#最近頭の中で鳴っている曲

夢美瑠瑠

                                                                               




 昔から、愛読しているもののひとつに、東海林さだおさんの一連の”脱力系エッセイ”があります。


   もう卒寿に近い、漫画家ですが、(存命?)漫画家として名を成した後に、突然?エッセイを発表し始めて、それが面白いというので人気を博した。漫画を見たことくらいは誰にでもあるのではないか?


 アベックを観て「グヤジイ」とか、「チキショー」とか「石投げるー」とか言いながらモテナイサラリーマンみたいな人が悔し涙を流しているような構図が多い、下手な?ギャグマンガであります。


 自称、「意気地のない人間を、意気地なく描いて、お金をもらっている意気地のない男」なのだそうだ。終始一貫こういうスタンスで、自虐の美学?を追求していて、追随を許さない。


 一種の哲学みたいに独特の境地みたいになっていて、「孤高の聖者」とか言われたりしていた。


 こういう軽い読み物の文化?というのはまあ昔からあって、井上ひさしや遠藤周作、北杜夫、筒井康隆、佐藤愛子、…最近だとこういうのが漫画や動画サイト、ブログにとってかわられているのかも知らんが、ポップな軽チャー、そうしたものの元祖が例えばこの東海林さんの「軽薄エッセイ」とかと思います。

                                                

 で、無数にあるエッセイのどれも、「サザエさん」よろしく、人間存在というものの肯綮を穿っていて?オリジナルでユニークな面白さがあるのですが、よく思い出すのは、「一日中、”青春時代がーユーメーなんてー!”というフレーズが頭で鳴っていることもあるが、」というくだりである。


 50年位前に「森田公一とトップギャラン」というバンドがあって、「青春時代」という歌が流行ったことがあり、「青春時代が夢なんて、後からしみじみ思うもの。青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」というのがサビのフレーズだったのだ。


 ちょうど僕もその「症状」に悩まされていて、「おんなじような人がいるなあ」と思ったのでよく覚えている。


 そうして昔はわりと暇というか生活も牧歌的で、そういう余裕があった?生活も刺激が少なくて、人心も穏やかな、平和ボケとか大宅壮一氏に一億総白痴化?とか言われた昭和の半ばだった。


 ボクもおとなしいしがない田舎の中学生で、テレビで繰り返し流れていたその歌を、やっぱり繰り返し反芻し続けるしかしょうがないというのが現実だったのだ…


 で、<昭和は、遠くなりにけり…>になって久しいですが、未だに、ずっとなんですが?、自分にしかありえない一種の”妄想体系”の症状かな?とか思うけれど、自分がその渦中で自己形成してきた、運命的に自分というものの基礎になっている”昭和”のころの様々な事物とか記憶のいろいろは、果たしてリアルな「人間的世界」?だったのだろうか?とか、なんだかおかしな感覚というか疑問にしばしば捉われたりする。


 つまり、あまりにも特殊な疎外感に悩まされ続けていて、特に自分にとって到底正常な一般的な人間的人生とは言えないようなシロモノだったのに、そこにしか居場所がないので、普通のものと思わされて来ていたのではないかとか、なんだか絶望的な観念が招来したりする。


 世の中にはいろいろな発想やら考え方があって、時時刻刻変わっていくものもあるし、ミラーボール効果というのか、見るフェイズで物事の様相は違った意味やニュアンスを帯びる。人間関係ですべてを律するという発想がリアルなタイプの人もいれば、社会を否定して、壺中天というのか、「アルタードステイツ」の中に本当のリアリティを見出す求道者タイプの人もいよう。


 一概に、例えば社会の中で特殊な、裏天皇?みたいな立場に否応なしに追いやられていても、それで終わってしまっているわけではない。だいたいが天皇にしても、研究なされていたなにかの、リンネの二項命名法だったか、そういうたぐいの趣味の研究で大いに成果をあげられて、なんだか学問的な名声を博されるとか、そういうことも不可能ではない。


 「昭和」という特殊な、極限まで間延びしていた、壊れたテープレコーダーがリピートし続けているような白痴的なうるさい空白…


 三島由紀夫は、そうした日常を呪詛し続けた挙句に自決した。


 痴呆の夢のような、「青春時代」のリピートというエピソードの記憶は、ボクにとってはその典型、象徴でもある。…?


 とっくにだから、本当は死んでいるべきなのだが、生きながらえてしまった。生き恥をさらし続けていて、昭和の残滓を反芻し続けている…ある意味、そういう地獄が私の人生である。


 要するに「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…」昭和を思うときには結局そういう言葉が似つかわしい、そうしたやりきれない観念の無間地獄に陥ってしまうのだ。だから、昭和よ、早くすべて消え去ってほしい。


 無数の、無駄でナンセンスな不可思議な恥の記憶とともに。


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