ep.22 獣人(けものびと)

 朱鷺にとって、龍の藍鬼と麒麟の禍地(かじ)は憧れであり、目標だった。


 毒術師には大きく分けて三種類の型がある。

 一つは製薬特化型。二つ目は戦闘型。三つ目は総合型。

 製薬特化型は、新薬の開発や改良、高品質な製薬技術に秀でた者。

 戦闘型は、毒を取り入れた戦いに秀でた者。

 総合型は、その両方を兼ね備えた者だ。


 総合型は数が少なく、毒術師の歴史において麒麟へ到達し得る者は例外なく総合型であり、近年においては禍地と藍鬼がその代表、毒術の双璧と謡われていた。

 双璧の一つ、よりにもよって麒麟を引き継いだ禍地が国を抜けたと判明した時の、技能士界隈の混乱ぶりを、朱鷺は今でも覚えている。

 禍地の出自は不透明で、元は凪の外からの移民であったと言われている。

 所詮は余所者だった、忌民、下民だ、恩知らずだなどと、あらゆる罵詈雑言、誹りが蔓延った。

 禍地の親友であった藍鬼へも、謂れ無き誹謗が降りかかった。また同時に、麒麟を討ち果たすに敵う龍であるという期待と圧力も、彼の心を蝕んだ。

 当時まだ狼の位であった朱鷺に、できる事は何も無かった。

 禍地が国抜けをしてしばらく、藍鬼はどこぞに引きこもって姿を現さず、任務の請負も拒否する日々が続く。


 ところがしばらくすると、妙な噂が流れ始めた。

 藍鬼一師に子がいるらしい、と。

 四、五歳ほどの幼い少年を伴っているところを目撃したという証言が相次いだ。

 隠し子か。いや親戚の子を引き取ったのでは。もしくは弟子か―などと、今度は好奇の噂話が出回る。

 隠し子の噂は時間の経過と共に形を変えていき、いつの間にか立ち消えた。


 次に藍鬼の風聞を耳にしたのは、ついに禍地の抹殺任務へと出立したという事実。


 そして最後に耳にしたのは、藍鬼、殉職の報だった。



 翌朝、青は任務の合流地点である都の大門前にいた。肌にまとわりつく湿気を帯びた濃い朝霧が、都と外の境界を曖昧にぼかしている。

 昨日の任務管理局の玄関にて、周囲の奇異なものを見る視線を浴びながら、青はシユウとして朱鷺とぎこちない「初対面」を果たした。

 何故「シユウ」を指名したのか問う勇気が出ないまま今朝を迎え、隊が出揃うのを待っている。

 今回の任務において青の実質的な上官にあたる朱鷺の到着を待つ間、青は改めて任務依頼書に目を通した。

 今回の任務内容は、匪賊の討滅。

 僻地や秘境に潜み人々を脅かすのは、何も獣や妖だけではない。

 凪に限った話ではなく、ならず者達の存在はこの世のあらゆる為政者達の悩みの種だ。主に公権力や法軍等の秩序維持機関の影響範囲が及びにくい地帯、地域が匪賊らの活動域となり、時に人里を脅かす。

「なるほど…そこで朱鷺一師の出番か」

 青が見届ける事のできなかった、国抜け斡旋組織の殲滅任務の再現を、この任務で目にすることができるのかもしれない。

 任務に参加する面々は、総勢二十名の小隊規模だ。

 隊長、副隊長に上士が二名。中士が十名。准士が五名。そして毒術師が二名、薬術師が一名。何人か、名簿の中に知っている名があった。

「シユウ君、今回もよろしくお願いします」

 見知った名前の一人目は、隊長の一色上士。格下にも丁寧な物腰は前回と変わらない。不安が多い一級任務だが、隊長欄に一色の名前を見つけた時は救われた気持ちになったのは、青の正直な気持ちだ。

「お前か。この間は悪かったな」

 二人目は、副隊長の楠野上士。不眠症の八つ当たりを喰らわせてきたのは記憶に新しいが、謝られるとは意外だった。青が返事に困っているうちに「楠野教官」と背後から声をかけられて、楠野上士は踵を返してしまった。見ると中士三人から「ご一緒できて光栄です」と話しかけられている。

「教官?」

 聞き慣れない呼び方だと疑問符を浮かべる青の背後に、

「楠野上士、訓練所の教官だったのよ」

「わ、れ、蓮華二師」

 見知った名前の三人目、薬術師の獅子・蓮華が立っていた。

 訓練所とは、法軍属の教育機関の一つだ。

 法軍へ入隊する道はいくつか存在する。

 青のように法軍属の初等学校、中等課程を経て下士試験合格をもって入隊とする道程は王道とされる。

 一方で様々な事情で前者を経由しなかった場合で出自は問わず、腕に覚えのある者が最短半年、最長五年の訓練を経て下士試験の受験資格を得る事が可能となるのが訓練所だ。

 故に学校卒と訓練所卒で比較される事が多くなりがちである。

「と言う事は、あの三人は訓練所卒の方かぁ」

 単純な興味で、青は楠野へ声をかけた三人を見やった。いずれも青より少し年上であろう若者で、三人のうち一人は女だった。

「シユウ佳師、朱鷺一師の推薦なんですってね?」

 青の隣に並び、蓮華は集合場所の面々を見渡す。朱鷺はまだ姿を現していない。

「一応、そうなります」

 理由は未だに分からず、本人に訪ねる機会も逃していた。

「ふうん、今回は君かぁ」

 蓮華の仮面は、顔面の上半分だけを隠している。薄く紅を引いた唇が、意味ありげに微笑みを形作った。

「今回は?」

 蓮華は朱鷺をよく知っている口ぶりだ。高位の技能師になるほど数が減るため、顔なじみも増えてくるのだろう。

「あの方、よく若手の毒術師を高難易度任務に連れてくるの」

 青の他にも推薦を受けた狼の毒術師たちがいたようだ。

「私よく一師と任務でご一緒するんだけど、二度目を見た子はいなかったわね」

「それ、は」

「お…待…た…せ……」

 背後から幽霊のような声と共に、にゅっと黒い嘴が伸びた。

「わっ!」

 いつの間にか、青と蓮華の背後に立っていた朱鷺。面の黒く長い嘴が二人の間から突き出ていた。集合場所にいる面々が一斉に振り向く。朱鷺の異様な姿に、小さなざわめきすら起きる。

 もっと普通に登場して欲しいと思う、青であった。


 途中の道程までは転送陣を使い、辺境区に入るとそこからは足での移動となる。

 隊は二手に分けられ、一色隊長班と、楠野副隊長班でそれぞれ西回り、東回りで北上。適宜、式鳥で連絡を取り互いの殲滅数を報告し合いながら、合流地点を目指す運びとなった。

 青は蓮華と楠野班、朱鷺は一色班となった。道中で朱鷺の仕事ぶりを観察できないのは残念だが、合流先に匪賊共が砦を築いているとの情報が諜報部よりもたらされている。高位の毒術師が派遣される理由はそこであろう。

「上がるぞ」

 切り立った岩壁を見上げ、楠野上士は頭上を指し示した。岩々が重なり合う谷間を抜ける道中、できるだけ見晴らしの良い場所を優先しようという策だ。楠野の誘導に従いそれぞれ崖上へ跳び上がる。渓谷の乾いた風が一層強く吹き付けた。

 楠野上士を先頭に准士と中士が続き、その後ろを青と蓮華が横に並び、更に後ろに准士が一人続く。

「楠野上士」

 崖上からの谷間の様子を伺いながら歩く青の耳に、前方を歩く中士の声が乾いた風に重なって届いた。

「何だ、小毬(こまり)」

 楠野が足を止めると、自然と全体も歩を緩める。声をかけた中士は小毬チサ。訓練所出身者の一人だ。名前に似合う、小動物のような丸い瞳が印象的だ。頭の両側で団子状に結んだ髪が、動物の耳のようにも見える。

「この先に、人の匂いを感じます」

「匂い?」

 他の面々が顔を見合わせる。崖下の谷間に広がる雑木林を眺めながら首を傾げる者もいる。青も僅かに口元へ被さる外套の襟を下げて鼻を利かすが、風が運ぶ乾いた砂の香りしか感じられなかった。

「雲類鷲(うるわし)」

 楠野が次に声を掛けたのも、訓練所の元教え子二人目。雲類鷲ソラ中士。彼もまたその名に似合った、鋭い眼光の持ち主の青年だ。猛禽類の風切羽のような硬質の黒髪の毛先が風になびいている。

「あのミズナラが群生している辺りに」

 と谷間に広がる雑木林の一角を示す。二人の中士の言葉を受けて、楠野は崖下へ目を凝らす。

「ミズナラ…」

 ふと思い当たって、青はその場で膝をついた。

 両手を地に這わせ、水術で水脈を探る。

「どうした、毒術の」

「し…」

 青に代わり蓮華が面々の静寂を促した。

 崖上から谷間までの距離を探るのは容易ではない。青は只管に集中し、意識を潜らせた。

「やっぱり」

 見つけた。

 立ち上がり、雲類鷲中士が示したミズナラの群生地から、少し西へ逸れた方を指す。

「あのあたりに、村落まではいかない、おそらく野営地がありそうです」

「水を読んだのか」

 楠野の問いに、青は頷いた。

「このまま南下されたら厄介だ。潰す。小毬、雲類鷲、蓮華、シユウはここで待機」

「承知」

 名前を呼ばれなかった面々は楠野に続いて崖を下る。上から様子を眺めていると、森の一部、ミズナラ群生地付近で木々が激しく揺れ、間もなく鎮まった。

「片付いたみたい」

 蓮華の言葉通り、しばらくして森から一羽の式鳥が東へ飛び去る。

「あぶれ者集団だった」

 とは、戻った中士や准士達の感想。匪賊の輪からも弾かれたゴロツキで、放っておいても人里や村落の自警団にすらやられるか、賊同士の縄張り争いに敗れて殺されるかの末路は見えている。

「あの程度じゃ妖避けにもならんだろう」

 賊にも唯一の利点があり、奴らの活動範囲においては妖獣や妖虫の活動が鈍るという点だ。よって国は妖と賊の被害規模を天秤にかけ、適度に双方の「間引き」をする。

 青もこのからくりに気づいた時は、少なからず大人の事情に幻滅したものだった。「りっぱな法軍人になるんだ」と意気込む初等学校の生徒たちの大半は、人々を救う英雄、正義の味方としての未来を夢見ているものだから。

 チイ

 鳥の声がして、楠野の頭上に式鳥が舞い降りた。西側の一色隊長からだ。脚に括りつけた手紙には、一色隊側の戦況が記されている。こちらと状況は似ていて、はぐれ雑魚の集まりを二組ほど始末したという。

「…妙だな…」

「どうしましたか」

 小首を傾げる楠野へ、傍らの准士が尋ねる。

「上!」

 小鞠中士の声。直後、隊の頭上に影が差した。

「散れ!」

 全員その場から飛びずさる。巨大落石が足場を崩し、青たち一行を分断した。続けざまに頭上から轟音と共に次々と岩や丸太が落ちてくる。罠だ。咄嗟に風術を発動させ崖から跳ぶ。谷間の林へ着地すると、

「ぐあ!」

 誰かの叫び声。

「!?」

 振り向くと、腕に矢を突き立てた中士が地に転がっていた。すかさず楠野上士が駆け寄る。

「風壁!」

 二の矢、三の矢を風術で無効化し、負傷した中士を引っ張りこんで大樹の影に身を隠した。

「囲まれている…!?」

 青も木の影に潜む。

 賊の姿は見えないが、気配は確実に感じる。最初に出逢った雑魚とは格が違う。

 隊を森へ誘導するための罠。薄暗い森の中で、地の利は圧倒的に賊側にある。無暗に神通術を用いて力業で突破しようとしても樹々が障害となる。術の乱発は体力や気を無駄に消耗するだけだ。

「矢に毒が塗ってなければいいけど…」

 岩陰から蓮華が、負傷した中士の様子を覗いている。中士は自ら矢柄を短く折り、布で傷口周辺を縛り止血を試みているようだった。楠野は刀を抜き周囲の気配を探っている。他の中士や准士らも同じように武器を手に、身を隠して上官の命を待つ。

「…罠…か」

 状況の把握と共に、青はひらめきをそのまま口にした。

 賊との距離がある今のうちなら、試してみる価値はあるかもしれない。

 青は苦無を手にすると、足元に隆起する木の根に突き立て、切り込みを押し広げる。道具袋から青黒い液体が詰められた小瓶を取り出し、根の切り込みへ流した。そして突き立てた苦無を握り、目を瞑る。

「シユウ君…?」

 青の様子に気づいた蓮華が、近くにいる准士へ目配せした。

『その子を護って』

 声を発する事ができない事態に使う指文字で手早く伝える。准士が頷き返した。

 法軍の一隊と賊、お互いに息と気配を殺し睨み合う時間が続くが、包囲は少しずつ距離を縮めている。

 どこか一点を崩す事ができれば。

 楠野上士は包囲網の気配を探り続けた。下手にこちらから打って出れば、別の角度からの攻撃が部下を襲う可能性が高い。

「気を温存したかったが…仕方ないか…」

 楠野は刀の刃を自らの腕に当てる。血触媒を使って一気に一帯の賊を薙ぎ払うか。力技のやむを得ない考えに至りかけた思考を、

「ぎゃあ!」

「ぐあ!」

 暗がりの奥から響く賊の叫び声が蹴散らした。

「そこか!」

 楠野が即座に声へ向かい飛び掛かる。藪の中に身を隠していた賊二人を斬り伏せた。足元に転がった賊達は、揃いの黒い装束と覆面に身を包んでいる。組織化されている事が見て取れた。

「何だこりゃ!?」

「チクショウ!毒か!」

 森の奥でせわしなく気配が右往左往する。

 包囲網が崩れた。

 続いてまた、

「ぐふっ!」

「うがあ!」

 別方向からも悲鳴やくぐもったうめき声が矢継ぎ早に連なった。

「こちらはお任せを」

 声を頼りに中士や准士が次々と、身を隠す賊を仕留めていく。

「っ…上手く、行った…!」

 根に差した苦無を引き抜いた勢いで体勢を崩し、青は地に両手をつく。

「…ぐらぐらする…」

 賊の叫喚、上士らの怒号、術が発動する轟音、肉を裂く音―飛び交う戦いの音を聞きながら、必死に息を整え、目眩をやり過ごそうとした。

「こっちへ」

 動けない青へ准士が一人駆け寄り、丸めた筵(むしろ)を抱える要領で青の体を片手で担ぐ。

「この野郎!」

 そこへ飛び出した賊が長斧を振り降ろすが、准士が投擲した苦無が頸動脈を裂きいとも容易く沈められた。そのまま青は後方に運ばれる。

 岩陰では、蓮華が矢傷を追った中士の手当をしていた。

「矢に、毒は?」

 矢が抜かれ止血まで終えた状態の腕を、青が覗き込む。

「大丈夫。解呪済み」

 それより、と蓮華は疲労した顔色の青の額に、手を当てた。

「何をしたの。ひどい顔色」

「即席の罠を張ったんですが…ちょっと気を使いすぎて」

「何それ面白そうじゃない。詳しくは後で聞くわ」

 蓮華は白い外套の中から一枚の符を取り出す。符を青の首筋に当てると口の中で小さく唱えた。符の文字が淡桃色に発光。符ごと蓮華の手の平が、青の首筋に押し当てられる。

「うわ…」

 初めての感覚に青は思わず声を漏らした。蓮華の手が触れたところから、全身に温かな気が巡る。手を離すと符は消えていて、青の体から気だるさが消えていた。

「気分はどう?」

「すごいです、さっきまで動けなかったのに」

 指先まで血が通い、体温が戻っていくのを感じる。

「でしょ?」

 紅を引いた蓮華の唇が、満足げに笑った。

「奴ら、退いていきます!」

 小毬中士の声。

 岩陰から戦況を覗き見ると、黒装束の影が森の西側に向けて散り散りに引き返そうという動きが見えた。

「まさかトモリの…一色隊へ向かう気か!」

 楠野上士の声に珍しく動揺が混在している。

「追います!」

 最初に飛び出したのは小毬中士だ。「待て!」と楠野の呼び止める声。直後、賊の殿(しんがり)が振り返り、木戸のような大剣を中士に向けて振り抜こうとした。

「危な…!」

 大剣の一閃が描く剣筋が中士の胴体を分断した、かに思えた。だがそこに小毬中士の姿はなく、大剣は空を切る。

「上か!?」

 と誰もが思うが宙空にも姿はなく。代わりに地面に現れたのは白く小さな生き物。賊の脚を伝い登り、腕を伝い、肩に上がり、

「がっ…!」

 次の瞬間には賊の男の首筋から血が吹き上がった。白く小さな生き物―ハツカネズミは賊の顔面を蹴って宙を跳ぶ。そのまま二人目の背中に飛びつき肩へ駆け上がり首筋を食い破った。

「ヒッ!」

 殿(しんがり)二人が血を吹いて倒れる様を目撃して、賊の動きが瞬時、固まった。

「追撃!」

 楠野上士の決断は速かった。残る中士、准士が一斉に駆け出す。手当を追えた中士も抜刀しながら岩陰から飛び出していった。青と蓮華も最後尾についた。

「急ぎ一色隊へ知らせます」

 真っ先に駆け出した雲類鷲(うるわし)中士の足が地を蹴る。一陣の風と共に跳躍した体は瞬きのうちに黒く巨大な双翼の影―オオワシへと姿を変え、どんな式鳥よりも速く、西の空へと急加速して飛び去った。

 一方で二人の殿の喉笛を噛みちぎったハツカネズミは、賊の後を追う隊員たちの肩を飛び石のように渡り追撃の先頭に躍り出ると、再び小毬中士の姿に変容した。

「え、あの、今のは、あの人たち」

 目の前で目撃した光景を整理できないまま、青は遅れまいと隊の後を追う。

「獣血人ね。噂には聞いていたけど、私もまともに見たのは初めてよ」

 隣を蓮華が並走する。

「獣血人?」

「訓練所出身の子たちよ。おそらく他国の出だと思うけど」

「他国って…?!」

 追撃隊の前方がにわかに騒がしい。前方を見ると、賊の遺骸が点々と続く。西側を迂回しているはずの一色隊に追いつかせまいと楠野上士らが猛追し、確実に賊の戦力を削ってはいる。だが賊側が地の利を得ている分、取りこぼしも少なくない。

「!」

 南方に逸れて逃れようとする数人の動きに気づき、青は片手に苦無、片手に針を握り込む。風術を発動させ速度を上げ、近距離武器が届かない程度の間隔を空けた背後についた。少しでもこちらを振り向いてくれれば、顔面や眼球を狙って針を―

『グオオオォオオオオ!』

 突如、前方から獣の咆吼が轟いた。

「!?」

「え!?」

 賊達の前に塞がるように重なる木々が、メキメキと瓦解音をあげて横薙ぎに破壊される。まるで枯れ草でも刈っているかの如くあっけなく木端となる木々の向こう、そこに立ちふさがるように現れたのは、巨大な濃茶色の壁―二足で立ち上がった羆(ヒグマ)。

「うぉああああ!」

「ひぃい!」

「ヒ、ヒグマ?!」

 叫び声を上げる賊と重なるように青も声を上げる。

『ガアアアア!』

 妖獣と見紛う巨大な獣は、賊や青を前に再び牙を剥き出しにして咆吼、腕を逆側から横に薙いで賊二人ごと張り飛ばした。

「っ!」

 強烈な張り手を食らい頭が吹き飛んだ賊の体が、樹木に叩きつけられる。

「うっ…」

 青の足元まで飛んできた哀れな被害者の血飛沫と脳髄に一瞬、吐き気を催しかけるが、すぐさま対妖獣毒を仕込んだ針を構えた。が、熊は青を避けて北方向へ体を翻す。咆吼し、木々を薙ぎ倒しながら賊の体も張り倒し、踏み潰し、頭蓋を噛み砕き、森を破壊しながら殺戮を繰り返していく。

 確実に、賊だけを狙って。

「あれは、もしかして…」

 訓練所出身者は、三人。

 一人は小毬サチ中士。ハツカネズミに姿を変えた獣血人。

 二人目は雲類鷲ソラ中士。オオワシに姿を変えた獣血人。

 三人目は―

「檜前(ヒノクマ)中士!もう十分です」

 なぎ倒された木々の間から、一色隊長が姿を現す。暴れまわるヒグマへ懸命に声をかけていた。

『……承知』

 唐突に熊は動きを止め、太い首を隊長の方へ向けると、壁のようなその巨体を人間の男の姿に変貌させた。

 三人目は檜前ユウ中士。ヒグマに姿を変えた獣血人。

 その周辺には、ボロ切れのごとく殺戮しつくされた賊の死体が多数、転がっていた。


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