勝負のあと

「…………負け、か」

 雀星杯Bブロックに劇的決着がついた瞬間、敗退が決まった草野くさの君嶋きみしまは同時に天井を見上げた。


「なんや、私、麻雀なんて別に好きじゃなかったはずやのに、めちゃくちゃ悔しいやんけ」

 彼女は友人の兎田とだとの約束を果たせなかったことよりも、ただただ負けたことが悔しかった。

 もう少し。あと1枚の勝負だった。

 おそらく君嶋も逆転の手を抱えていただろう。

 だからオーラスの勝負はもうただの運ゲーだ。


 でも草野は、不思議といつものように「クソゲーやんけ」という気持ちにならなかった。

 熱い戦いだった。

 彼女は麻雀が運ゲーでありクソゲーであることを認識しながら、それでもこの対局だけは、そんな言葉で片付けたくなかった。


 いつの間にか、隣に兎田が立っていた。

 決勝で会おうという約束を果たせなかった相手である。

「……何も言わんのか、兎田」

「何も言わんよ、草野。だって、邪魔されたくないでしょ?」

 あれだけの戦いを繰り広げたんだ。もう少しくらい、そのの中にいたい。Aブロックで激闘を繰り広げた兎田だからこそ、その事をよく知っていた。


 長い時間が流れる。


「よし、兎田ァ、飯行こうぜ。腹減った」

「いーよ。何食べようか」

 雀星杯の決勝は来週である。

 決勝に進んだ兎田にも、今日はもう予定はなかった。


「そうやね〜。魚がいいな」

「魚? いいよ。そういえばこの辺に旨い寿司屋があるんだってさっき真城まじろさんに聞いた。日本酒が美味しいんだって」

「あの人ほんま酒好きなんやなぁ」


 負けたこと、約束を果たせなかったこと。

 その悔しい感情を抱えたまま、それでも草野は笑った。

「なあ、兎田」

「?」


「私、麻雀好きかもしれへん」



**



 君嶋は天井を見上げた直後に勢いよく麻雀卓に倒れ込んだ。

「うおっ、大丈夫すか」

「あー、大丈夫っす。大丈夫なんすけど、さすがにもう無理っすね……」

 彼の脳はとっくに限界を迎えていた。

 悔しかったし、勝てる可能性はあった。

 あそこで犬伏いぬぶせが別の牌を切っていれば、一発ツモで2着に浮上していただろう。

 彼の脳内には悔しさと満足感が同居していた。


 いつもの君嶋だったら、すぐにそんな感情にも飽きていただろう。未知のことにしか興味が持てない彼は、過去の感情には執着がない。

 しかし、今日は違った。

「……また」

 海老原えびはらと犬伏が卓から立ち上がった瞬間に、君嶋は呟いた。

「また、打ちましょうよ」


 彼自身も、その言葉のには気が付いていたが、それでもふと言いたくなってしまった。

 海老原も犬伏も「ええ、是非」と返して、去っていく。


 ――例えば、相手の手牌をもっと高精度で予知できれば、一発ロンすら可能なんじゃないか?

 安牌がなければ、比較的安牌を切るわけだから……それを狙い撃てれば。

 君嶋は自分の異能の未来を夢想する。


 そのまま彼は少しだけ、雀卓の上で眠った。



**


「また打ちましょうよ」

 君嶋のその言葉に、海老原は「是非」と笑って返した。

 無論、海老原は気がついている。

 たとえもう一度このメンツで集まったとしても、同じ熱の再現はできないことを。

 雀星杯本線という大舞台で、全員が進化しながら半荘を終えたこの対局だからこそ、ここまで熱い戦いだったのだ。

 その熱はもう二度と再演できない。


 それでも彼はこの卓のメンツが大好きになっていた。

 だから、いつかまたこのメンツで麻雀を打ちたかった。


 今日この日の再現はできなくても。

 今日この日の再演はできなくても。


 この熱いメンバーなら、いつか今日以上に熱い戦いを繰り広げられるかもしれない。

 この戦いは、海老原の麻雀史に確かに刻みつけられた。


 そして海老原は本戦のことを考える。


 真城ノボルに兎田シュウ。

 激闘のAブロックを登り詰めた二人だ。

 彼らを倒すことは容易ではないだろう。

 

 それでも。

 海老原は思う。


「それでも、勝たせてもらいますよ」


 雀星杯の1着の座。

 三麻の王が、四麻の王の座に手をかけた。



**


 犬伏は唇を噛み締めた。

 油断したわけではなかった。

 1着と2着が通過できるからと言って、2着でいいなんて気持ちは微塵もなかった。

 ただ彼は異能の関係上絶望的にオリに向いていなかったし――おそらく海老原はそれを理解した上で待ちを作っていたのだろう。


「できれば海老原はここで消えてほしかったんやけどな……」

 王はで葬る。それが犬伏の思い描いていた作戦であり、それに徹したことが南三局二本場の奇跡チューレンを生んだ。

 恐らく手の内が全てバレている決勝ではあんな役満を和了らせてくれはしないだろう。

 君嶋や草野のように、異能を逆手に取られるのだろう。


 それに決勝の相手は、開幕役満をぶちかました真城ノボルだ。

 兎田シュウは目立った部分がなく、強いのか弱いのかまだ測りかねていたが、あの卓は偶然で勝ち上がれる場所ではない。


 でも――。


 相手が誰であろうと、トップを取る。

 Bブロックで逃したトップを、次は絶対に離さない。

 犬伏はカントリーマアムのファミリーパックをぎゅっと握りしめた。



 雀星杯決勝は来週。


 Aブロックからは『牌送り』の兎田と『泥酔』の真城。

 Bブロックからは『三麻王』の海老原と『絶一門』の犬伏。


 以上四人の戦いを持って、最強の雀士が決定する。



**


狐火きつねびさん〜、モモモちゃん〜、この後飲みでも行かないっすか?」

「ワオ? 真城さん。打ち上げですか。行きましょう!」

「ぼくも行っていいなら行きます!」

「兎田さんは――草野さんと飯っすか?」

「あー、草野、どうする?」

「魚出てくるならそっち行こかな」

「オッケー。あ、じゃあせっかくだし海老原さんと犬伏さんと君嶋さんも誘おうよ」

「安い居酒屋なら……」

「体調アレなんでノンアルで」

「あー、飲み会っすか。いいっすね」

「ふふん? でもみなさん決勝で戦うのにそんな変な繋がり持って大丈夫なんです? 差し支えません?」

「モモモちゃん!!!!! それはその通りっすわ」

「ですね。じゃあ僕は予定通り草野と二人で飯行ってきます。海老原さんと犬伏さんも今日はやめときましょう――でも」


 兎田は笑った。


「――全部終わったら、この8人で飯。約束ですよ」



 決勝戦がはじまる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る