ダジャレおじさん、異世界へ行く

柿名栗

第一話 いせかいではらいせかい?

 俺の名は田寺谷麗一【だじやれいいち】、四十歳。


 ポツポツと白髪の交じった短めの髪。年の割には若いと言われるが、目尻にシワが目立ち始めた覇気のない顔。

 黒いズボンと白いワイシャツの上に、使い込まれたあずき色のエプロンを着け、酒と食品を扱うスーパーの店長をやっている。


「……ふぅ」


 事務室でパソコンの作業を終え、目頭を押さえていると、バイトを終えた卓ちゃん(本名【須具二木卓すぐにきたく】)がドアの前を通りがかった。


「おつかれッス」

「おー、おつかれい」


 軽く頭を下げる卓ちゃんに、労いの言葉をかける。


「あ、そういえば卓ちゃん、昨日休憩室に置いてあった『ひじき』、持って帰ったんだって?」

「はい、賞味期限切れだから、持って行っていいのかなって」


「だめだよ、そんなたない(いじきたない)ことしちゃ」


 一瞬困った表情を浮かべた後、すぐにこちらの意図を察した卓ちゃんはすかさずこう答えた。


「怒られたら(返そう)と思ってたんスけどね」


「「……フッ」」


 しばしの沈黙の後、互いに不敵な笑みを浮かべ、卓ちゃんは裏口へと消えて行った。


 そう、俺はダジャレを思いつくと、言わずにはいられない性質たちなのだ。

 ダジャレを言われた人は、大体苦笑いを浮かべるか無視するだけなのだが、卓ちゃんはよくシャレで返してくれる、見込みのある若者である。


 九時に閉店時間を迎え、雑務処理を終えた俺は、自分の働く店で買ったビールとつまみをひっさげ、帰路につく。

 五月も半ば、やや肌寒く感じる暗い夜の住宅街を、ダジャレを考えながら歩いていた。


「夜道で本をらかす……ふむ」


 その時だった。


「……なんだ?」


 電柱の陰に、何かが置いてある。

 よく見ると、招き猫の置物のようだ。なんとなく気になったので、近づいてよく見てみる。


「……異、世界?」


 猫が持っている小判には、百万両でもなく、千万両でもなく、大入でもなく『異世界』と書いてあった。

 変わった招き猫だな……。目もなんだか妙に透明感があるというか、ずっと見ていると、吸い込まれそうな気分になってくる。これは捨ててあるのだろうか。交番に届けても迷惑になるかな。


「こばんをこーばんに届けたら、おまわりさんはだ(拒んだ)。なんてね」


 そう、つぶやいた時だった。招き猫の目が妖しく光り、急な眠気に襲われる。


「な、んだ……?」


 そのまま俺は地面に倒れ込み、意識を失った。

 


♢ ♢ ♢ ♢



「ん、んん……?」


 あたたかい太陽のぬくもりと、草の香りが交じった、さわやかな風を感じる。


 どうやら俺は気を失っていたらしい。

 体を起こし、辺りを見回すと、俺は広い平原の中にいた。遠くには森や山が見える。

 ここは一体どこだろう。もう一度辺りを見回してみるが、人の影は見当たらない。


「おーい!!」


 大声で叫んでみるが、返事は返ってこない。……とりあえず、記憶を整理してみよう。

 俺は仕事から帰る途中で、妙な招き猫を見つけて、ダジャレを言ったら眠くなって……。

 え? ……まさか俺、死んじゃったのか? ここは天国?


「ようこそ、我が世界へ」


 突然、背後から低く、濁りのある声が聞こえてきた。

 恐る恐る振り返ってみると、背中に六枚の翼が生えた全身黒い猫が、宙に浮いていた。


「よくぞ来た。異世界の住人よ」

「……猫がしゃべってる」

「猫? なんだそれは。我輩はこの世界の……神だぞ」

「……神様?」


 腕を組み、高圧的な態度を取っているが、とても神様のようには見えない。

 瞳の赤く濁った生意気そうな顔は、あまりよろしくない存在のように思える。


「その、神様? が……俺みたいなおじさんになんの用かな。出来れば元の場所に帰して欲しいのだが」

「それは出来ぬ。今の我輩の力では、呼ぶことは出来ても、帰してやることはできんのだ」

「おいおい……ちょっと待ってくれ」


 嘘だろう? このまま、このよくわからない世界で生きていけってのかい? いや、まてよ。もしかしたらこれは夢かもしれない。そう思い、試しにほっぺたをつねってみる。


「いたた」

「残念ながら、これは夢ではない」


 残念ながら、これは夢ではないらしい。


「早速だが、これから君に、あるスキルを授ける。その力を使って、魔王を殺して欲しいのだ」

「魔王?」

「我輩の力を奪った、憎き存在だ」


 魔王、ねえ……。最近のゲーム事情はよくわからないが、昔は人並みにRPGもプレイしていた。仲間を集めて魔王を倒しに行く、というやつだな。

 とすると、この世界はゲームの中のような場所なのだろうか。……何をバカな、と一瞬思ったものの、目の前で宙に浮いている猫が、この世界が現実とかけ離れた場所であることを突き付けて来る。


「それでは、受け取るが良い。ウゴォォ……」


 神様が気合を入れると、口から何か黒いオーラのようなものが出てきた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。なんだい、そのスキルっていうのは」


 質問をすると、神様の口から出かかっていた黒いオーラがすすられたソバのように引っ込む。


「……スキルとは、この世界に生きる者が、生まれながらに備えている特殊な能力のことだ。通常は生まれた後に新しいスキルを得ることはないのだが、我輩はそのスキルを創造し、与えることができるのだ」

「へぇ……それはすごい。のか?」

「しかし、どんなスキルが作られるかは自分でもわからなくてな。今回出来てしまった【ダジャレ魔法】を使いこなせそうな者を、異なる世界で探していたのだ。そこで波長が合った君が選ばれたというわけだな」

「……わざわざ別の世界で探さなくても、この世界で探せばよかったんじゃ?」

「神として、この世界の民の前に姿を晒すわけにはいかぬのだ。君には申し訳ないと思っているが、どうか力を貸して欲しい」

「その、魔王とやらを倒して……俺に何かいいことあるのかい?」

「魔王を殺してくれれば、奪われた力が戻ってくる。そうすれば、元の世界に帰してあげることもできるだろう」

「ええ……やだなぁ。魔王って強いんだろう? とても俺みたいな疲れたおじさんに倒せるような存在とは思えないんだが」

「君に選択肢はないはずだ。例え断ったとしても、何の力も持たないまま、魔物の蔓延るこの世界に放り出されても野垂れ死ぬだけだぞ」

「ぐっ……勝手に呼んでおいてなんという言い草」

「神とは勝手なものだ。違うかね?」

「……そうかもな。ハァ、わかりましたよ。倒せばいいんでしょその魔王とやらを」

「フッ、そういうことだ」


 極力トラブルの少ない人生を送りたかったが、まさかこんな事に巻き込まれるとは……。


「では、受け取るが良い……君にふさわしい力を。ウゴォォ……」


 再び神様の口から黒いオーラが飛び出し、こちらに一直線に向かってくる。


「えっ!? ちょっ、それ大丈夫なん……うごぉぉ!? ……ん?」


 黒いオーラは俺の口の中へと入っていったようだが、何かを飲み込んだ感触や、味がするようなことはなかった。


「……おぇ」

「これで完了だ」

「これ……大丈夫なのかい?」

「ああ、これで君は新たな力【ダジャレ魔法】を使う事ができるようになった」

「へぇ……」


 正直なんの実感もないのだが。


「それで、どうやって使えばいいのかな?」

「ふむ、そうだな……ちょうどあそこに手ごろな魔物がいる。練習に付き合ってもらうとしようか」


 神様が肉球ゆびを差した方向に、サッカーボールくらいの大きさの、緑色の物体がうごめいている。


「……なんだい、あれは」

「あれはムラスーイ。この世界で最も弱い魔物だ。試しに、やつにダジャレを言ってみるといい」

「ダジャレか……」


 ダジャレは急に言え、と言われてもすぐに出て来るものはない。

 俺の場合は、主に人との会話で出た単語をヒントに作り上げる。例えるなら、誰かから貰った食材をその場で料理するような感覚だろうか。……まあ、出した料理をおいしいと言われた事など一度もないのだが。

 まあいい。とりあえず試しに、最近使ったことのあるネタを言ってみようかな。

 俺はムラスーイの方を向き、ダジャレを言い放つ。


「今月の予定は、飲み会?」


 …………。


「……何も起こらないぞ」

「攻撃がしたいのならば、攻撃的な内容のダジャレを言わなければだめだ」

「攻撃的ねえ。そういうのは苦手なんだが……」


 誰かを傷つけたり、よくない事を連想させるようなネタは極力言わないのが俺のポリシーだ。しかしこの状況ではそんなことも言っていられないらしい。

 仕方なく攻撃的なダジャレを考え始めたその時、敵意を察知したのか、ムラスーイがこちらに気づいた。もぬもぬと地面を這い、近寄ってくる。


「お、おい。なんか、まずいんじゃないか?」

「早くダジャレを言わないと攻撃してくるぞ」

「えぇ」


 えーと、攻撃的、攻撃的……。


「あっ……」


 ムラスーイがぴょんと勢いよく飛び跳ね、腹部に体当たりをしてきた。

 その瞬間、衝撃と共に、俺の体は勢いよく後ろへと弾き飛ばされる。


「ごほぉ!!」


 地面をでんぐり返しの状態で後ろに転がり、うつ伏せの状態でザザザーッと地面をスライドし、ようやく止まる。


「ゴハッ、ゴホッ……」


 呼吸が上手くできない。これが最も弱い魔物? 冗談じゃないぞ。こんなの何度も食らったら死んでしまう。


「どうした。ダジャレは得意なのだろう」

「そんなこと、急に、言われても……ゴホッ」

「そうだな……ムラスーイの弱点は火だ。何か火に関連するダジャレはないか?」

「火……?」


 火……燃える……燃えるもの……。


「……こんな所にマッチがあるなんて、何かのがい(間違い)じゃないのか?」


 ……………。


 ダメかな、と思ったその時、ポンッと音をたて、煙と共に手の中にマッチ箱が出てきた。


「おぉ?」

「ほう……なんだねそれは?」

「これはマッチと言って、火を起こすものだよ」

「異世界の道具か。どのように使うのだ」

「この棒の先についている頭薬を、箱の側面についている側薬にこすりつける。すると……」


 カシュッと音を立てた後、マッチ棒に火が付いた。


「ほう……面白いものだな。それをどうするのだ?」

「これを……どうしようか」


 いくら火に弱いからといっても、こんな小さな火でなんとかなるのだろうか。


「次の攻撃がくるぞ」

「うっ」


 ムラスーイが攻撃態勢に入っている。まずい、もうあんな攻撃は食らいたくないぞ。


「ええい、ままよ!」


 俺はムラスーイに向けてマッチを放り投げた。

 ムラスーイは触手を伸ばしマッチをキャッチすると、そのままマッチを体内に取り込む。


「……だめか、こんな小さな火じゃ」


 と、思ったのだが。ムラスーイの体内に残っていた火がどんどん大きくなっていき、ついには全身が炎に包まれる。


「お、おぉお?」


 自分の身に何が起こったのかわからない様子で、ぷるぷると前後左右に動きまわり、やがて黒焦げの灰になって消えていった。


「……やった、のか?」

「上出来だ。ダジャレ魔法は攻撃以外にも色々な事が出来る。状況に応じて試してみるといいだろう」

「まだマッチは残っているから、またムラスーイが出てきても安心だな」 

「……残念ながら、このダジャレ魔法には効果時間がある。それを過ぎると……」

「え?」


 神様の言葉を待っていたかのように、手の中にあったマッチ箱が音もたてずに消滅してしまった。

 

「おや。それじゃあまた唱えなおさないといけないのか」

「いや。同じネタは二度と使えん」

「……はい?」

「試してみるといい」

「あ、ああ。……こんな所にマッチがあるなんて、何かのマッチがいじゃないのか?」


 …………。


「……何も出てこないな」

「ネタは使い捨てと考えるといいだろう」

「……便利なんだか不便なんだかわからない能力だな」

「とにかく、その力を使って魔王を殺すのだ。よいな」

「……ああ」

「それと、もう一つ」

「今度はなんだい……」

「我輩とここで会ったことを、決して他者に話してはならぬ。もし、話すようなことがあれば、君の能力は消滅し、元の世界に戻ることも叶わなくなるだろう」

「ええ……なんだいそりゃ」

「そういうものなのだ。よいな」

「……わかった」

「うむ。それでは行くがよい」

「行くがよいって……一体どこへ行けばいいんだい?」

「ここより遥か北の地に、険しい山に囲まれた魔王領がある。その奥地にそびえ立つ魔王城の中にやつはいるはずだ」

「北ってどっちかな」

「あっちだ」

 

 スッと神様が肉球ゆび差した方向には、果てしない平原が広がっている。


「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな」

「……田寺谷麗一だ」

「うむ、田寺谷麗一よ。いつでも我輩は君を見守っているぞ」

 

 神様がそう言うと、背後に黒い空間が現れる。神々しいというより、禍々しい雰囲気だ。

 

「ではな」


 黒い空間に神様の体が吸い込まれて行く……途中で、どうしてもあるダジャレを言ってみたくなった。


「猫がろんだ」

「……何を言っている? ……むむっ」


 黒い空間が消え去り、神様がポトッと地面に落ちる。そして左右にころころと転がりだした。


「むむ、これは、一体、どういう、ことだ」


 転がりながら、神様が何かしゃべっている。


「やっぱり猫じゃないか」

「だから、猫とは、一体、なんの、ことだ」


 この世界に猫はいないのだろうか。どうやら神様は猫という言葉がわからないらしい。

 この世界に存在しない言葉でも、ダジャレ魔法は発動するということか……いい加減なものだ。

 その後、三分程転がり続けた後、ほこりまみれの体でぶつぶつと文句を言いながら、神様は黒い空間に消えて行った。


「はぁ……魔王か。ここにいてもしょうがないもんな。……仕方がない、行くか」


 明日は早番で、俺が店を開けないといけないのにとんだことになってしまったものだ。遅番の同僚、暮くんに連絡が行くだろうな。すまない、暮くん……。


「……体がだるい。腹も痛い」


 仕事の疲れと、ムラスーイから受けたダメージを残した体を引きずりながら、俺は平原を北に向かって歩き出した。

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