ep. 39 鬼隠し(5)

 白兎周辺で妖を退治して廻っている何者かが存在している事は掴めたものの、いつ、どこで遭遇できるのかは不明だ。


「二師の聞き込み資料を元にして、妖が討伐された時期の古い順に手分けをして探そう」

 とのキョウの提案に即して、青たちは分散して捜索を開始した。


 妖は一度討伐されれば、再びの出現までに少しの刻が空く。法軍であればそうした妖の習性を把握した上で、体系的に各地で警邏の巡回経路や計画が立てられているものだ。


 もし「鬼の戦士さま」がある程度の組織化が成されている集団であれば、遭遇できる可能性が高い。

 そうでなかったとしても目的を持って妖討伐を行っているのであれば、経験値の蓄積から目処を立てようとはするだろう。


 それがキョウの推測で、青も同意だった。


 割り当てられた持ち場へ出向く道すがら、街道の茶屋付近を通りかかる。


「シュンたちと遊んでくる!」

「暗くなる前に戻るのよ!」

「わかってるよーー!」

「あんた昨日も約束破ったでしょ!」


 母子のやりとりが響いてきた。

 茶屋の日常風景らしい。


「うるさいなー!」と悪たれ口を叩くや否や、小さな人影――柚斗少年が店先から飛び出した。中々の俊足で柚斗はそのまま街道を外れて雑木林の方へ消えて行った。


「あの子に話を聞いてみようかな」

 距離を保ちつつ、青はその後を追う。母親には姿を知られていて警戒されているので、丁度いい機会だ。


「結構、奥まで行くんだな…」

 足音と気配を消して柚斗を追いながら、青は考える。


「鬼の戦士」と聞いてまず思い浮かんだのは、鬼の仮面を身に着けていたという禍地だった。

 獅子國において彼は、檜前らに東方の話を聞かせるなど「子ども」との接触を持っている。


 だが白兎と獅子國との距離は法軍人の脚をもってしても、半月はかかる距離。そんな遠方の地の小国で妖退治をする理由があろうか。

 あるとすれば、目的は何なのか。


「!」

 結論が出ないうちに、柚斗の足が緩み始め、前方をみれば雑木林のさなかに小さな広場が形成されている場所に出くわす。数人の子どもたちの姿が見えた。


 倒れかかった若木同士を利用して作られた小さな小屋のようなものも見えて、どうやら子どもたちの秘密基地のようだ。


「柚斗、遅刻だぞー!」

「母ちゃんがうるさくってさー」

「うちもうちも。ガミガミうるせーの」


 少し悪ぶった風に少年たちは声をかけあうと、それぞれ木の棒を手にして振り回し始める。樹木の枝から吊るした木の枝を叩いたり、木の棒を突き合わせている。


「懐かしい感じ」

 少し距離をとった高い木の上から、青が気配を消して子どもたちの様子を眺めた。


 初等学校時代、よくトウジュやつゆりたちと剣戟(けんげき)ごっこをしたものだ。南の森で藍鬼を相手に打ち込み練習をした事もあったが、てんで歯が立たなかったのも良い思い出だ。


 訓練らしき遊びに精を出している少年たちの一方で、広場の隅っこで倒木に腰かけて不満げな顔をしている少女がいる。


「ねー、早く行こうよぉ。今日は虹色の鱗のお魚がいる池を探検するって言ってたのに」

 少女の足元には手桶と網が置いてあった。


「魚なんかより、シュギョウの方が大事なんだって!」

「この間の雨で水がドロドロになってて見つかりっこねーよ」


 色々な理由をかこつけて少年たちは、枝を振り回す事に忙しい。


「うそつきー!」

「うるせぇなー花弥(かや)、勝手に見に行けばいいだろ?」

「そうするもん!」


 売り言葉に買い言葉を投げ合って、少女は立ち上がる勢いのまま手桶を掴んだ。


「そんなんで鬼の戦士さまになれるわけないでしょ!」

 言い捨てて少女は雑木林の更に奥へと独りで駆けて行った。


「一人じゃ危ないよ…」

 獣や妖はもちろんのこと、水難事故の可能性もある。

 青は少女の後を追った。



 どれほど雑木林を駆けたか、少女――花弥は池のほとりに出た。

 青は適度な距離を保ちながらやはり高所の枝から様子を窺う。


 池というよりは沼と表現できる光景で、反対側の水辺は鬱蒼とした木々が壁のように池の半面を囲っていて日陰が多く、空気が湿気ていた。


 少年たちが言っていた通りに水面は濁っており、雨の影響で増水しているのか、池周辺の草地は湿地帯のように浸水している。


「うわあ…」

 花弥は感嘆の息を吐く。

 薄暗くはあるものの、池周辺の湿地帯に浮く水草の一部が花を咲かせていて、中には花弥の顔の大きさほどもあるような水連も見事に開いていた。


 陽の光が遮られて陰鬱としているものの、確かに虹色の魚でも泳いでいそうな幻想的な雰囲気ではあるが、青には「不気味」に感じられた。


「あ…! 網落としてきちゃった…」

 花弥が手桶の中を覗いて肩を落としている。手桶の中に差していたはずの網が、見当たらない。


 水の中へ入ろうものなら止めに行こうと決めて、青は注意深く花弥の動きへ目を凝らした。


 水辺に沿って花弥が移動を始める。その先に、平たい岩場があった。

 花弥は半周ほど水辺を周って、岩場の先端にしゃがんだ。手桶で水面を掻きまわしながら、中を覗く。


 そんな時。


「…ん?」

 青の視界の端に、新たな人影が現れた。


 花弥が水面を覗いている岩場付近の木の陰から、池の方へ歩む影。


 賊か、と思い身構えた青だが、人影は簡素な農作業服らしき装いの、獣人だった。


 重力に従って垂れている長い耳。

 兎族のようだ。


「!」

 兎族――服装から恐らくは男――は、緩慢な足取りで池が見渡せる場所に出てきて、驚いたように足を止めた。


 先客が、しかも小さな子どもが独りでこんな場所にいるとは思わなかったのだろう、兎族の男は辺りを見渡す。


 家族や友達が見当たらないと判断した男は、しばらくその場で直立したまま、水辺をいじくる少女の背中を眺めていた。


「近隣の住人か…」

 音を立てないよう青は懐から地図を取り出す。ここ数日の調査のために、書き込みだらけの地図によれば、確かに花弥がやってきた方向とは反対側を更に進めば、小さな集落がある。


「……?」

 微動だにしない男に、青は疑問符を浮かべる。


 だがしばらくすると再び男の足が前へ進み始めた。

 花弥は水遊びに夢中で、背後の気配に気づく様子が無い。


 子ども独りの水遊びを注意するつもりか、心配してのことか、男はゆっくりと、だがまっすぐに花弥の背後へと近づいていく。


 男は手ぶらだ。薪籠を背負っている様子もない。

 その違和感が青の直感に警鐘を鳴らした。


 男の両手がゆらりと持ちあがる。

 獣人特有の黒目がちな瞳からは判別がしにくいが、口元や鼻先が戦慄いて小刻みに震えているようにも見えた。


「っ…!」

 青の手が腰から苦無を引き抜き、前方へ振り抜かれる。苦無は兎族の男のすぐ足元の岩に当たり、甲高い音を立てた。


「ひっ…!?」

「ひゃ!?」

 男の悲鳴と、花弥が驚く声が重なる。


「何をするつもりだった」

 兎族の男の腕を、青の手が掴んだ。


 唐突に姿を現した青に、二人とも目を白黒させている。


「何…を? …え……あ……」

 兎族の男は大きく上半身を震わせた。


 ぎこちなく己の手元と、驚いて振り返る花弥とを交互に見やる。徐々に男の口元の震えが大きくなっていった。


「あぁあああ、ああ」

 吐息が徐々に嘆きに変わっていく。


「わ、わしは、何を、何てことを、しよう、と」

 力が抜けて、男はその場に座り込んでしまう。小さな両手で、垂れた両耳ごと頭を抱えて体を丸くして震えている。


「う、兎のおじちゃん、どうしたの?」

 驚きながらも花弥は泣き出した兎の男の背中を、よしよし、と撫でた。


「す、すまない…すまない…」

 男は花弥に背中を撫でられたまま、体を震わせている。


「何やら思いつめていらしたようですが…」

 青もその場に片膝を折る。


 花弥が少し驚いたように顔を上げた。顔の半分以上を隠した青に一瞬、顔を強張らせたものの、青の柔らかい声に安堵して面持ちを緩ませた。


「子どもが…わしの子が…次の供物に選ばれちまって…やっとできた子だったのに、だ、だから…わしが、代わりに身を投げればあの子が助かると思ってここへ…」


「……」

 青は唇を噛み締めた。


 絶望の中、たった独りで無防備に遊ぶ子どもの姿を目にして魔が差した。

 そんなところだろう。

 男は涙声で「すまない」を繰り返す。


「…という事はここは…」

 男が落ち着きを取り戻すのを見守りつつ、青は肩越しに広がる池を見やった。


 この空間を不気味と感じた青の直感は、正しかったのだ。


「まずはここを離れた方が良い」

 周囲の気配に気を配りながら青は、立ち上がらせようと兎族の男の腕に手を添えた。


 瞬間、微かに空気を裂く音。


「くっ!」

 咄嗟に首元に延ばした手で音を掴む。


 手のひらに固く細く冷たい感触。

 千本だ。

 頭上に影が差す。

 前方に飛び退いた直後、すぐ背後で重たい音が轟いた。


「ひぃっ??!」

「ひゃ!」

 兎族の男と、花弥の声が再び重なる。


 更に後ずさりながら振り返ると、全身黒の装束を身にまとった少年が、双刀を繰り出しながら青に迫り来ようとしていた。


「子ども…!?」

 逆手に構えた小刀で刃を受け流しながら、青は間合いを取るべく少年の足を払う。


「ぎゃんっ」

 と小動物のような悲鳴を漏らして、少年は顔から地面に落ちた。


「あ」


 悪い事をした、と思いながらも刃を向けてくる相手に油断するわけにはいかず、青は刀を構えたまま距離をとった。


 いつの間にか姿を現したのか、もう一人同じく黒装束の少女が、兎族の男と花弥を庇うように両手を広げて立っていた。


「な、何すんだよぉ…っ」

 顔から落ちた少年は恨めし気な声を漏らしながら、起き上がる。


「それを言いたいのはこちらだし、まだ何もしていないんだが…」

 呆れて呟きながら青は、少年が立ち上がる様子を見守った。


 ふと手元に握った千本を見てみれば、先端が黒く変色している。

 毒が仕込んである。

 色と臭いから、猛毒ではなく、痺れ薬の類のようだ。


「うるせー! 弱いものいじめしてたくせに!」

「弱いものいじめ?」


 改めて状況を見渡せば、確かに、涙を流して震える兎族と少女を前に、武装した黒い外套に覆面の男という組み合わせは、そう見られても仕方が無い状況だ。


「覚悟しろよ、怪しい奴め!」

 立ち上がった少年の顔面は岩肌で作った擦り傷で赤くなっており、鼻血が垂れている。痛がる様子を見せず、少年は青に向けて双刀を構えた。


「あ、あの、君たち、誤解――」

「オレらが助けに来たから、もう大丈夫!」

「気を付けて、その人強いよ…!」


 弁明しようとする兎族の男の声を、黒装束の少年と少女は蹴散らしてしまう。


 そこへ更に、


「あーーー!! 鬼の戦士さまたちだ!」

 林の方から新たな声が響いてきた。


 見れば、片手に網を持った柚斗が、藪を抜け出たところだ。花弥が落としていった網を届けに来たらしい。


「あれ、神獣人様のお付きのお兄ちゃん??」

「え?!」

「神獣人様の…??」

 青の姿に気づいた柚斗が、指を差す。「鬼の戦士さま」と呼ばれた少年と少女が困惑したように顔を見合わせている。


「……あの、とりあえず話をしよう」

 少年たちを落ち着かせようと青が下手(したて)に出ようと試みるも、


「でも、邪神獣がいるのと同じで、悪の神獣人もいるって、キョウカ様も言ってたわ…!」

「じゃあお前も悪いやつだ!」

「……」


 あっさりと打ち砕かれる。


「え、お兄ちゃんも、あの神獣人様も悪いやつだったのか!?」


 更に柚斗まで加わって、収拾がつかない。


「あのさ、あのさ! 俺も鬼の戦士さまになるためにシュギョウしてるんだ!」


「おう! 悪い奴はジュウキ隊が退治してやるんだからなっ」


 柚斗と少年が共鳴しあってますます盛り上がってしまっている。


「…ジュウキ隊…?」

 青の脳裏に最初に思いついた字面は、獣鬼隊。


 なるほど。

 それで鬼の戦士というわけか。


 だがそんな事よりも、だ。


「……この状況をどうしろと……」


 青は内心で頭を抱えたい気分だった。

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