ep.32 チョウトク(4)

 場所を小屋の居間へ移して。


「すまんんん!! 姪っ子の命の恩人にとんだ狼藉を!!」

「誤解を招く行動をしたのはこちらですし、顔をあげて下さい」

 打って変わって床に額を擦り付けて平謝りの中年の男を宥めるのに、青は必死になっていた。


 男は諜報部の准士で、名を東雲天陽(しののめ・てんよう)と名乗った。言葉通り、東雲暁中士の叔父だ。謝罪の仕方がそっくりなのは、血のつながりが関係あるのだろうか。


 小屋近辺へ跳んできた式鳥は、帰還が遅い姪っ子を心配した叔父が飛ばしたものだった。鳥の後を追って森へ来てみれば、満身創痍の姪と若い男が小屋から姿を現したものだから、頭に血が上った―というわけだ。


「それにしても、何であさぎちゃんがここに?」


 話題を切り替える意図も含め、青は数年ぶりに再会したあさぎへ声を向けた。天陽の後ろで大人しく座っていたあさぎが「はい!」と首を伸ばす。


「先生、私いまチョウトクの訓練に参加してるの!」

「こら!あさちゃん、言葉遣い!」


 天陽に窘められて「はーい」とあさぎは笑って肩を縮めた。そのやり取りから、あさぎの言葉が真実であると分かる。


「大丈夫ですよ。彼女がまだ初等学校時代に知り合ったものですから」


 改めてあさぎの出で立ちを見やる。

 あの頃と同じ淡桃色の刺繍が施された装束に、今は体術訓練用の手甲と脚絆を装着している。身長が伸びて、装束の袖や裾から覗く手足も幾分か筋肉質になっていた。


 そして相変わらず、肌には傷一つ無い。

 あさぎの体質を、チョウトクの面々は知っているのだろうか。


「重ね重ね申し訳ない。オレはこの子の教官をしてるんだが、これも経験と思って同行させていたんだ」

「そうだったんですね。あさぎちゃん、チョウトクの訓練生だなんてすごいよ」


 法軍において、身体、運動能力に特化した精鋭が集うと言われている「チョウトク」。確かに持久力面において、あさぎであれば、引けを取らないだろう。


 あさぎが自ら門を叩いたのか、それとも諜報部側から引き抜きがあったのかは分からないが、後者である可能性も高そうだ。


「ふふ」

 かつての保健士の先生に褒められて、あさぎは嬉しそうに白い歯を見せた。


「天陽センセイは、オジサンだけどすごく強いの」

「うん。分かるよ」


 オジサンだけどは余計だが、と思いつつ。

 腕の点穴を突いても即座に反撃してきたのが、青の記憶に天陽の他は、キョウしかいない。それに、隻腕を思わせない戦いぶり。


 天陽も「オジサンだけど、は余計だ!」と言いつつ嬉しそうではある。


「いやあ、もう年だし、今ではすっかり半引退して窓際の内勤だがね」


 叔父の豪快な笑い声を聞きながら、あさぎの隣で東雲中士は静かに苦笑していた。


「ところで、大月センセイ」


 笑みの形に細められた天陽の目が、青を通り越して背後へ向いた。


「あの仮面は、鬼豹かな」

「――え」


 言われた通り、青の背後は棚。藍鬼の仮面が立てかけてある。


 鬼豹は伝承上の神獣で、遠い異国の地では妖として実在するとも言われているが、少なくとも凪では知名度が低いはずだ。


「オレはその仮面をしていた人物を、よく知っていてね」

「!」


 声に出しかけて、青は息を呑み込む。


「毒術のエラい御仁さ。何度か一緒になったが、おかげでかなり任務が楽になったし、命を救われた事だって何回もある」

「……」


 何を意図して天陽がこの話を始めたのか掴めず、青は肯定も問いかけもせず、静かに耳を傾けた。


「だからオレも兄貴も命を賭けたし、後悔もしとらん」

 天陽の、肘で袖を縛った左腕がわずかに持ち上がった。


 肘から下を失った天陽の腕を見つめて、青はハクロの言葉を思い出していた。

 曰く、藍鬼の麒麟奪還任務には諜報部が関わっていた。禍地が凪を出奔してから藍鬼が任務に旅立つまでの間、諜報部が禍地の行方を追い続けていたのだ。


 十五年も前のこと。


 若き日の天陽が、禍地捜索任務に何かしら関わっていたと考えるのは、都合が良すぎるだろうか。


「大月センセイ?」

「……あ…すみません、失礼を」


 肘から下を失った天陽の左腕を見つめていた自分に気づき、青は狼狽えて顔を上げる。そこには微笑む形に目を細めた、天陽の面持ちがあった。


「大月センセイに会えて良かった。会っておいて良かった」

「それは…?」

「姪っ子を、暁を助けてくれて感謝する」


 そして再び、天陽は片手をついて頭を深く下げる。呼吸を合わせるように、東雲中士も黙礼。


「……」

 あさぎは正座して背をただし、静かに大人たちを見つめていた。



 村まで送ろうという青の申し出を断り、諜報部の三人は小屋を後にした。

 暁をあさぎが背負い、天陽が片手に炎を灯して周囲を警戒しながら先導する。

「大月センセイ」は、姿が見えなくなるまで戸口で見送っていた。


「あさちゃん、ごめんね…重いでしょ」

「大丈夫!気にしちゃダメだよ」


 後輩の無害な笑顔に、東雲中士は安堵混じりの苦笑を漏らした。こういう時は、あさぎの明るさに救われる。


 数ヶ月前から諜報部の訓練生となったあさぎの純真な振る舞いに、当初は「これだからお嬢さん育ちは」と揶揄する声に同調しかけた事もあった。今はそんな自分を恥じている。 


「三葉医院の大月センセイ、か」

 獣道を踏み分けて先導する天陽の背中から、独り言が流れてきた。


「評判通りのイイ男だったな、アキ」

「……殴りかかったくせに」

「あれはしょうがないだろうが」

「叔父さんのせいで、しばらく三葉医院には行けない……」

「悪かったって」


 そんな叔父と姪の他愛のないケンカが、夜の森の眠りを妨げる。獣道の両側から、小動物たちが逃げ去る音が連続した。


「ふふふ」

 あさぎの不敵な笑いが横切る。

「大月先生は学校の保健士だった時も、人気者だったよ」


 優しくて、丁寧で、怪我人の気持ちに寄り添ってくれる「保健士の先生」を、悪く言う人はいなかった。


「ほぉ、その頃から評判の良いセンセイだったってわけか」


 三葉医院の評判―若いが腕の良い丁寧な医療士がいると、諜報部員間においても耳にした事がある。


「うん。私も大好きな先生」

「いいなあ。私が学校にいた時も大月先生だったら良かったのに」

「大月先生ってアキちゃんと同い年くらいだよ?」

「え!? 私、何で覚えてないんだろう…級が違ったのかも…」


 深い闇が降りた夜の森とは思えない、華やいだ女子談義を背中で聞きながら、

「ほぉ~????」

 天陽は苦虫を嚙み潰した顔をしていた。


 自慢げな笑顔の教え子と、珍しく男の話に花を咲かせる姪っ子。

 父親の代わりの気分でいた天陽としては、複雑な心境が拭えない。


「あのセンセイか……一師が保護した噂のガキってのは」


 静かな呟きは、夜鳴き鳥の警戒音と、湿った風に掻き消された。

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