第2話 はじめてのモンスター
ダンジョン領域にいるのはダンジョン送りになった犯罪者だけではない。
むしろ犯罪者は割合的には極少数だ。元々いた村人たちや、ダンジョンの恵みを受け取る商売人や職人、その家族、そして一獲千金を夢見る冒険者たち。
そんな人々とすれ違い、そして人の流れに乗りながらリゼットはダンジョンに向かう。
地中から姿を現した白銀の岩山。そこに開いた暗い穴。それがダンジョンの入口だ。
入口はきちんと整備され、周囲は石畳が敷かれている。階段を下って冒険者たちがダンジョンに入っていき、あるいは階段を上って出てくる。盛況だった。
「なんて神々しいのかしら。惚れ惚れしますわ……」
リゼットはときめきに心を震わせる。
賑やかすぎてまるで王都の観光名所のようで少しばかりロマンに欠けるが、些事である。
「それでは、いざ――」
「あのぉ。そこの人、ちょっとこっちに来てくれないー?」
決意と共に踏み出そうとしたリゼットに、間延びした高い声がかかる。
声の方に視線を向けると、黒いローブを着た黒髪緑眼のエルフが人の流れから離れた場所に立ってリゼットに手招きしていた。
エルフらしい整った美しい顔立ちをしているが、雰囲気はどこかのんびりとしている。
(私、早速何かしてしまいました? ダンジョンに入るマナーがなっていないとか)
「こんにちは。私に何か?」
「君、新人さんだよね?」
緑色の瞳がくるくるとせわしなく動き回りながらリゼットを見ている。外見は完全に人間の少女だ。長く尖った耳以外は。
しかしエルフ族というのは寿命が人間の十倍はある。少女に見えるが少なくともリゼットの三倍は生きているだろう。
「はい。本日こちらにやってきたリゼットと申します。以後お見知りおきを」
「これはこれはご丁寧にどうも。あたしは錬金術師ラニアル・マドール」
――錬金術師。ダンジョン領域に一人は住んでいるという、不思議な道具を作成する異能の人々。
「リゼット、君まさかそのままダンジョンに入る気?」
「ええ、そのつもりですが……何かマナー違反をしていますでしょうか」
家からはほとんど何も持ってこられなかったが、いまリゼットが身につけている衣服は着心地と耐久性を重視した服で、リゼットが持ち込めた唯一の形ある財産だ。
ドレス一着分ほどの金額はかかっているが、ただの服である。既に亡くなった祖母が贈ってくれた形見でもある。
「いいお召し物だけど防具とか全然つけていないし、杖も剣も持ってなくない? 見たところアイテムも持ってないし、アイテム鞄すらない……」
錬金術師はリゼットを品定めするように頭から爪先まで見回す。
「ダンジョンにドレスコードはないけどお、ダンジョンはとりあえず入ってみようって場所じゃないよ? まずは外で働いて資金をつくって装備を整えて、仲間を雇ってからにしたら」
のんびりとした口調だが口を挟む隙間もないほど一気に言ってくる。
「ご親切にありがとうございます。でもなんとかなる気がしますから」
「そんな無茶な。根拠はあるの」
「いえ、まったく」
錬金術師は呆れて肩をすくめる。
「もう、仕方ないなぁ。はい」
リゼットの手にハート型のアミュレットが押し付けられる。
「これは無謀な新人さんへのサービス。死んだら帰還できるアイテム『身代わりの心臓』」
「……そんな貴重なものを私に?」
「あはは、そこまで貴重じゃないよ〜。これで帰還すると命は助かるけど、一度は死んじゃうし、手に入れたアイテムも失うかもだし」
それでも命は助かるらしい。
そしてアイテムは失っても経験と知識は持ち帰ることができる。
「探索が進むにつれて本当に必要になってくるのは『帰還ゲート』の方。魔法でもアイテムでもどっちでもいいけどね。ま、一回死んでダンジョンが危険なものだとわかったら、あたしのお店『黒猫の錬金釜』に来てね」
「はい、必ず」
「うんいい返事。あとこれ、荷物を入れておくアイテム鞄をついでにプレゼント」
錬金術師の少女が肩にかけていた、使い込まれた革鞄を渡される。
「アイテムなんでも容量いっぱいまで入れられるからね。二十個くらいかな」
「色々とありがとうございます……あの、どうしてここまでしてくださるのですか? いまの私では返せるものが何もないのですが」
「ん〜、君そのうち太客になってくれそうだし、なんだかおもしろそうだし。ちょっとした投資というか?」
首を少し傾げていたずらっぽく笑う。
「ありがとうございます。このご恩は必ず返します」
「それじゃあよきダンジョンライフを〜」
人の流れに沿いながら、ダンジョンの奥へ繋がる階段を下りていく。淡い光に照らされた階段を。
進めば進むほど、少しずつ人が減っていく。あんなにたくさん人がいたのに、いつの間にかひとりだ。
多くの人々と共に地下へ降りて行ったはずなのに、前と後ろにいた人々はどこへ行ったのだろうか。きっと別の場所に出ているのだろう。
リゼットはさして驚きもせず、歩き続ける。
やがて冷えた空気が、湿り気を帯びたあたたかなものに変わっていく。
靴底に当たる石の感触は踏み固められた土の感触に変わり、少しずつ柔らかいものに変わっていく。
暗闇に光が差し、壁が消え、天井が消えて。
リゼットはいつの間にか深い森の中をひとりで歩いていた。
「素晴らしいわ……」
感嘆の息を漏らす。
「ダンジョンの中は本当に異世界なのですね。ダンジョンの外もその影響下にあるようですけど……いったい誰がどうやってこんなものを作ったのかしら。教会は女神の恩寵と言っているけれど」
歩きながら素朴な疑問を口にして、空を仰ぐ。木々に覆われているわずかに空の光が見える。遠くからは鳥の鳴き声も聞こえる。
かつて過ごした領地の森によく似ていた。鬱蒼としていて、静かで、生命力に満ち溢れている。
散歩のような気分で歩いていく。足取りは軽い。ここには自分とダンジョン以外に何もない。世間のしがらみも重圧も。
空気がおいしいとさえ思った、その瞬間――
嫌な予感がして身体が勝手に一歩下がる。先ほどまでいたその場所に、緑色の液体の塊が降ってくる。しかも三つ立て続けに。
びちゃびちゃと音を立てて地面で跳ねる、流動性のある緑色の固まり――スライムだ。
もし後ろに引いていなかったら、頭からスライムを被って窒息させられていただろう。
ぷるぷるとゼリーのように揺れるそれらから少し距離を取る。
(落ち着いて――)
スキル発動【先制行動】――火魔法発動。
「フレイムアロー!」
リゼットの前に赤い炎が生まれ、三つに分かれてそれぞれが矢となり、スライムたちに突き刺さる。その瞬間、炎は一気に燃え上がりスライムを焼き尽くした。
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