第47話 火の女神ルルドゥ


 燃え上がる炎と共に現れたのは少女だった。

 赤い髪に、赤い瞳。そのどちらも煌々と燃え上がり、全身から火が揺らめいている。


『我はルルドゥ。火の女神である。よくぞここまで来た。そしてよくぞドラゴンの腹から救出してくれた』

「ははーっ! もったいないお言葉です!」


 教会騎士であるダグラスが地面に伏して頭をこすりつける。


(女神様?)


 リゼットはドラゴンステーキを食べ続けながら、女神を名乗る存在を見た。

 炎をまとった姿は神々しく、足先は地面に触れず、身体は浮かんでいた。そして実体がないのか、身体は薄っすらと透けている。


 女神以外の何物でもない姿だった。


『汝には夢を通して何度も声をかけたであろう』


(確かに夢で見たような……女神様だったのですね)


 ダンジョン内で見た極彩色の夢の中で。


『――肉を! 食べるな!!』


 ごくんと肉を飲み込んで、口元を拭う。


「どのようなご用件でしょうか」

『汝には我が遺物――神体を受け入れ、地上へ戻してもらう』

「神体、ですか?」

『この炎だ。これは我の髪の一部である。そしてこれは元々地上にあったものだ』


 火の女神ルルドゥの足元には、先ほどまでステーキを焼いていた炎が燃えている。

 ドラゴンの腹の中から出てきた炎が。

 よく見ればそれは確かに髪の束だ。

 

「こちらを地上へ運べばいいのですね」

『ただ運ぶだけではない』


 ルルドゥは含みのある言い方をする。

 リゼットは警戒し、炎から離れた。


『そもそもなぜ我が髪がここにあるのか、教えてやろう』

「いえ、結構です」


 リゼットは断ったがルルドゥは静かな声で語り始めた。


『地上には至るところに我らの身体の一部が遺されている』


 ――女神の聖遺物。

 女神の神体の一部と思われるものがそう呼ばれる。多くは女神教会が保有し、厳重に保管している。


『それは杭である。巨人に死の封印を施すための。しかし時折、遺物が地下深くに潜ってしまうことがある。力が強すぎてその部分の巨人の肉が溶けてしまうのか、それとも何者かの仕業か……』


 ルルドゥは物憂げなため息をつく。


『巨人は体内に入り込んだ遺物を核に、かつての世界を復元しようとする。それがダンジョンである』

「この場所、ですね……」


 リゼットはずっとダンジョンに興味を抱いていた。いったい誰がダンジョンをつくったのかと。

 まさか巨人が女神の神体を使って構築していたとは。


『汝らが見てきたダンジョンの姿は、古き時代の光景。戦ってきたのは古き時代の生物たちだ』

「…………」


 リゼットがダンジョンで見てきたのはかつての世界。女神が現れる前の。

 第五層で見たあの滅びた街も。

 あの平原も。森も。迷宮も。洞窟も。

 そしてかつての世界で生きていた住人たちが、いまはモンスターと呼ばれている。


『このままダンジョンが成長を続ければ、古き時代が地上に溢れ出す。それが続けばいずれ巨人が目覚めるであろう。それは許されない』


 大地である巨人が目覚め、起き上がることは、天地がひっくり返ることだ。世界は当然崩壊する。

 大地の上にあったものは海に沈む。

 すべての生が死に落ちる。


『ゆえに汝に我が神体を与える。我、火女神ルルドゥの一部を』

「……つまり、どういうことでしょうか」

『汝はこれより女神の器となるのである。さあ、神を受け入れ、地上へ帰れ。元より聖女はそのために母神がおつくりになられた器である』


 リゼットは首を横に振る。


「私は聖女ではありません。私の聖痕はもうありませんから」

『聖痕は魂のかたちだ。証を剥ぎ取ったところで、魂は生まれたときから聖女のままだ。さあ、受け入れよ』

「お断りします」


 リゼットはきっぱり断った。


『なんだと』


 断られることなど微塵も思っていなかったのか、火女神ルルドゥは怒りをあらわにした。


「私が女神の一部になるのは了承できません。女神の一部が私のものになるのでしたら、考えますわ」


 無条件で女神の一部を取り込めば強い力を得られるだろう。

 だが、おそらく無事では済まない。少なくともいままでのリゼットのままではいられないだろう。


 世界を守るためとはいえ、自分を殺して女神の道具になるのは嫌だ。

 リゼットが望むのは復讐でも名声でも神の恩寵でもない。


「地上へ運ぶだけでしたら、ついでですので承りましょう」


 ルルドゥはしばらく沈黙した。


『傲慢……女神に対してなんたる態度』


 赤い瞳が怒りに燃えている。

 神の怒りに触れている。


「お、おい。早く謝ったほうがいいんじゃねーか?」


 ディーが不安げにルルドゥとリゼットを交互に見る。

 ルルドゥは燃える瞳でリゼットを睨みつけ、そして笑った。


『気に入った。それくらいの気概がなくては務まらぬ』


 ふふんと鼻を鳴らして満足そうに笑い、リゼットに向けて右手を突き出す。


『決まった。汝はこれより女神の遺物の使い手となり、世界の均衡を守れ』

「命令しないでください」

『これは母神の意志である』


 その言葉が胸に響いた瞬間、新たなスキル【聖遺物の使い手】が勝手に習得された。


 火女神ルルドゥの姿が消滅する。

 足元にあった燃える毛髪だけを残して。


(話を聞かない)


 リゼットはため息をつき、燃える毛髪の元に行き手を伸ばす。

 先ほどは熱かったのに、いまはこの神の炎が熱くも痛くもない。

 毛髪を持ち上げる。炎の端が服に触れても燃え上がらない。


「お、おい熱くねぇのか」

「はい。まったく」

「どれどれ……って、熱いぞこれ!」


 ディーが炎に触れかけて逃げる。

 熱を感じないのはリゼットだけのようだ。これがスキル【聖遺物の使い手】の効果なのだろうか。


「これ、いくらぐらいで売れるでしょう」

「売る気なのか?」


 レオンハルトが驚きの声を上げる。


「はい。地上へ戻せとしか言われてませんし。使い手になれと言われても、どう使うかわかりませんし」


 リゼットは自身の手の上にある燃える毛髪をじっと見つめる。

 これを地上に戻せばどうなるのだろうか。ダンジョンの成長が止まるのか。もしくは緩やかに崩壊していくのか。

 考えたところで実際にやってみなければわからない。


 不安はあったが、ダンジョン内に置いていけばダンジョンが成長して地上にまで進出する。となれば選択の余地はない。


「それよりも、これを女神教会に売れば、これで罰金を払えるかもしれません。女神の聖遺物となれば高値で買っていただけそうな気がします」

「君は本当にたくましいな」


 リゼットは微笑む。


「とにかく一度出よう。女神の託宣を受けて使徒となり、聖遺物を所持している君を誰も害することはできないだろう」

「――いえ、まだ早いです。まだやることがあります。ドラゴン素材の回収です!」


 リゼットはドラゴンの身体を指差す。

 宝の山であるドラゴンを。


「ドラゴン素材をめいいっぱい回収して、現金化しましょう。そして山分けです!」



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