毒使い

ep.28 新たな課題（１）

　負傷者数名。

　そして護衛対象が心神喪失状態。

　任務続行不可として、護衛隊はいったん凪へ引き返す。

　これがアザミとキョウが下した判断だった。

　式鳥を飛ばし、途中で救護隊と合流する手はずだ。

　陽乃は栗毛の馬上ですっかり萎れた様子で、大人しく手綱を檀弓に握らせている。

　白馬の埋葬と荷物の移し替えを終え、動けない玄野准士はキョウが背負う。

「…私とシユウ佳師は…アレを検分したいので…残ります」

　朱鷺が示すのは、蜥蜴の遺骸。毒術師二人はここで護衛隊と別れる事になった。

「お二人がいなければ、状況はもっと酷くなっていたはずだ。感謝する」

　最後にアザミが深々と頭を下げ、他の士官たちも続く。

　十分過ぎるほどの感謝の意を受け逆に恐縮した青は、一緒になってペコペコとお辞儀を繰り返した。朱鷺は「いいえ…」と呟きながらゆるく左右に揺れていた。

「マジ助かった！またな！」

　トウジュはシユウを同世代と見定めてか、もう友人のように気さくに笑顔を向けてくる。

「こちらこそ、榊中士。お大事に」

「おう！」

　青の笑顔は覆面に隠れているが、トウジュには伝わったようだ。

「……」

　前方を見据えて護衛隊の面々から顔をそむけていた馬上の陽乃が一瞬、背後を振り返った。

「よそ見をされると、危のうございます」

　檀弓がそっと側から声をかけると、陽乃は拗ねているのか無言で再び前方に向き直る。

　姫の侍女というのも大変な仕事だと、青が檀弓に若干の同情を覚えたその時――

「……？」

　馬上の姫を見上げる檀弓の横顔が、ほくそ笑んだように見えたのは、気のせいだろうか。

　青が瞬きした直後には、檀弓は手綱を握った手元へ視線を落として俯いている。

「では、失礼する」

「お気をつけて」

　複雑な事情がありそうな主従を連れて、護衛隊は凪に向かって引き返していった。

「大丈夫でしょうか」

　護衛隊が見えなくなるまで見送って、青は隣に立つ朱鷺へ問う。

「何が…」

「峡谷上士が罰せられないかと」

　事情がどうであれ、他国の要人の娘を脅し、暴言を吐いたのだ。

「大丈夫でしょ…ついでに言うなら…全部…無かった事に…なる」

「ええ？！　全部、あの狂言の事もですか？？」

　陽乃が狂言を企てたであろう事も。侍女が賊をけしかけたと証言した事も。

　その結果護衛隊に軽微ならざる被害が出ているとしても、事実検証と国家間問題に発展させる代償と天秤に掛けた時、自ずとどう収めるのが現実的か。

「小娘の児戯を…いちいち国同士の問題にしてたら…キリない…でしょ」

「そういう、ものですか」

　納得しかねる、という顔で唇を噛み締める若輩者をよそに、朱鷺は毒蜥蜴の死骸へ歩み寄る。

「そういうもの、よ…政治って。法軍人は基本…捨て駒、なんだもの」

「そんな」

「みんな…分かってる…そうでなければ…いけないって」

　朱鷺は取り出した苦無の刃先で、毒蜥蜴の腸を弄っている。毒液を溜める器官を探しているのだろう。

「…だからこそ…」

　懐から空きの硝子瓶を取り出し、そこへ蜥蜴から摘出した何かを入れていく。

「あの場で…あれが言えた峡谷上士は…良い指導者になると思う、わ…」

「……」

　キョウさん、と覆面の下で青は呟いた。

　風が吹いて、頭の中の埃が跳んでいったような気分だ。

　自らの立場が危うくなる事を厭わず、仲間や部下のために感情を露わに苦言を言い放った。

　あの瞬間、傍らで見ていた青でさえ気分が瞬間的に晴れた事は否めない。

　命を賭けて戦ったトウジュ達には尚更だろう。

　あの場で上士があの行動をとることで、下の者は手出し口出しできなくなる。それが陽乃と侍女を守る結果にもなったであろう。

「やっぱりさすがだな、あの人は」

　青は護衛隊が戻っていった復路を振り返る。

　改めてキョウとの格の違いを実感し、だが清々しい気分にもなった。

「…何やら…感慨に浸ってるところ…ごめんだけど…」

「あ、はい、スミマセン」

　背後に朱鷺から声をかけられ、青は跳ねるように振り返った。そう言われると急に気恥ずかしい気持ちになる。

　朱鷺は血塗れの臓器片らしき物体が入った小瓶を陽光にかざして、満足そうに頷いていた。

「この間の任務で…話しそびれた事…いま言っても…いい？」

「はい！　ぜひお願いします」　

　青は背筋を伸ばした。

「話っていうのは…あれについて」

　龍の手甲で指し示すのは、十数頭の剃刀尾蜥蜴の黒焦げ死骸。

　朱鷺が水術と毒を用いて蜥蜴の動きを封じ、キョウが雷術で炭化させた結果がまだ、黒煙を燻らせていた。

「シユウ君、前に…神通術が不得手だって…言ってたよね」

　物騒な小瓶を懐に仕舞うと、朱鷺はゆっくりと立ち上がった。急に立ち上がると目眩がするからだ。

「はい、覚えています」

　確かにあの日、術の制御はできても、術力が足りず火力が出せないために実戦で使い物にならないと、青は朱鷺に打ち明けた。

　朱鷺が青に何かを伝えかけて、賊の夜襲によって中断されたままだったのだ。

「夜襲戦で私たちがやった事は…毒の補助に神通術を使ったの」

　賊の夜襲に備えて罠を張るため、地中や樹木に毒を仕込みや起爆の手段として水術や地術を利用した。

「でもさっきのは、逆。神通術の補助に、毒を使う…ってこと」

「逆…」

　青は息を呑み込んだ。頭の中で、鍵のようなものが開く音がした。

「玉も長蛇も…そもそもの威力が弱い術…でもその水が…逆飛泉のような劇薬だったら…？」

「……」

「風術の鎌鼬に…鯱脅（しゃちおど）しや朧紅（おぼろべに）が混ざっていたら…？地術の天劔や針地獄が…ただの土ではなく病葉（わくらば）によって毒の腐泥となっていたら…？」

　鯱脅し、朧紅、病葉も、凪の毒術師が作り出し、法軍の間で広く使われている毒薬の名称だ。鯱脅しは痺れ毒、朧紅は血液凝固を阻害し、病葉はあらゆる有機物を瞬時に腐敗させる。

「それ、は」

「ただじゃ済まない…でしょ…？」

「……」

　言葉を失くし、ただ頷くだけの若き毒術師へ、朱鷺は最も伝えるべき言葉を手向けた。

「毒は、火力になる」

「火力…」

　それは術力不足に悩む青がずっと望んでいた「力」だ。

「単純な話」

　と朱鷺の手が外套の中から、青に向けて差し出される。その手には小さな薬瓶。

「術者自身が作った毒の方が、術との馴染みは良い…だから、君が自分で強力な毒を生み出せるようになれば、それだけ術の火力が上がるってこと。毒の種類が増えれば、術の種類も増えるってこと」

　同じ水術の玉でも、効能の異なる毒を使えば、それはもう「別の術」と同義だ。

「術、罠、式、幻術。それと掛け合わせる毒の数。何通りの組み合わせがあると思う？　計算したことないけど」

　いつの間にか、朱鷺から息切れや声の掠みが消えていた。

「…たくさん、という事だけは」

「ただ、強力な毒薬を多く作りだせれば良いという事でもないの」

　朱鷺は言葉を続ける。

「神通術と毒という異物同士をかけ合わせるには、正確に術を制御できなければならないんだけど…」

　そもそも、術の制御が不得手な術者が下手に毒と組み合わせようとしたとしても、己が毒を被って大惨事、がオチだ。

「あれを」

　朱鷺の手が、南側を指し示した。

「一発で、この完成度で成功させた子を、私は他に知らない」

　そこには、青が殲滅させた剃刀蜥蜴の死骸の群れ。

「一師…」

　まるで別人のように淀みなく語る朱鷺に圧倒されながら、青は胸の奥から湧き上がる興奮と熱を感じていた。

　毒は火力になる。

　朱鷺のその一言が、青の目前に光が差し込むような感覚へ導いた。

「シユウ君」

　朱鷺面の奥の瞳が、青を見据える。

　一歩、一歩と朱鷺面の嘴が、青に詰め寄った。

「君は、麒麟を目指す気がある？」

「はい」

「早…」

　躊躇も淀みもない青の即答は、朱鷺を驚かせると同時に満足させたようだ。

「なら」

　龍の銀板が縫い付けられた手甲から延びる細い指が、青の胸元を突いた。

「総合型の毒術師を目指しなさい」

「総合型…」

「麒麟に値する実力の毒術師は皆、総合型だった。麒麟を持ち去った禍地特師は勿論のこと、彼と肩を並べていた藍鬼一師も」

「……」

　青の網膜が、目の前に立つ朱鷺に藍鬼を重ねて映した。

　思えば藍鬼は神通術も使いこなし戦い全般に秀で、一方で彼の名で登録された毒薬や薬剤を軍の目録でいくつも見かけた。毒術や薬術のみならず、多分野にわたり博識だった。

　総合型とは、藍鬼の如き毒術師を指す。

　青の中に残る藍鬼の記憶の点が、線で結ばれた。

「今の君に足りないのは火力」

「はい」

「ニ年以内に軍の薬品目録・序、応、稀までの毒薬之章を術に応用できるように訓練すること」

「え」

　朱鷺から、新たな「課題」が示された。

「目録の毒薬は全部諳んじて作れるようにすること。一年以内に序、応、稀まで。その後は目録にない私の処方を伝授してあげる」

「い、一師の処方を？！」

　覆面の下で、青の声が弾む。

　それはつまり――

「新薬の開発なんて今の君には生意気。後回し。獅子取得後くらいで十分。狼と虎の内は経験の蓄積と鍛錬だと思ってひたすら任務の数をこなすこと」

　一節、一節を口にするたび、朱鷺の指は脈拍を打つように、青の胸元を叩いた。

「体力づくりや体術も決して怠らないこと。針、千本、苦無は寝ていても使えるくらい体に覚えさせて」

「……」

　青はただ、朱鷺の勢いに圧倒される。

　それはどこか、懐かしい驚きでもあった。

「私と、四年で獅子を目指す。やる？　やらない？」

「やります！」

　それはつまり、朱鷺が青を「弟子」と認めた瞬間だった。