南一局
「大丈夫ですか、
南場が開始するまで数分の間があったため、
トイレから戻ってきた真城は目が充血していて、しかし顔色はかなり良くなっている。戻したか、と兎田は確信した。
「ああ、すいません、大丈夫っす。むしろ体調は良くなったくらいっすよ」
それは強がりでも何でもなく、真城の自認は正しかった。
彼は一度すべて吐き出した結果、アルコールが体からほとんど抜けきったのだ。
麻雀を打つ時は必ず数本お酒を飲んでから挑んでいた真城ノボルにとって、アルコールの抜けた状態で卓に着くのはほとんど初めての経験だった。
それがこの場にどういった影響を及ぼすのか、彼を含めてまだ誰も知らない。
そしてその答えはすぐに明かされることとなる。
「――体調が良くなったのならいいんですけど」
兎田は首を傾げながら無邪気に問いかけた。
「お酒、好きなんですか?」
「好きというか、まあ俺にとって水とか酸素みたいなもんっすわ」
「
場に沈黙が流れる。
「…………何言ってんすか?」
「ふふん……? あー! エタノールの化学式のことですか?」
「ツッコミがわかりにくすぎる」
兎田は袋叩きにあった。
「うぅ。そう言う
「僕はレモンサワーしか飲んだことないっす」
「なんかそういう宗教!?」
「いや、だってレモンサワー美味しくないですか?」
「美味しいですけど。それこそビールとか、ほろ酔いとか、なんか試しに飲むことってありません?」
「ないっすね」
「上司と飲み会に行って、みんなビール飲んでても?」
「レモンサワー」
「正月にみんながお屠蘇飲んでても」
「レモンサワー」
「女の子とオシャレなバーに行っても?」
「ぐっ」
突然狐火の顔が曇った。兎田は本当にただ雑談を振っただけで、動揺させたいという意図など全くなかったのだが、女性関係で何かあったのだろうと推測し、すぐに「すみません」と謝った。
「謝らないでください!」
「いや、僕が悪かったので。大丈夫、良いことありますよ。ねえ
「ふふん!?」
突然話を振られた猿川はその場で小さく飛び上がった。
その瞬間、司会者が「それでは、南一局開始しましょう」と言い、牌がせりあがってきた。
四人の顔つきが一気に切り替わる。
一瞬にして真剣な空気が流れる。
彼らは一斉に、牌を開けた。
南一局、親は狐火。
相変わらずの対子手を抱えた彼は、力強く第一打を打った。
先ほどの兎田の何気ない一言は、彼をより奮い立たせた。
ハルちゃんとバーに行きたい。そこで二人でレモンサワーを飲むんだ。
そんな彼の決意に応えるように、猿川から
「ポン!」
四萬を二枚倒して、流れるような手つきで猿川の捨てた牌を取る。
この後自分で四萬をツモってこれば、
今はまだタンヤオのみの手だが、カンができれば親番でのタンヤオドラ4で12000点だ。和了れば圧倒的トップに立ち、さらに親番を連荘できる。
**
そんな狐火を横目に、真城ノボルは酷くクリアな思考の中にいた。
一度アルコールをすべて吐き出したことで、指先の感覚は戻り、頭痛は去った。
「……」
アルコールの抜けた状態での麻雀は、不思議な感覚だった。
今までにないくらい、盤面が見える。
「…………」
兎田が切った牌。
猿川が目をやった場所。不要牌が出てきた場所。
狐火のポン。ポンの後の牌の捨て方。
河の形。
狐火を警戒する兎田の打ち筋とそこから予想される彼の手牌。狐火の手牌。そこから引き算的に見えてくる猿川の手牌。
全体的な牌の動きから予測できる、自分がツモる牌。
牌、牌、牌。
真城ノボルは生まれて初めて、アルコールの抜けた状態で麻雀を打っている。
生まれて初めて、真っ当な判断力の元、麻雀を打っている。
『泥酔』状態でも巧い麻雀を打ち続けた彼は、いつしかそれがデフォルトの状態になっていた。そんな彼が、『泥酔』という枷を外されたとき、見えていた景色が一変する!
彼は、飲めば飲むほど打点が上がる異能を持っているが――
――飲まなければ和了れないとは、言っていない。
真城ノボル、裏目無しの爆速聴牌。
彼は
そしてその時が訪れる。
**
「っし、四萬! カン!」
親の狐火コンが、勢いよく四萬を右手側に置き、親満確定の加槓を宣言した。
「――ロン」
「えっと、新ドラはっと…………は?」
しかしそのカンに対して、パタリ、と真城ノボルが手牌を倒した。
その和了は、カンを突き刺す一本の槍。
その和了は、狐火コンの麻雀を否定する絶望の役。
「
真城ノボルは、狐火のカン率の高さを計算に入れた上で、目の薄いところで待っていた。その策がピタリとあたり、一着を掴みかけていた狐火を、再び底に沈める。
■南一局終了■
狐火: 20000
猿川:14000
兎田:25700
真城:40300
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