きな風呂とトイレがあった。
トイレのドアが開くと紫紺の長い髪をポニーテールにした女性が現れた。
春菜の姉、冬菜だった。
「ねえさんおはよう。早いね」
「おはようさん。今日の配達の準備があるからね。今朝も修行?」
太い眉を少し持ち上げて、春菜と同じ藍色の目は優しげだった。
「うん。最近大分動けるようになったけど…なんでこんな事やるのかなぁ」
春菜はこてんと首を傾げた。
「まあ、損にはならないと思うよ。朝ごはんでしょ?食べといで」
「うん」
そう言うと春菜はダイニング、冬菜は玄関へと向かった。
ダイニングに入ると八人家族の大きなダイニングテーブルに、湯呑みやランチョンマットが並んでいる。
そして春菜の定位置に母が朝食を並べてくれていた。
「おはよう、春菜」
「おはよう」
母はにっこりと微笑んでくれた。
青みがかった銀の髪の毛を長く伸ばした美しい母だった。
空色の瞳は春菜がいつ見ても息を呑むような美しさだった。
声も透き通ったように聞こえる。
近所でも評判の洋品店の美人店主である。
春菜は六人子供を産み育てても年齢不詳の若さを維持する母は自慢であり、不思議な存在だった。
「ご飯できてるわよ」
母がそう言って飯碗にご飯たっぷり、汁椀に熱々の赤だしが湯気をたてている。
四角い平皿には塩シャケ、他のお皿にも玉子焼きやひじきの煮物などが乗っている。
春菜はそれを目で楽しみながら椅子に座り、「いただきます」と言ってから箸を持って食べ始めた。
はっきり言えば母の料理は美味い。
家はディスカウントショップ…中古の家電などを販売、設置する町の電気屋さんみたいなことをしている。
父、姉兄が力仕事がメインで少々味付けが濃い。
しかし、春菜たち姉妹も育ち盛りなので濃い味は好みである。
春菜は丁寧に手早く朝食を食べ、食べ終わるタイミングで母が温めのほうじ茶を湯呑みで出してくれた。
それをぐいっと飲み、一つ息を吐いて「ごちそうさま」と手を合わせた。
「はい、お粗末でした」
母はそう言って春菜の空いた食器を片付け始めた。
その後春菜はトイレに入り、洗面所で歯を磨き顔を洗う。
洗面台にあった化粧水を手に出してペチャペチャ顔にかけた。
カバンを持って玄関に行き、スニーカーを履いていると母が海苔の香りがする袋を持ってきた。
「春菜、シンマに持って行ってあげて」
にこやかに言いながら袋を手渡した。
「分かった。…いってきまーす」
「いってらっしゃい」
春菜は玄関を開けてまだ薄暗い中へと出た。
自宅は一階が店舗になっており、居住スペースである二階へは外に設えた階段を使用する。
割と広い敷地は店舗前にお客用駐車場が3台分あるが、春菜が降り立った店舗裏手はディスカウントショップ用の1トントラックと大きめのワゴン車、母が買い物で使う軽ワゴン車がある。
そして、在庫などを入れる大型コンテナ倉庫が一つと、家族の趣味用の乗り物や自転車を入れているガレージがある。
たまに大量仕入れで大型トラックが来るので余裕はあった。
田舎だからできる敷地の広さだろう。
春菜はガレージに入ると自分のMV―1のハンドルを掴む。
小径タイヤながら、兄が変速機やフロントギア、スプロケットなどを交換して走りがスムーズになって気に入っていたが、全力でペダルを漕ぐと時速八〇キロ近く出ると聞いて驚いた。
母の電動アシスト自転車や、兄のバイク、妹たちの自転車、父の車などがガレージにあった。
自転車をガレージのドアから出し、カバンと袋を前カゴに入れると春菜は自転車で走り出した。
MV―1は軽快に走っていく。
周囲は田んぼばかりだが、春菜は西側の国道の方向に向かっていく。
道は舗装されているが、早朝では車通りは少ない。
やがて南北に走る国道に出ると、ちょうど歩行者信号が青だったので、急いで渡る。
ふと視線を上げれば少し遠くに葉浪山脈が見えた。
春菜の住むところは本当に田舎だった。
車や自転車などの足が必須であった。
田んぼの間の道を走り、用水路に架かる橋を渡り、着いたのは広い敷地の神社だった。
しかし本殿は奥に小さいのがあり、周囲は雑木林でかこまれているのだが、ちょっとした学校の敷地くらいの広さがあった。
春菜が自転車を停めたのは、参道らしき直線の道の前。
入り口に石製の鳥居が立ち、左右に大きな石灯籠が五基ずつ並ぶが手入れはされていないようで薄汚れている。
その奥に小さな本殿が建っているが大体百メートルくらい先だ。
袋を手に持ち、その場で少し屈伸運動して一つ深呼吸すると、いきなりトップスピードで走る。
その脚力は十四歳のそれではなく、トップスプリンターを凌駕していた。
春菜は肌にピリッとした感覚を感じ、左足の踏み込みの角度を変えて姿勢を低くすると頭上を何かが通り過ぎた。
凄まじい速さで走りながら春菜は身体を上下左右に振っていく。
まるで何かを避けるようだった。
突然両脚をあげる。
足元に土が何かにぶつかったように爆ぜた。
それでも速度を緩めず、鳥居まであと少しというところで気配を感じ、身体を傾けると目前に小さな木の実が迫っていた。
「あ」と間抜けな声を出した瞬間、木の実が春菜のおでこに当たった。
小さな南天の実なので痛くはないが、あと少しで課題の鳥居までの回避しながらの到着がまた失敗してしまった。
「おう、おはようさん」「……おはようございます…」
春菜に挨拶してきたのは、いつの間にか本殿の前に立っていた男だった。
背が高く、聞けば一八〇センチ超えで手足が長く無駄のないキレのある身体つきをしている。
顔つきも細めで精悍なのだが、面白そうな表情を何時もしている。
長めの黒い髪を襟足で結んでいる。
右の眉毛の真ん中を縦に傷らしきものがあり、そこだけ眉毛がなかった。
グレーのぴっちりとした長袖シャツに、グレーのカーゴパンツといういで立ちで足元は黒いデッキシューズだった。
父の古い知り合いで名はシンマと名乗っている。
繁忙期にリサイクルショップの手伝いに来ることがあるので、春菜は昔から知っていた相手だった。
たまに両親の友人としてもう一人の女性と家に飲みに来るが、妹共々可愛がってもらっている。
「みゃあ、もうちょいだったわな」
「…本当にクリアできるんですか?」
「簡単じゃあにゃーがね」
シンマは面白そうな表情を変えずに言った。
春菜はため息をひとつ吐いて袋をシンマに渡した。
今年の一月、父からシンマに鍛えてもらうように言われた。
理由は聞かされてないが、普段から口数の少ない父の表情には有無を言わせないものがあった。
早朝にこの神社で鍛えてもらう。
早起きは苦では無かった。
しかし鍛えるって、何を?何で?という疑問はついた。
この頃の春菜の妹たちが母のお手製の服を着はじめていた事を気にしていた。
母曰く試作品とのことだが、去年の晩秋に十歳ながら小学二年生のような小さな子供っぽい末の妹の季璃が、大人顔負けの身長とスタイルになった。
母手製の服を着た季璃は、季璃だった。
子供っぽく、甘えん坊の妹だと暫くして理解できたが、母の服がよく似合う大きな妹になっていた。
去年の暮れに今度は双子の妹…二卵性双生児の雪と晃が母の作った服を着るようになった。
ちょっと何を考えてるか掴めないが大人しい性格の三女の雪と元気で負けず嫌いで正義感が強い四女の晃。
何か二人ともオデコにたんこぶと小さな傷を作って母と姉と一緒に帰ってきた時は雪がやたらと晃にくっついていた。
昨日までは普通に接してたのに、首をかしげた。
そして春菜は母が買ってくる服を着ていた。
何となく春菜は妹たちが羨ましかったのだ。
そんな時に父に言われての鍛錬。
当初はシンマに指摘されて立ち方から修正された。
元々運動神経は並で、平均的な中学生だが、シンマに言われた立ち方は結構きつい姿勢だった。
見た目は普通に両足で真っ直ぐに立っているだけなのだが、細かい修正をされて三〇分も立てば身体に悲鳴が上がりそうだった。
しかし、二日三日と重ねると今までより楽に立てるようになっていた。
というか、前の立ち方より楽なのだった。
それをシンマに聞けば、「効率の問題だわ」とだけ言われた。
それから片足を少し浮かせて立つとか、両手を微妙な角度で持ち上げてから立つとか意味がるのかどうかわからないことをやらされた。
父に言われてのことだが意識が変わったのは、ある日小さな子が木の上に紙飛行機を引っ掛けて泣いていた時、何となく五メートル上の木の枝に軽く飛んだら届いてその飛行機を取れた。
春菜は紙飛行機を子供に渡してから気づいた。
ノーモーションであんなに飛べたっけ?と。
その後、走ってみたら信じられないくらいの速さで走れた。
運動神経は並だったはずなのにだ。
それをシンマに言ったらニヤリと笑い、「じゃあ次にいこまい」と言って、やることがはちゃめちゃになってきた。
神社の雑木林の木々の上を次々と渡っていき、今にも折れそうな細い木の枝に立たされたり、飛んで上り下りを繰り返したり。
当然、失敗して落下することが何度もあったが、全部いつの間にかシンマに助けられていた。
春菜的に不満なのが服の襟首を掴まれたり、片腕や片足を掴まれて助けられることだった。
今朝は楠の天辺の枝に片足で立っていた。
「…シンマさん」「んー」
袋に入っていた、海苔を巻いた大きなおにぎりを春菜の立つ枝の少し下で頬張っていたシンマに話しかける。
「なんでボク、こんなことやってるんですか?」
「おみゃあさんの父ちゃんに頼まれたでねえ」
「じゃあなくて…」
はぐらかされた感のある春菜はため息を吐く。
「…世界を守るため!って言うたら信じるかなも」
「…せかい?んーもう少しマシな理由が欲しいかな?」
「じゃあ早いとこ鳥居までわしの礫が当たらんようにするがね」
おにぎりを食べ終わったシンマは袋を丸めてズボンのポケットに捩じ込んだ、
春菜は以前からこの鍛錬の理由を知りたがっていた。
父に聞いても簡単にいずれ教えると言われてそれからは聞いていない。
シンマに聞いたら、自転車を停める入り口から鳥居までの一〇〇メートルほどを無事に到着したら教えると言われたが、未だ達成していないのだ。
信じられない事だが、今の春菜なら五秒とかからない距離だが、何時も達成できないでいる。
学校で知られたら騒ぎになると思い、誰も居ない木祖川の堤防で全力で走って跳んでみたら冗談のような動きができたのだが、シンマには敵わないでいる。
木の上から朝が少し騒がしくなったと気づいた。
春菜は重心を後ろに傾けて、楠から落下するが、身体を縦に三回転して足から地上に降り立った。
「いくかね?」シンマが少し離れた位置で立っていた。
先に降りたのに。
「どうもありがとうございました」「おう、また明日」
一礼して自転車に乗って走る。
ふと振り返るとシンマは何処にも見当たらなかった。
本当に底が知れない人物だった。
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