ep.30 覚悟(1)

「ご指導のおかげで、虎の位に任命いただきました」


 深々とした礼のあと青が頭を上げると、目の前の朱鷺面がゆらゆらと左右に揺れている。連動して外套の裾も波打っていた。


 これはきっと、喜んでいる。


 この一年間の付き合いで、朱鷺の仮面と外套の下の感情が、多少なりとも読み取れるようになっていた。


「おめでとう……上は、賢明な判断をしたと……思うわ」

「ありがとうございます」


 蟲之区の実験場の片隅、今や朱鷺とシユウの定位置となっている土床の窓際。前回と同じように、青は持参した薬瓶を台へと並べていく。


「……それにしては……気が浮かない……って顔だけど……?」


 朱鷺面が、青の顔を覗き込む。顔の半分が隠れていても、朱鷺には心の内が見抜かれてしまうのだ。


「じつは……」と手を止めて青は暗殺任務の概要を朱鷺に打ち明けた。


「なるほど……? あるあるなお悩み……ね」

「あるある、ですか」


 よくある事、とにべもなく軽く受け流されかける。まるで小さなくだらない悩みであるかのように。


「一師は、どうされるんですか、そういう時は」

 今度は逆に青の方が、朱鷺面の瞳を覗くように上背を屈めた。


「どうって……依頼書通りにするだけ……よ」

 朱鷺は台の上に並ぶ薬瓶を、一つずつ手にとって確認している。


「家族ごと……罪の無い子どもも一緒に、ですか?」


 暗殺対象の男は政治的な危険分子と見なされている人物ではあるが、妻は病弱で、子どもたちはまだ幼く、危険性があるとは思えなかった。


「助ける必要があるならそう書いてあるでしょうし……君の「単独」任務であるなら「そういうこと」よ」


 子どもらの助命が必要であると上が判断したのなら、保護のための人手込みで編成されるはずである、という事だ。


「妻子が残れば……それを担ぎ上げて残党が動く危険性が……ある。上は……そう判断したんでしょうね……」

「……」

「納得しきれない……?」


 俯いた青の様子を一瞥して、朱鷺は手にした薬瓶を台に置いた。


「私はね……独りで村や大隊くらい消せる……。多殺は……高位の毒術師に求められる技量の一つ……でも、無力無実の人間はどうしたって混じってしまうもの……女や子ども……大規模な隊なら雇われの遊女なんかも……いるでしょう……」


 無駄な殺生をしない。それは法軍人の教訓の一つ。

 ただし「可能な範囲」とつくのは言うまでもない。


 最優先されるべきは任務の完遂であり、不運な人間の命を救うために、任務遂行者の命が脅かされる訳にはいかないのだ。


「もし、救える機会があるのなら……?」


 かつて朱鷺が、国抜け組織の賊から青とあさぎを救う機会を狙ってくれていた時のように。


「やりようで、標的一人だけを狙う事は、できます。家族に害が及ばないように」


 食い下がる弟子へ、師は正面に向き直った。


「君はこれまで……良い巡り合いを重ねてきた……のね……」

「え……?」

「君が困っていたら、そこに必ず、助け、導いてくれる人や手があった……」

「……」

「そして君もその恩に結果で応えてきた……それが次の縁も引き寄せる……それを繰り返して、君は生き延びてきた……そんな感じ?」


 全てがその通りだ。


 藍鬼との出会いから始まった全ての縁が、今の青を成した。


「……」


 青はただ、無言で朱鷺の言葉を受け止めるしか無い。


「だけど全ての子が……君と同じ立場ではないし、君のように生きられないの……君が独断で子どもを助けたとして、その命に……責任を持てるの……?依頼書をよく読んで……もう一度、考えてみて」

「それは」

「言っておくけど……以前の子狐たちが霽月院(さいげついん)に入る事ができたのは、凪には貴重な獣血人だから……よ」

「……!」


 青の黒曜の瞳が、見開かれる。


「君があの時に霽月院の名前を出した事にはちょっと驚いた……結果的には正解だったけれど……あそこに入れる子はどれだけ特別なのか、分かってる?」


 思い返せば。青が霽月院で暮らしていた時期に、院で生活していた子の数は十人程度。凪全体で考えた時に、どれだけの行き場のない子どもが影に存在していたのか。


「毒術師は……高位ほど……単独で多殺を求められる。麒麟に上がる頃にはそれこそ…その度に同情で救った命の後見をしていたら、キリがない……の……」


 そこで朱鷺は言葉を切った。喋りすぎたせいでもあるのか、深い呼吸を連続させる。


「毒術師で……上を目指すって……そういう覚悟が必要って事……」

「一師……」


 ぜひ君に、経験を積んでもらいたい事がある


 虎の位を任命した直後に任務を命じた時の、長の言葉が青の記憶に蘇る。


 この任務は、狼を卒業した毒術師にすべからく完遂すべき試練として科しているものなのだろうか。


 それとも、後見人であった故に知る青の「甘さ」を把握しての事かもしれない。


「……僕の考えが、浅はかでした。申し訳ありません」

 青は再び、深く頭を垂れる。


 無実無力な命を奪う事への葛藤を昇華できた訳ではない。

 朱鷺が語る「毒術師たる心得」に対し、己の甘さを恥じた。


「……念の為に付け加えておく……けど」

 頭を下げたままの青を見つめる朱鷺の、仮面の奥から深い吐息が聞こえる。


「私は何も……殺戮機械になれと……言ってるわけじゃない……」

「……!」

 弾かれるように、青は頭を上げた。


「誰かを助ける為にも……「力」は必要ってこと……」


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