ショートカット

杜宮 真名都

第1話 薫、てがむ

 かおるは、とても遠い事柄について想像していた。


 ある山奥のある土地に自らの存在を契約している自分の祖父のことと、科学に焼かれた空から逃げるある国の住民たちのことについて。

 ゆがんだ電波に変換された情報をポケットに逃げる、或いは覚悟をする―――そしてそれが人間の醜悪さを根源として発展していった戦争を伝えるものであることを知らないかもしれないそういった未来の大人達のことと、ニューヨークに向かう旅客機の静寂の中、どうして裸で外を歩き回ってはいけないのかについて議論をする2人の(15歳前後の)子供達、またその後ろでウツウツと眠っている彼らの両親のこと。

 また、今まさに爆発しようとしているかもしれない何処かのやや驚くべき大きさを持つ惑星のことと、それを支配しようとする何者かについて。


 薫は、とにかくとても遠い事柄について想像していたのだった。


 また同時に、意味を欠損した事柄ついても考えていた。


 31歳の春に結婚しようと思っている自分のことと、友達の情の深さとそれに見合う自分の振る舞いのあり方について。

 90分をやや超えるミステリ映画を観ようか、或いは録画しておいた長編恋愛ドラマを一日の秒の大部分を使って一気に観てしまおうかと悩んでいる自分のことと、1ヶ月と23日後の晩ご飯に何を食べようか悩んでいる自分について。

 そしてやはり結婚するのは29歳の秋にしようかと思う自分のことと、そして自分が何者で何を糧として生きていくべきかについて。


 薫は、考えることがもっとも効率的で生産的な人間の活動であるとおもっていた。

 また、漠然とした事柄をそのまま1人散歩させておける程に、薫は不確定性を好いてはいなかった。

 或いは、少し休憩と言ってソファに座りつらつら居眠りをしてしま得ないほどに、何者かに追われていた、急いていたのかもしれなかった。


 そんな彼女は今、短い手紙を一枚書いていた。




 ◇拝啓

 

 春が又一段と濃く色咲き、汗ばむ陽気を避けてしまおうと、近所の猫たちが日陰を探し歩いているような、そんな季節になりました。


 私はこの手紙を、そういう季節に、落雷をため込んだ雲ような外壁しか眺めることのできない、そういうアパートの一室の、とある空間で書いております。私の心境をそのまま形容してしまえそうな、そんな不思議で悲しい空間です。ここから私の綴る言葉の集合は、大して意味の持たない乾燥しきった言葉たちであると認識してくださってくれて結構ですが、もしそういった言葉に、鮮やかな、或いはロサンゼルスの排水溝の水のようであっても、意味を付与していただけるとしたら、喜ばしい限りです。


 私は人生20年を通して、とにかく様々な考え事をしてきました。春の始まり方について。冬の過ごし方について。秋を長引かせるための自然との交渉方法について。夏の匂いの起源について。漠々とした事柄を端的且つ的確に言い当ててしまうような魔法の言葉とその操り方について。自分の価値や人生の秒の流し方について。とにかく、本当に様々なことです。

 そうしていくと、結局、一つの結論のようなものに近づいてしまうのです。しかし、これを結論にしてしまうのはとても、怖いのです、少なくとも私にとって。避けてしまうのです。その、結論、をこちらに書いてしまうことは、とても簡単にできることではありません。こちらにかいてしまうと、それが本当に確定したものになってしまうような、上手く言葉で表現することができないのですが、そういうことです。私が今までに踏み続けてきたぬかるみなんていうものは元々無かったかのような、あぁそれはぬかるみなんかじゃなくてむしろ給水所のようではないですかと言われているような、簡単にそして一部を言えば、そういう恐怖に抱かれてしまうのです。

 そうしておびえていくだけで、時間が流れていきます。上手く枝分かれしている太い流れに乗れてしまえば良いのですが、私の心と頭は既に盲目となってしまいました。ただ残っているものは、私の身体のみです、赤い血の流れた、白い骨の貫いている、肉で覆われた、そういう普通の身体のみです。


 何かが伝われば良いのにと必死につらつら書いてみましたが、何かを伝える能力を欠如したような、寂しい文章になってしまった気がします。


 もし、何かお返事いただけるのであれば(例えば貴方の今ことについて、幼少期に犯した犯罪のことについて、悩みについて等でも)、幸いです。


 令和10年5月5日

                   


 追伸

 お返事をいただけるのであれば、この手紙があったところにお返事を置いていただければと思います。◇



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