番外編

番外編 10月26日


 俺、八代奏多は頭を抱えていた。

 10月からは慣れない本社勤務になり、アキラと一緒に朝晩車で出社、自分は人事部で裁判の準備を粛々と行っている。

 精神的にも中々辛い中、日々くたくたになって働いている訳だが、近々にどうにかせねばならない悩みが一つあった。

 今日は10月19日。

「まずい……どうしようかな」

 忘れていた訳では無いのだ、ただ、乱暴された一件以来ずっとアキラと一緒だったし、出勤も退社も買い物も、ご飯を食べるのも一緒という状態なので、完全に買い物に行くタイミングを失っていたのである。あと1週間くらいしか無い。

 来たる10月26日、俺の可愛い大天使こと志津暁君はお誕生日なのだ。

「プレゼント……どうしよう……」

本社のラウンジは8階にあり、窓に面したカウンター席からは外の景色が良く見える。

 俺はそれをじっと見ながら、ビル街の看板の一つ一つにヒントを探した。

 紳士服の青川…………ネクタイは何回かあげたし、オーダースーツは間に合わない。ハイブランドのショップ……財布、キーケース、タイピン、名刺入れ。社会人の定番アイテムは結構網羅してしまっている。鞄は本人がかなり細かくこだわって選んでいるので、俺から貰っても内心微妙だろう。

 アクセサリーショップ……喜平のネックレスとか似合いそうだなとは思っているのだが、ちょっと派手だろうか。

 靴屋の看板が目に留まる。彼の足は30cmもあるから既製品から選ぶのは大分困難であるし、何より試着しないで靴を買うのはかなりリスキーだ。優しい彼の事だし、無理して履いて足を痛めるかも知れない。

「おいカナタ、何難しい顔してんだ?」

 ぎくりとして振り返ると、昔馴染みの先輩である宮崎さんが、カツ丼のトレーを持って立っていた。

「宮さん……いや何でもないです」

 歯切れ悪く答えると、勝手知ったるとばかりに隣の席を陣取る。

「なんだ、アキラちゃんと喧嘩でもしたか?」

「いや!?アキラちゃんとはとっても仲良しですが!」

 思わず勢いが付いた否定をしてしまった。俺が先日大怪我をした時に、アキラと喧嘩したかDVされたかしたのでは?という噂があったらしいのだ。勿論全力で否定したし、火消しは完璧の筈である。

 というか、直行直帰できそうな時も健気に俺を送り届けているアキラに対して、最近はみんなちょっと同情的ですらある。年増の尻に敷かれて大変だなあと誰かが言っていた。

 ありがたい話だ。アキラはあんなに優しいのに、俺を殴ったりする訳が無い。そんな噂が立つくらいなら、性悪の年増である俺が顎で使っていると思われた方がまだマシである。

 宮崎さんはにやにやしながら、パシンと箸を割った。

「お前らずっと仲良いよなあ、出会いの場に居合わせたおじさんは嬉しいよ」

「……その節はありがとうございます」

 カツ丼をザクザクと食べる音を聞きながら、出会った頃を思い出す。彼はまだ高校2年生で、俺は正社員。場所は社内で行われたコンテストの会場だった。

 色素の薄い、ひょろっと背の高い綺麗な男の子だった。今にしたら信じられないくらい子供で、俺は……

「何?何か悩み?元気ないじゃん」

 はっと我に返る。悩みは色々……本当に今は色々あるが、目下一番期日が迫っているのはやはり誕生日だ。

「……誕生日が近いんです。長く一緒に居ると一通り定番のものはあげちゃってて。何が良いかなって」

 出来れば喜んでもらえて、長く使えて、普段も使えて。いや、兎に角時間が無い。それでいて間に合う物だ。

「誕生日かあ、そうだなあ……付き合ってると色々マンネリになるしなあ、少し刺激的な」

「会社でセクハラ発言はダメですよ」

「厳しいなあ」

 カツ丼を半分くらい食べて、宮崎さんは一度箸を置いた。ぐびっとペットボトルの水を飲む。

 昔は大食い早食いの人だったが、お互い歳を取ったものだ。ちなみに俺の昼飯は相変わらずおにぎりとプリンである。

「……名前が彫ってあるとかどうかな」

「名前?……指輪とかペンダントとかですか?」

「他にも色々あるよ、名入れで検索してみな」

 成程、名前が彫ってあるもの。あまり考えた事が無かった。スマホで「名入れ プレゼント」と検索すると色々出てくる。グラスなんかも定番なんだろうか。

「へえ、色々あるんですね……」

「良いねえ若い子は楽しそうで」

「……いや俺もアラサーのおっさんですよ」

「はは、嘘だろ?俺も歳取る訳だわ……思い出すねえ、16歳だろ?来た時」

 宮崎さんは、俺が16の時に採用してくれた、最初のマネージャーだ。恐る恐る書いた、殆どスカスカの履歴書が懐かしい。

「もう人生半分ここに居ますからね俺、ありがたい事ですほんと」

「本気で言ってんのか?とんでもねえブラック会社だろ」

「……本当に良くしてもらってますよ」

 いつの間にか、宮崎さんはカツ丼を食べ終えたらしい。ガタンと席を立つ。

「ごっそさん」 

「もう仕事戻るんですか?」

「ブラック会社だからさ」

 休憩返上という事か。頭が下がる。

「まあ、良いもんが見つかると良いな」

「ありがとうございます。見てみます」

 人生半分この会社に居ると思うと不思議なものだ。辞めていった人も沢山居るし、宮崎さんやアキラみたいにずっと残っている人も居る。

「名前入りのプレゼント……」

 どうせだったら仕事で使える物。少し見えてきたかも知れない。


 そして、あっという間に10月26日はやってきた。

 俺はとにかくプレゼントと、冷凍のホールケーキを通販で注文しておいた。

 ホテルブランドのザッハトルテは、艶のあるチョコレートのコーティングに金箔が散らされて、最後の仕上げに装飾的なチョコレートのプレートが別添えされている。前日から解凍して、今は見本の写真の通りに、Happybirthday Akira と書かれたチョコレートをセットしている所だ。

「綺麗。ちょっと奮発して良かった」

 キッチンを追い出されたアキラが、ソワソワしている気配を感じる。

 山盛りに揚げた唐揚げ、ピカピカの白いご飯はゆめぴりか。さっぱりとした春雨サラダはアキラの好物。ローストビーフとエビチリが美味しそうだったので、ちょっとリッチなオードブルのプレートも買ってみた。

 なんせお誕生日だ。アキラがこの世に生まれた大切な日である。心ばかりではあるが、精一杯の事はしてやりたい。

「ケーキの準備もできたよ!」

「へえ、綺麗だね」

 アキラはお腹が空いてしまったのか、ケーキより唐揚げをチラチラ見ている。早く食べようと目で訴えているのが愛らしい。

 俺は儀式を始めるべくアキラの前で正座した。

「お誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「まずはご飯を食べます!」

「よっしゃ食べよう!」

 ふは、と笑ってしまう。本当に昔から良く食べる子だ。


 たらふく美味いものを食べて、飲んで、やっと一息である。ケーキは甘すぎない品の良いザッハトルテだったが、流石に全部食べたら胸焼けしそうだったので、2人で半分食べて、残りは明日また楽しむ事にした。

「これ、プレゼント」

 カナタは、それはもう俺の誕生日に気合いを入れていた。部屋を飾る訳では無いが、前日あたりケーキや下準備した食材で冷蔵庫はいっぱいだった。

 今日も今日とて、仕事から帰って直ぐにエプロンを引っ張り出して、キッチンに籠っていた。

 幸い明日は休みだ。カナタを巻き込んで一日うだうだしたら良い。本人は気が付いていない様だが、明るい表情の割に、幾分疲れた顔をしている。

「お誕生日おめでとうございます。いつもありがとう」

「なになに?開けていい?」

「開けてみて」

 小さな薄い箱に、薄緑のラッピングペーパー。白いリボンが品良く結ばれている。

 慎重にラッピングを外し、中箱を開けると、それは青いボディのペンだった。ブランドのカードが同梱されている。

「万年筆だ!」

「うん、ちょっと長さがあるやつにしたんだ。手が大きいから持ちやすいかと思って」

 なんとなく憧れはあったが、自分が持つ機会は無いと思っていた。箱に丁寧に固定されたそれを出すと、ボディに筆記体で文字が彫ってある。

『Akira.S』

「名前彫ってくれたんだ」

「落としても見つかるかと思って……」

 こういうの、男だったら普通苗字がメインに入ってる気がするんだよなあ。俺の思い込みだろうか。会社で落としても見つけられる、となると余計苗字っぽい気がする。

 しかし照れて困った顔で、幸せそうに笑うのが可愛いので、あえて突っ込まない事にした。

 最近は本当に色々あって、それはもう酷い心の傷を残したり、大怪我をしたり、慣れない本社に身を置いたり。

 そういう中で、疲れた心と身体で、俺に精一杯の事をしてくれるのだ。

「ありがとう、一生大事にする」

 なんせ万年筆だ。丁寧に扱えば一生モノである。それこそ、ずっと一緒に居ようって言われてるのと変わらないじゃないか。

 幾分細くなった身体を、傷を庇う様にそっと抱き締める。そうしたら何を思ったのかちょっと苦しいくらい強く抱き締め返されて、そうして二人で笑って、その後はいっぱいキスをした。

 

「おう、アキラお前随分良いペン使ってんな」

「良いでしょ?」

 良いものなのだろう、ペン先は18金で、書き心地は柔らかい。ちょっと調べてみると、万年筆は長時間書いても手が疲れにくいそうだ。何より字が様になる。ちょっと慣れると、ボールペンより綺麗に書けるのが気持ち良い。

「万年筆にしたのか、まあ仕事頑張れって事かな」

「……?」

 宮崎さんはちょっとニヤニヤしているが、言葉の意図が良く分からない。

「お前ら本当に仲良いなあ、いつ結婚すんの?」

 思わずコーヒーを吹き出しそうになった。

 なんでカナタから貰ったって知ってんだ、このおっさんは。

 

 

終 

 

 

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