ep. 46 黒い眼(5)

 トウジュが再び炬へ旅立った後、青は難民村の救援隊隊長へ一連の出来事を報告した。


 村の南、山側の抜け道の存在および、炬側から侵入したと思われる何者かの襲撃を受けてやむを得ず始末した事。

 山側の警備強化の提案をすると共に、暫定的な処置として青たちで各種外敵除けを施す旨を申し出た。


「報告、承った。敵除け処置、ありがたい。おおかた、物資を狙った賊であろう。一通りの対応を終えたら南側の見回りを行う事にしよう」


 場馴れしている上士は、実に手際よくそう応えた。



 そこからようやく、当初に青が予定していた後輩たちへの研修らしい研修が始まる事になる。


 蕨道を再び進み、中腹近辺での獣除けや虫除けの散布、そして炬側からの侵入者を想定した毒罠の設置が実習課題となった。


「葉脈が多くて、水をよく含む木や植物を探すといい。蒸散によって獣が嫌がる臭いを拡散してくれるから、薬剤の節約にもなる」

「なるなるなるほど、周りの植物たちにも手伝ってもらうわけですね」


 鹿花は相変わらず「ほひっ」などの怪音を発声しながら、青の一言一句を必死に手帳へ書き留めていった。


「砂漠や岩盤地帯などでは、何か工夫の余地はございますか」

「植物に乏しい地域では風向きと、気温の変動を見極める事だ。例えば現状だと――」


 そして紅鶴が、おそらく「本職」での経験を活かした、応用的な質問を投げかける。

 その絶妙な流れを繰り返しながら、指導兼救援活動は順調に進んだ。


 獣除けと虫除けの散布場所が決まったところで実作業は鹿花と紅鶴の二人に任せ、その様子を監督しながら、青は振り返って高台から難民村の様子を見渡した。


 冬でも緑を湛えた山と対照的に、枯れた水草で詰まりを起こしそうな小川が村の中央に走っており、水辺に沿って敷き詰められた枯れた田畑と、粗末な家屋跡の侘しさが寒々しい。


 あちこちで凪の救援隊が忙しなく動き回り、ところどころから、難民たちが暖を取る焚き火の煙が、白樺のように立ち昇る。


 あさぎと迷い込み朱鷺と出会った頃は死んでいたも同然の廃地が、今は生きようとする人々を救済する役割を得た土地となっていた。


「一師」

「!」

 呼ばれて我に返る。

 また一人で物思いにふけっていた。

 昔「感慨に浸ってるところ悪いんだけど」と朱鷺から乾いた視線を送られた思い出まで蘇る。


「こちらの獣除けは完了しました。ご確認をお願いできますか」

「私もお願いします!」

「――今行く」


 気恥ずかしさを追い出そうと、息を吐ききるとともに振り返った。


「……まだご気分がすぐれませんか」

 目深に被った角頭巾と覆面の間から見え隠れする視線が、じっと青の顔色を見ていた。


 紅鶴に他意はないのであろうが、隠しきれない眼光の強さが頬に刺さる。一方その隣で青を見上げる鹿花の半面が、心なしか心配げな表情に見えるのも不思議だ。


「申し訳ない。少し、思い出していただけで」

「もしかして、朱鷺応龍様の事ですか……?」


 鹿花の問いかけを、青は否定しなかった。


「一師……申し訳ありません!」

 唐突に、鹿花が身体を半分に折り曲げる。

 抱えていた地図や手帳に挟んでいた紙が足元に散らばった。


「あわわわわわ」と怪音を漏らしながら慌てて紙を拾い上げる後輩の周辺で、再び大人二人も紙拾いに付き合う。


「わた、わたわた私、一師のお気持ちも考えずに、浮かれてしまっていました。遊びに来たのではないのに。朱鷺応龍様にまつわる歴史的な現場だと思うと、胸がはずんでしまって……」


 悔いる一方で、頬の紅潮が鹿花の高揚を如実に表している。


「大丈夫。師を褒められて悪く思う弟子はいない」

 青はゆるりと首を横に振った。

 これは青の素直な気持ちであり、藍鬼、ハクロ、朱鷺、いずれの師にも当てはまる事だ。


 いずれ己も、後輩たちから同様に思われるようになって初めて、一人前になるのだろう。


「……悪く思う弟子はいない……か」

 若者二人の一歩背後で、紅鶴の独言が乾風にのって消えた。



 同じ頃。


「炬之国、葦火郡に出向している救援隊副隊長、是枝上士。隊長の五十嵐特士より書状を預かっています」

 トウジュの上官、是枝副隊長が難民村へ到着していた。


 是枝の到着を部下から知らされた難民村の救援隊隊長の上士・月岡は、変事発生かと緊張感をもって出迎えた。


 南北の縦に並ぶ家屋群のもっとも北側の廃屋を利用した、炊き出し所も兼ねた凪隊の屯所(とんしょ)の前、是枝は懐から書状を取り出す。


「……ん?」

 その時、同時に何か黒い塊が懐から零れ落ちた。

「失礼」と正面の月岡へ断りを入れて、足元に転がった何かを拾い上げる。


 それは黒い長円形の、一見して薬入れだった。

 漆に蒔絵が施された、是枝の趣味とは異なる工芸品で、裏面を見ると何やら家紋らしき意匠が箔押しされている。

 蓋を開けてみようとしたが、糊で固めたように封をされていてびくともしなかった。


「いつの間に」

 誰かとぶつかった時にでも入り込んでいたのだろう――そう結論付け、是枝は何気なくその薬入れを崩れかけた石積みの上に置いた。


 書状を受け取り内容に目を通した月岡は、是枝を屯所の裏側へ招き入れる。両上士は神妙な顔つきで、廃屋の裏側へ姿を消した。


 その廃屋の表側、村の本道に面した庭先には竈が組まれ、炊き出しが行われていた。老若男女の難民たちが列を作り、卵粥が入った汁椀を受け取っている。


 湯気が立つ欅の椀を手に、初老の女が列から離れた。

 熱い椀を石積みの垣根の上に置き、列に並ぶ夫を待つことにする。


「おや?」

 老女の目に、石積みの上に置かれた薬入れがとまった。


「どなたさんの落とし物かしらねぇ」

 小首を傾げて老女は、持ち主の手がかりを求めて薬入れを裏返した。

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