幕間・参 <白狼王の子どもたち>

 蒼狼領の要塞が、猛烈な疫病の蔓延により陥落した。

 その報せは当然のごとく、白狼ノ國内を騒がせた。


「風向きが変われば白狼邦も危ういではないか!」

「水門を閉めるべきでは??」

「民を避難させなければ!」


 父王を囲む議事の場にて。

 喧々諤々さわぐ面々の様子をしばらく見守ったのち、区切りを見計らって狛は端席から手を挙げた。


「何だ、狛」

「はい」

 発言を許され、狛は立ち上がる。


「要塞が陥落したのはもう半月ほど前の事。今では賊が入り込んで荒らしまわっている状態。近隣の村々でも死者は出ていない様子。よって、疫病の影響が白狼邦に及ぶ心配は無いと思われる。それよりもむしろ、空になった要塞に寄り集まる賊や獣らが白狼へ流れてくる事への警戒を強めるべきと提案したい」


 狛の発言にすぐさま、


「疫病の影響が無いという根拠は何だ」

「そんなものは推論でしかないであろう」


 と野次が飛んだが、狛は黙って再び着席する。

 言い回しが漠然としている自覚はあるが、青との約束もあり、東の客人による仕業であるとは口にする事ができないのだ。


 次第に狛を置き去りにして再び喧々諤々しはじめる出席者たちの中、

「ふむ」

 議長席の白狼王は、長机から視線を逸らした。


 地下洞窟の構造を活かして設けられた大広間、立涌柄に掘削された岸壁の向こうから差し込む陽光へ、眩しそうに瞳を瞬かせる。


「狛は、実際にそれらを目にしてきたのであろう?」

「――はい」


 青と別れた後も、狛は黒鉄ら獣鬼隊の協力も得ながら、要塞の様子を観察し続けた。

 蒼狼側も含める要塞周辺地域の村落の調査も行い「疫病」による不自然な大量死がどこも発生していない事が確認できている。


「ならば、実際に目で見てきた事が何よりの証拠ではないか」

 しかし、と反論しかけた者へ、王狼は地底湖色の瞳で一瞥する。


「机上で論じているだけのほうが、よほど推論の域を出ないであろう。それとも皆は、狛が嘘をついていると言いたいのか?」

「それは…」


 と、野次を飛ばした面々は言い淀む。

 そこへ、新たな挙手。


「どうした、狩莅(しゅり)」

 発言権を求めたのは、落ち着いた物腰の青年。

 白王狼の十五番目の子だ。


「狛の放浪癖は以前から周知の事実。何やら怪しげな交友関係も噂が絶えない。普段の行いから、皆が訝しがるのも致し方のないこと」

「……」


 狛はこの腹違いの兄が苦手だ。

 数多い兄弟の中でも上位を争う優秀さで、時期白狼王の有力候補などと、臣下の間では囁かれている。


 狩莅の発言は常に正論で、拠点を離れて国内外を放浪しているのも、怪しげな交友関係――外での出逢いや黒鉄ら獣鬼隊らとの接触も、事実であるから狛は言い訳を避ける。


 狛の行動をよく思わない親族や臣下が多いのも知っている。どう説明したところで、言い逃れに聞こえてしまうのだから。


「父上のご放任主義も原因の一端かと」

「そう言われると言い訳できんな」

 父王は端正な顔で困り顔を作って、跡取り候補である息子の主張を大人しく聞いている。


「だが、それ故に、我らの目と耳が届かぬものを見聞きする事ができているのも事実」

「…兄上……」

 思わぬ言葉に狛は顔を上げた。

 腹違いの兄は狛と目を合わせる事なく淡々と語り、議場の面々に視線を一巡させた。


「いつまでも蒼狼に「窖(あなぐら)の灰犲」呼ばわりをさせておいて良いものか、考えなくてはならない時期ではないか」


 誰も、跡取り候補の正論に歯向かう理論を持ち合わせていない。

 議場の様子を白狼王は、満足そうに眺めている。


 狩莅の発言は、臣下たちの面子を潰す事なく、狛の功績を褒め、共通の敵を持ち出す事で結束力を崩さずむしろ鼓舞して収める――その巧みな話運びに狛は改めて、兄への畏れを認識した。



 議会の後、狛は父王の元を訪れた。


 悠久と思える年月をかけて自然が作り上げた、地下洞の複雑な内部構造。地下へ潜ったと思ったらまた登って、岸壁を球体状に抉り取ったような空間を利用した居間となっている。


 地下といえど暗く湿気た空気はなく、僅かな光を受けて仄かに灯る鉱石や発光植物によって存外、地下はほの明るい。


 不毛の地と呼ばれる地上、その地下でこれほど豊かな環境を築いているのは、白狼の神獣としての力の所以であるのだ。


 狼は自然の理を紡ぐ神獣。

 白狼は天を照らし、雨を降らし、草木を芽吹かせ、風を呼ぶ。

 一方の蒼狼は雷雨を起こし、水を氷結させ、暴風を巻き起こす。

 対極に位置する存在同士なのである。


「父上…あ」

 そこには先客、狩莅がいた。


「狛、ちょうどいいところに」

 横に長い腰掛けを独り占めしている父王が、娘の登場に破顔する。


「ちょうど狛にも相談しようかと狩莅と話していたところだが、狛の用件を先に聞こうか」

「し…しかし」


 狛の瞳に、先客の兄を差し置いてという遠慮の他、何かしらの逡巡がよぎった様子を、父王は感じ取った。


「どうした?」

 娘を促す父王の隣で、腹違いの兄は仏頂面にも見られがちな無表情の顔で直立している。


「では…恐れながら申し上げる」

 兄の側まで歩を進め、父王と対峙する位置へ。


「黒麒麟の血を、使わせていただきたい」

「!」

 片耳に、息を僅かに吸い込んだ音が届く。


 黒麒麟の血。

 文字通りそれは神獣黒麒麟の血液だ。

 白狼ノ國において、王族の秘薬として厳重に保管されているもの。


 正面の父王は微笑をたたえた面持ちのまま、娘の次の言葉を待っていた。


「蒼狼の神獣の血を投与された子どもたちに用いたい。蒼狼に捕らえられ、洗脳された。父上を殺せと刷り込まれた白狼の子もいる」

「何と卑劣な…」

 珍しく、狩莅から口汚い言葉が零れる。


 神獣や神獣人、いわゆる神獣の血胤の血液は、他種族にとって劇薬となる。

 多くの場合が不老と引き換えに記憶や意思をはく奪し、己が配下や眷属に引き入れる効力を持つが、一部で異なる例外がある。


 その一つが黒麒麟の血だ。


「良いだろう。我が邦の子らに殺されては、たまらんからな」

 喜劇の一幕のように、白狼王は片方の肩を竦めた。

「父上…!」

「洗脳が解けて、その子らに帰る場所があるなら、帰してやりなさい。そうでないなら、我が邦の子になるもよし」


 珍しく表情が綻ぶ娘を前に、

「次は、我の相談に乗ってくれるか?」

 父王は肘置きから腕を離して姿勢を改めた。

 狩莅は変わらず、感情の読めない顔で待つ。


「はい、何なりと…」

 奔放で自由な故に王族間や国の決め事に発言権が無かった自分に、父王が、しかも狩莅が同席しての相談など、これまでになかった事だ。

 否応なしに、狛の胸を昂ぶりに似た緊張が走る。


「少し前から、翡翠邦が東方大国の一つと協定を結んでいるらしいではないか」

「――そのようで」


 実は既に翡翠の陣守村へ様子を見に行った事がある、とも言える雰囲気ではなく、狛は父王と兄の出方を待った。

 二人の碧い瞳が一瞬の目配せをかわし、そして狛を向く。


「我が白狼邦も、翡翠に続くべきか否か。狛の考えを聞かせて欲しいのだ」

「…!」


 その瞬間、破顔した狛の脳裏には、シユウとその友の姿が浮かんでいた。

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