夢歩き2

ゆめのみち

白線の下

 エアコンが効いている家の中でもセミの音で暑く感じる真夏日。

 職場の先輩に渡し忘れた物を届けるために外を歩いていた。仕事で使う物なので休みが同じうちに行かなければいけない。

 何回か行ったことがあるので記憶を思い出しながら歩いていく。駅から25分ほどで着いたはずだ。道をあまり曲がることはなくほぼ、まっすぐ進んでいく。とは言うものの、その肝心の曲がり角が分かりにくいので慣れるまで迷いやすいのではある。

 前にバスはどうなのかと聞いた事があるが、どうやらいやらしい所にあるようで役に立たないそうだ。幸い駅までの間に店が揃っているので買い物には困らないみたいだが、そこはミニマリストの先輩なので宛にはならない。

 ジリジリと上からも照り返しからも焼かれ、セミの声に精神も焼かれながら歩いていた。

「おっと」

 と思わず独り言が出た。危うく最初の曲がり角を曲がりそこねるところだった。

 ほぼ機能のしてない商店街を途中で曲がってしばらく歩いていく。徐々に住宅街になってきた。そうなってもまだ歩くと途中で突然スーパーが出てくる。

 このスーパーを過ぎると先輩の家までは何もない。たしか道を外れると飲食店があると言っていたが夜にしか開いていないとも言っていた。

 つまりここが最後の砦だ。幸い帰りの分の飲み物は残っているので安心して通り過ぎた。

 過ぎてもまだまっすぐと進んで行く。ここの曲がる場所には謎の店と店の間の坂道なので覚えやすい。

 木はほとんどないように見えるがセミの声は相変わらず多い。民家の植物にでも居るのだろうか。それとも進化して家に張り付いているのだろうか。セミは本当に謎でいっぱいだ。

 なんてセミの事を考えて現実逃避をしながら歩いていると、やっと次の曲がり角が見えてきた。

 なんの店なのか、そもそもやっているのかさえ分からない店。看板の名前は英語で全く分からない。店員すらどこにいるのか見えない。ホラーゲームにでも出てきそうな店だ。これに関してはなんの店かは先輩も分からないらしい。

 そんな店の間の坂道を登っていく。最初は少し急な坂道で段々とゆるくなっていく。それでも家が建っているというのを見ていると、人間の技術の高さに驚かされる。坂道にも家を建てられるのなら、そのうち崖や壁にも建てられるようになるんじゃないか。

 のし、のし、としっかりと登っていく。運動不足な私でもまだ体力は残っている。特に疲れたと思う事なく坂道は過ぎていった。

 周りは家しか並んでいない。自販機すらない。水分管理とかをきちんとしていないとスーパーまで遠い道を戻らなければいけなくなる。過去に何回か先輩の家にお邪魔して本当に良かった。

 坂道を登りきったら今度は平坦な道が続いている。

 住宅街だが坂道の所とは違ってやたらとお洒落な家が並んでいる。アパートもとても可愛い。階段すらクッキーのように可愛い。きっと内装も可愛いのだろう、そして家賃も高いのだろう。

 ちらほら見かける人はどの人もバシッと決めている。男性も女性も服だけじゃなく髪型から爪先、靴、果ては香りまで決まっている。よく見たら歩き方もそれぞれのこだわりがあるようで、ここだけ全てが違うようだ。

 どうやらここは車も通れる道らしく白線や標識がある。が、前に来た時もそうだが全く車は通っていない。家のガレージも──今は仕事で使っているとは言え──何も置かれていない。

 そもそも車の音も聞こえてこない。住宅街だからだろうけどこんなにも整備されているのに誰もいないのは寂しく感じるものだ。

 トボトボと歩いていると道のど真ん中でしゃがんでいる人が居た。最初は猫かと思っていたが、近づくにつれ人間だとわかった。

 ─具合でも悪いのかな。

 と思いながらも暑さにやられているので歩く速さは変わらずに進んでいく。

 しゃがんでいるにしては小さい。まさか幽霊かと心臓がどきりとしたが、それは違うという事がすぐにわかった。単なる子供だった。

 その子供はしゃがんでよく熱されて熱い地面をじぃっと見ている。右手には小さなプラスチックのちりとりを持っていた。いったい何に使うのだろう。砂ではなくアスファルトなので、ちりとりをスコップ代わりには使えないのになぜだろう。

 多分、ここで話しかけると駄目な事だと思う。特に困ってるようにも見えない。ただの子供独特の遊びだろう。ここで年齢が違う人が話しかけたらかなり水をさす事になる。いっきに楽しい気持ちが冷めて、相手が怖いという気持ちに占領される。

 そうは分かっていても、動いたと思ったら地面をちりとりでつつく謎の行動が気になって、ねぇ、と話しかけてしまった。

 ここで何をしているの?と聞く前に向こうが、変なの見なかった?と聞いてきた。

「変なの?多分見てないと思う」

 と言いながら向かい側にしゃがんだ。白線を間に入れて、さらにそこから一人分の距離をあけている。

「何かいるの?」

「うーん…そうなんだけど…」

 いなくなっちゃった…と言いながらちりとりで白線をつんつんしている。表情も怒られ続けているかのように暗い。

 私も人差し指で軽くつんつんしてみるが地面はただの地面だった。白線もよくある線でしかない。いったい何がいたんだろう。蟻のように小さい生き物なのだろうか。

 非常に気にはなるがここで時間を過ごしてしまえば先輩に渡せなくなるかもしれない。

「今日は暑いし、いったんジュースを飲んでトイレ行ってからまた見たら?私も気になるし…人に渡さないといけないものがあるからそれを渡してから戻って来るよ」

「うん。本当にいるからね。また来たら見れるかもしれない」

 そのまま立ち上がるとその子は真後ろにある家に入っていった。




  ―――   

 すぐ戻ってこようと思っていたが思いの外、時間がかかってしまった。あの後お昼についたのだが、日頃話したい内容を話していたら夕方になっていた。ついでにご飯もお世話になってお茶の補給をさせてもらってほくほくしている。

 夕方というのは太陽がガンガンと照っている時とは違って暑くても歩きやすい。それどころか息もしやすい。

 白と青の空も雄大でキレイだが夕方の色も可愛らしくて素敵だ。アクセサリーに欲しい。

 このくらいだとあの子が言っていた何かはもう戻ってきていそうだ。そうわくわくすると同時に少し気が落ちていた。自分しか見ていないということは誰にも信じてもらえなかったんじゃないだろうか。なのに、また来るよと言った人が、証明するまで見てくれそうな人間が来なかったら。こちらとしては昼のうちに戻るのも夕方のうちに戻るのも一日の中なのであまり変わらないが、子供からしたらどうだろう。この自分の感じている時間と、忙しなく動いていく中を生きている子供と同じではないはずだ。

 傷つく事なくいてくれているだろうか。

 色々と考えているうちに喉の乾きも忘れひたすらに早く歩いて、それもだんだんと走るようになっていた。


 対して早くも全力でもないのにぜぇぜぇと呼吸を乱しながら、さっきぶり、と声をかけた。夕方になっても子供は地面を見ていた。

「……まだ…いない…」

 そういう声は震えている。向かい側を座って顔を見ると、子供は泣いていたようだった。鼻水をズビズビとすいながら、たまにひぐひぐと言っている。

 遅れてごめん、と言いながら地面に目を向けた。アスファルト独特の形をしたなんの変哲もない地面。白線は直すお金がでないのだろう、剥げてきている。

 話すのも元気づけるのも得意じゃないので気まずい沈黙が流れた。思い当たる事はある。親はいくら言っても、居るんだと言ってこんな事をやっている子供の事が心配なのだろう。他の皆のようにボール遊びなど健全と言われる遊びをしない子供。そして真夏日なのに外にどれだけでも居たがる。そして来ると言って戻ってこなかった証明できそうな人間。

 頭の中で言葉を考えてはなんか違うと思い消していく。

 それでも10分ほど考えて出た言葉は

「その知らない何かを見るの楽しみ」

 と笑顔で言っただけだった。その頃には子供ももう泣き止んでおり、すごく小さいからよく見ててね、と笑顔で返事していた。

 立ち直りが早いのかケロっとしているように見える。ほっとしていたら、幼稚園であったことや両親の誕生日などを話してきた。あったことをキレイに簡潔にまとめて言える子供に驚いた。

 ニシ君がチューリップができなかったからユウカちゃんのを取ったとか、そのニシ君はユウカちゃんの事が好きだとか、パパはいつも仕事以外なにもしないとか、ママは仕事と家の事で疲れて遊んでくれないとか、おたまじゃくしを育てるのに失敗したとか。最終的には両親のスマホのロック画面の番号まで言っていた。

 この子はきっと大きくなっても友達に困らないだろう。日常を楽しく話す事は難しいのに、この年齢でそれをする事が出来る。ただの会話で相手を楽しませる事が出来る。とても平和で楽しい時間だ。

 そうこうしているうちに話も止まってきた。ずいぶんと時間が経ってそうなのに空はまだ明るいので時間が全く分からない。

 例の何かはどこからやってくるのだろう。空なのか地面なのか家なのか。とりあえずキョロキョロと見回してみるがまだどこにも何も居ない。

 うーん、と思いながらもう一度見回すかなぁと右を向く。空を見るわけでも地面を見るわけでもなくなんとなく全体を眺めていた。そんな時だった。最初は蚊などの虫かと思った。だが考えてみると、遠くで地面から黒いものがボコボコ飛び出たように見えたものを虫と考えるのは難しい。

 もう少し地面に向かってじぃっと見ると、しばらくしてからまたボコっとなった。それはだんだんボコボコと数が増していく。

「ね、ねえ、あれ…」

 と指をさしてみると、子供があれだよ!と元気よく立ち上がった。

 ボコボコはこちらに近づいているらしい。そして意外と早かった。


 姿はたしかに小さく眼の前に来るまで何なのかわからなかった。色はアスファルトより少し黒色が強くベタのような大きさをしている。体は縦に細長くヒレは短い。足元の白線付近を泳いでいるのを見ているのだが、動きが物凄く速い。弾丸というあだ名がついても納得いくくらいスイスイと速く泳いでいる。

 魚は白線に向かって口をパクパクしたり白線から数センチはみ出して泳いだりと忙しくしている。

「すごく速く泳ぐんだね」

「うん!だからいつも一瞬でだれも見れないの」

 試しに指で地面をつんつんしてみたがただの地面だった。この子らがいるなら触れるかもしれないと思ったがそうでもなかった。

「こんにちは魚さん」

 と声をかけてみると、子供も同じように挨拶をした。

 だが全く反応がないのでもう一度言うと、ちょうど地面から飛び跳ねた魚が反応した。

「わ!びっくりした!こんにちは」

 その言葉を聞いた子供は、両手で口をおさえ目をキラキラさせて、喋ったねー!と小声で言った。それに影響受けて私も楽しくなりうんうんと頷く。

「ところであなたたちはそこで何をしているの?」

 と聞いたらすぐに

「何って…ここが家なんだ!」

 と元気よく返ってきた。

「でもわたし、ずっと見てたけどいなくなってたよ?」

「ああ!僕たちは白線の下で隠れて白線の根っこを食べて生きているんだ!昔は白線がなくなってもすぐに新しいのが来たんだけど、ここ最近は全くなくて…隠れる場所がないと他の魚に食べられるし、ご飯もないし、家族は増えるばっかだし。それで住処を探してたんだ。どこの白線も少なくて、良いと思った場所には他の魚達でいっぱいでね。皆をあちこちに住まわせる事にしたんだ。で、数が減った僕たちはここに戻ってきたんだ。少ない剥げた白線を転々として生活しようと思ってね」

「じゃあこの線があったらここで安全に住めるの?」

「えっそうだけど…でもあれ、大人が持ってきてるから…」

「線かけるの知ってるよ!持ってくる」

 といって走って家の中に入っていった。

 道路に線を描けるもの…と言ったら検討はつくが白線の代わりになるかどうか…。

 数分してから両手に箱を抱えて出てきた。さっきと同じ位置にしゃがみ箱の蓋を開け、中から石を取り出した。その石で白線の隣をガリガリと塗っていく。石はすぐに小さくなり使えなくなった。

「どう?」

 うーんと言いながら魚は下に入った。

「これは僕たちには食べれないや」

 そう聞くと次は使いかけの小さいチョークを取り出しガリガリと塗っていった。それも使えなくなるまで塗り終わったら、魚が下に潜り、これもだめみたい、と言った。

 子供はしゅんとして箱の中をガサゴソといじる。それを見ていた魚が、大丈夫だよ、と笑いながら言った。

「ここで生活しているうちに新しい白線が来るかもしれないし、他のところに行っても住み慣れたここの様子を見に戻って来るし、それにこれ。意外と美味しい」

 と言って下に潜ってはパクパクと食べた。それに気づいた他の魚達も同じく食べ始めた。

 クセがあるけどいい感じ、などと聞こえる。

「ほんと?」

 としゅんとしながら手をとめた。

「うん!ここは静かだから過ごしやすいんだ!敵からも逃げやすいし!」

 少し悩んだ後、子供はそっかーと笑顔になって箱の中から石やチョークを出してガリガリと描きだした。

 もうずいぶんと時間が経っていたのだろう。家の中から母の「早く戻ってきなさい」と声が聞こえた。

「あ、ママがよんでる。行かなきゃ。大人になったら白線いっぱいひいたげるね!魚さんたち!」

「うん!待ってるよ!じゃあね!また明日ね」

「お姉さんもまたね!」

「うん、またね」

 そう言い合うと振り返る事なく楽しそうに家の中へ戻って行った。

 魚たちは石やチョークの根っこを食べながら、どうしたらもっと美味しくなるかと色々な食べ方を話し合っていた。

 話してくれた魚はこちらを見て、じゃあね、と言って潜って尾びれを出してひらひらとさせた。私も、じゃあね、と返して手をひらひらさせて立ち上がった。

 ずっとしゃがんでいたから足が痛い。それでも歩けないわけではないので無理やり歩き進める。

 あの子の言っていた魚はとても優しかった。私の住んでいる場所の白線の下にも居るのだろうか。居たらいいな。

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