05 退職願
ざわざわとする周囲をよそに、ランさんだけは私から視線を寄越さない。
「私、は」
辞めてどうする。他に行く宛ては。何もない。帰る実家もない。
でも、それでも。
「辞めたい」
「ウン」
混乱するこの場において、ランさんだけが大きく頷いていた。
誰も味方が居ないと思っていた。だからこそ、ランさんが背中を押してくれたのがとても嬉しかったのだ。
それにランさんに自分も辞めると言わせてしまった申し訳なさもある。清々しさの方が勝っているが。
「何の騒ぎだ!」
遅れて、
ならば宣言する言葉はひとつだけ。
「本日限りで
「おれも脱退する」
私の退職願に続いてランさんも宣言をする。
みるみるうちにヘルマンさんの目が吊り上がっていくのが不思議と面白く思えた。なんだろう。この気持ちは。
ハイになっているのかもしれない。
「そんなことが許されるとでも思っているのか。
「ハウスメイドであれば、他に優秀な方がたくさんいらっしゃいます」
「お前っ」
何かを言おうとしてヘルマンさんは黙った。どうせ、全く持ってその通りだと思いなおしたのだろう。
なんなら私の給料はマスターが決めたものだ。次に雇うハウスメイドは彼の権限で給料も下げてしまえばいい。
「まぁいいだろう。だが、リャオ。お前の脱退が許されるとでも? 加入契約は交わしただろう」
「おれは元々格闘士としての加入だったはず。急な配置転換で付与魔道士に変えられた時点で無効だ」
あぁ……やはりランさんにもこの配置転換は引っ掛かりがあったのだ。
彼は格闘士としてクランに加入していた。身体を思い切り動かすのが好きなのだという。
なのに、己の身体強化に使っている付与魔法に目を付けられた。自分だけならともかく他人に
だから本人にとっては不本意な後衛として付与魔道士
それからはまぁ、後衛として同じパーティとなった白姫と黒姫の諍いに巻き込まれていたのだ。
なんなら付与魔道士はメンバーと息を合わせたりと何かと気を使う
「それは……だが、お前はこの
「それが?」
「冒険者は信頼商売だ。リテイナ共々、
そう言うよね。
事実としてこの業界は信頼で成り立っている。途中で投げ出す奴がいては依頼をするどころではないからだ。
だからクランを通して以来することにより、依頼の中断を防ぐ。
クランを通せば依頼をやむをえず中断しなくてはならなくても、他のメンバーがフォローできる。加えて依頼人に不義理を働けば待っているのは信頼を貶めた罰としてクランからの凄惨な制裁だ。
個人でやろうとするとたいていがその日暮らしかお小遣い稼ぎとなる。ギルドに張り出されている依頼は死亡率が高すぎる曰く付きか子供でも出来る単純なものばかり。
身一つで上り詰める冒険者に夢を見たところで、多くは夢を諦めてクランの手足だ。むしろそれが賢い生き方とも言える。
だが、事実という名の脅しに対してランさんは気にしたそぶりを見せなかった。
「構わない。実力で黙らせる」
「ッハ、お前の話は他のクランにもしっかりと通達させてもらうがな」
確かにランさんなら出来るだろう。希少な付与魔法の使い手であるのに加え、前衛と後衛両方の経験だってある。
実力があればクランではなく直接依頼が来るのだ。だが、実力を知ってもらおうにもまずは依頼をこなさねばならない。
悪評が広まれば簡単な依頼さえさせてもらえないのだ。
「リーテスさんとなら出来る」
私はもう冒険者稼業なんで出来る気がしないから、どこかでまた住み込みの仕事を探そうと思う。
……って、え? 今私の名前呼ばれた? リーテスさんなんてしっかりと呼んでくれる人なんてランさんしか居ないのだが。
「リーテスさんと脱退するから」
一緒に、同時にってこと!?
「そんな勝手が許されると思っているのかしら!」
「そうですよっ! リャオさんは私たちの仲間なのに」
黒姫と白姫がランさんを引き留める。両手に華。美少女と美女だ。
その顔はちょっと引くほどにげんなりとしている。
「まぁ、でもさぁ。リャオが新しいこと始めたいって言ってるんだからいいんじゃねぇかな」
「だよな。今まで慣れない付与魔道士なんてして俺たちを支えてくれてたんだし」
逆に賛同したのはクランの野郎共だ。
わからないでもない。リャオさんはお顔が綺麗なのでそれはまぁ人目を惹く。このクランの女性お二人の目も然り。
そうなると当然面白くないのは残された野郎共で。こんなところで利害の一致ってするものなんだなって。
「そんな目を向けないで」
生ぬるい目をランさんに向けると困ったように首を振られた。
引き留める者と賛同する者。そして辞めたい私たち。
本当なら、マスターか副マスターに相談してから秘密裏に脱退処理をするものであるが後の祭り。勢いで行動したのだから仕方がない。
「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって!」
「え?」
とはいえやっぱり脱退が気にくわない人間も居るようで。私の方へまっすぐと歩いて来た彼はルーカスさんだ。
見るからに、うん。正直ヘルマンさんよりも怒り心頭といった感じ。
「リャオに粉かけて、よくも俺たちのクラン――を!?」
ルーカスさんが宙を舞う。飛んで、ダイニングへのテーブルへと叩きつけられる。
「きゃあああ!」
スノウさんの悲鳴が上がった。
胸倉を掴まれそうになった瞬間、思わず私は彼の腕を取り、
「綺麗な背負い投げ」
「ランさん! 違うんです、思わず、殺気を向けられたから防衛本能的な、」
投げ飛ばしていた。
ていうか妙に体が軽く感じたんだけど! あの一瞬の間にランさんが私に強化魔法をかけたよね!?
流石にあんなに人間は飛ばないって。しかも自分より大きな成人男性を大きく投げ飛ばすなんて無理だ。
……背負い投げ自体は出来るけど。
「リテイナ! なんだお前、俺たち相手にやる気か!?」
「やりませんし今のはどう見ても正当防衛ですって!」
「過剰防衛だろうが!」
テーブルに叩きつけられたルーカスさんを見て、数人前に出て来た。これだから血の気が多い冒険者は嫌だ。
新人冒険者たちはハウスメイドの私がこんな狼藉をして呆気にとられているが、中堅どころはすぐに持ち直したのだ。
「おれもやる気だけど」
「ランさん!」
スッとランさんが私の横に並ぶ。
ただ辞めたいだけなのに。どうしてこんなことに。
何とかしてくれと縋るようにヘルマンさんへ顔を向ける。
「もういい! 勝手にしろ! だが、お前らの不義理を忘れるなよ」
収拾のつかない事態についにヘルマンさんも放り投げた。
「あの、引継ぎなどは」
「
そうして。
いくつかの
今月の給料? 迷惑料としてくれてやるわ。これ以上は関わりたくない。
先は見えないはずなのに体は軽く、清々しい気分だった。
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