ep.24 夜戦(1)

 夜襲に備えた作戦が両上士から指令され各自が準備に動く中、二人の毒術師は薄闇の中にいた。


「あれ、何してるんだ」


 行き交う中士や准士たちが、ふと足を止める。


「隊長の命で罠を張ってるらしい」


 彼らの視線の先では、若い毒術師が地面を這うように両手を地につけ動かず、その隣で外套に全身を隠した朱鷺面の毒術師が不気味に佇んで様子を見守っている。


「五か所目、できました。確認をお願いします」


 若い毒術師―青が地面から手を離して顔を上げると、入れ替わるように朱鷺が地面に片手をつく。しばらくの静寂の後、


「はい、良いでしょう…」

 頷いて手を離し数歩、移動する。


「次は…あの辺り」

 と藪を指さす。


「分かりました」

 同じように数歩移動して、青が再び地面に両手を沿える。


 それを繰り返すこと計十回。青の顔色に少しの疲労が見え始めた頃。


「うん…大丈夫…これで、誘導罠は…完成」

「良かった…ご確認ありがとうございました!」


 朱鷺の頷きを見て、青は安堵の息を深く吐き出した。指示に沿って正確な位置に毒罠を仕込む必要があり、一箇所ずつ朱鷺の確認を挟みながらの作業はさながら試験を受けているようで、緊張し通しだった。


「一師、次は何を」

「こっち…」


 黒いホオズキの後をついて行くと、老いた巨木にたどり着く。乾いてひび割れた木の皮が鱗のように幹を護っている。


 成人数人が腕を回しても届かないほどに太い幹の前に立ち、朱鷺は高枝を見上げる。天に向かって手を広げた腕のように、太枝が四方八方へ伸びていた。


「い…」

 呼びかけて、青は口を噤んだ。


 老木を見上げたままの朱鷺を、静かに見守る。聞こえない、見えない対話をしているかのように、微風が両者の間にそよいだ。


 風が止まる。


 外套の中から差し出された朱鷺の手には、透明の液体が入った硝子瓶。蓋を開け瓶を一振り。液体が宙に迸る。


「水神…玉」


 朱鷺が仮面の下で小さく唱えると、飛沫が意思を持ったように宙で寄り集まり、水の球を形作った。


「紅雨(こうう)」


 次の唱えと共に朱鷺の手が幹に触れると、水の球も老木へと吸い込まれて消える。


「?!」


 慌てて青も手を幹に添え、目を閉じる。樹に触れる掌に意識を集中させると、内部の水流が目に見えるように感じ取れた。


 朱鷺が流し込んだ液体が、幹を通り、枝へ抜け、樹冠全体から梢まで、隅々へ広がっていく。


「これで…よし」

「一師、今の液体は」

「鯱(しゃち)脅し…」


 凪の法軍では一般的な、強い痺れ毒の名だ。


「一師、用意できましたよ~」


 声がかかり振り返ると、盆を持つ蓮華の姿があった。


 盆の上には猪口や湯呑みが総員数分並んでおり、いくつかは伏せられている。


「どれでも良いので一杯、飲んで下さい。シユウ君もね」

「いただきます…」


 早々に朱鷺が盆に手を伸ばし、背を向けて杯を煽った。


「私が作った防毒薬だから信用して良いわよ」

「も、もちろんです、頂戴します」


 青もならって手早く飲み干した。無味無臭で喉の引っかかりもなく、飲みやすい。後でコツを聞いてみようと思いつつ、空杯を盆に戻した。


 薬術師や毒術師は任務において常に、解毒と防毒に関する薬を持参するものだ。


 法軍で汎用的に使われている薬もあるが、高位の毒術師や薬術師を任務に伴う事の利点には、汎用薬ではなく高品質もしくは任務内容に応じた高効果なものが提供される、というものがある。


「二人が罠に精通しているおかげで助かったって、隊長たちが話していましたよ」


 傍らの老木を、蓮華も見上げた。


「そう…それは良かった…」


 朱鷺の面が、ちらりと青を見やった。三人の間を生温い微風がそよいで、白い外套の裾を揺らす。


「おかげで、予定よりも早く帰還できそうです」


 紅を引いた蓮華の唇が微笑みを作る。


「ではまた後ほど」


 そして盆を手に軽やかに踵を返し、天幕の方へと戻っていった。



 夏を迎えようとする季節にも、森の夜の闇は濃い。霞がかった月明かりが木々の間を縫うように野営地を照らしている。


 いくつかの天幕が焚火を囲むように点在し、焚火の前には交代制の見張り番がついていた。中士二人と准士一名が、時おり小声で会話を交わしている。


 一見して平常を装った夜営の様子を見下ろせる杉の高枝に、朱鷺と青の二人はいた。


 隊長、副隊長両名の読み通り本当に夜襲はあるのだろうかと、初体験となる状況に青は落ち着きなく眼下へ視線を散らしている。


「シユウ君…は、神通術…得意、なの…?」


 夜の鳥の声に交じり、朱鷺の微かな声が青の耳に届いた。


「え、術?ですか」


 唐突な問いかけに驚いて、あやうく手を滑らせるところだった。


「いえ…僕は、神通術全般が不得手なんです」


 青は小さく苦笑を漏らした。質問の意図は分からないが、とりあえず正直に答えておく。誤魔化したところで見透かされる。


「そう…?毒罠では…うまく…使えてたけど…」


 長い嘴が振り向く。狭い枝影に二人で身を潜めているために、嘴が青の顔に当たりそうになるのだ。


「本当ですか、ありがとうございます」


 思わず声が弾んで、青は覆面の上から口元を手で覆った。今は作戦遂行中なのである。


「でも、神通術自体の術力、火力は弱いんです」

 青は肩を縮めて、声を潜めた。


 学校時代も級友たちに比べて術の修得が遅かった事、今は基本的な神通術は使えるようになったものの、戦いの場においては使い物にならない事など、嘘偽りなく話す。


「ふうん…なるほど…ね」

 朱鷺の面は、まっすぐに青を向いていた。


「……?」

「…あのね、」

 少しの沈黙を挟み朱鷺が発しかけた言葉を、


「うわっ!」


 野営地にいる隊員の声と激しい水音が、掻き消した。


「!」


 辺り一帯が闇に落とされる。

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