第7話 こいつはオレの彼氏だぜ!

【風磨のターン】


 不慣れな学校生活を経て、夏休みが目前である。入学してしばらくの間は立て続いていたレイへの告白件数も落ち着いてきたなと思っていたが、ここでまた告白ラッシュがやってきた。


 男の男だけによる、バーゲンセールのようである。なんでだよ。動物の発情期は春とか秋のはずなのに。今は初夏だぞ。


 おそらく俺が考えるに、これからやってくる夏休みに備えてレイをゲットし、宿題を一緒にやろうとか、映画を観に行こうとか、どこそこへ旅行に行ってお泊まりしようとか、明日の登校の心配がない日々をめいっぱいレイと2人で楽しみたい、という腹積りでの告白だろう。


 しかしレイは俺が断ってやるから、と言っても『いいっていいって。風磨の手を煩わせるまでもねーし』とニコッと笑い、颯爽と前に出て行って、男を袈裟斬りにして帰ってくる。たまに関節を逆に曲げてくるのも忘れずに。


 一応というか、心配なので言われなくても近くで待機はしている。出番は今のところ一度もないが。


「……あのさ。疲れない?」

「んー? なにがー」


「あんま知らない奴が呼び出してきて、わざわざ行って、帰ってきて、その……」

「あー、その一連の流れ? 面倒臭くはあるけどさー」


「だから、俺が……出てけば一発……」

「えーいいよー! 無駄に敵が増えちゃうじゃん。風磨ただでさえ大人しいんだからー、絡まれたりとか絶対嫌っしょ!」


 大きな澄んだ目に強い光を宿しながらそう言い切ってきたレイは、父の作った卵焼きにかぶりつき美味しそうに咀嚼した。弁当作り担当である父の料理は小慣れたもので、今日も味がしっかり決まっている。


 朝に俺が出てくるまでの間、玄関先でいつも母が誘う会話にレイは付き合ってくれているのだが、そのときに『持ってけ』と父が渡すようになった。空っぽになった弁当箱は俺が預かり持って帰っていたのだが『たまには本人も連れてこいよ』と、先日言われた。


 よく連れて来てはいるけどな。お礼の品も時々くれるのに、と不思議に思っていたのだが、どうやら一緒に夕飯を食べたいらしい。姉も交えて。でもそうすると泊まる流れにまたなって、夜が……やりすぎる恐れがあり……主に俺が。


 あの手のひらに作ったアザ、というか噛み跡を明るい風呂場で見たときにゾッとしたから、という理由もある。声を殺すために作った傷跡。騒ぐわけにはいかないので静かな声で謝り続けたが、本人はこれくらいすぐ治ると言って聞かず湯を浴びながら『いてー! しみるー!』と小声で叫んでいたのを思い出す。


 あの小さくて細くて白く、桜貝のような爪が並んでいる手のひらを傷つけてしまった。俺のせいで。しばらくそれが目に入ったり、家でひとりのときなどに思い出しては大きなため息をついていたものだ。


 今は無事だが、傷ひとつ付けることなく帰ってきてはいるが、また豹変した男に襲われたらどうしよう。俺が必ずなんとかするが、我を忘れてやりすぎる恐れもあるし、そうなったら警察沙汰だし、でもレイの身体は傷付けたくないし。……まあ、これはわりと言い訳寄りだ。俺の本音は別のところにあったりする。



 ——————



「玲くーん。お客さーん」

「え? はーい。どちらさん?」


 教室にいたみんながザッと後ろの入り口に注目する。見知らぬそいつは明らかに怯んでいたが、近づいてくるレイを見た途端に夢の映像を透かし見ているような表情に変わった。まさかみんなの前で告白なんてするつもりだろうか。それとも、単に呼び出しなどのお願いだろうか。


 声がよく聞き取れない。ボソボソと喋ってはいるが、レイは今のところじっと聞いてやっているように見える。試しにそろそろと近づいてみた。学年で一番でかい俺は無意味に目立ってしまうため、なるべくゆっくり歩いてだ。


 レイが『悪いけど』と言いかけて、手をサッと顔の前に翳した途端、その手をそいつがチャンスとばかりにパッと取り、自分の胸の前へ握り込んで言い放った。『俺と付き合ってください!!』


 馬鹿でかい声にまた全員が振り向いた。シンと静まりかえる教室内。その中でレイが『無理ー!』と容赦ない断り文句を投げつけた。


 絶望感でいっぱいになったそいつの表情はよくわかるのだが、レイは後ろ頭しか見えず表情までは読めない。終わった空気が辺りを静かに漂っているが、手は変わらず外さないところに奴のしつこさと、これから頑張ってきそうな気配を感じ取った。


 そんな2人をニヤニヤ笑いで見ている奴。共感性羞恥心が起こったのか、気まずそうに視線を外す奴。突然の出来事への反応は十人十色。


 俺はといえば、こんなこといつまで続けてやるつもりなんだ、俺と付き合ってるとハッキリ言えばいいじゃないか、俺のことを虫除け兼、風除けにでも使えばいいのになどと思っていた。イライラしながら。誰のものかもわからないロッカーの取っ手を強く掴みながら。


 男と付き合うこと自体が知られると恥ずかしいことなのかもしれない、と考えるようにもなっていた。恋人のいる奴はどこから調達してくるのか、大体は他校の女子である。そんな中で堂々と宣言してしまえば、ただでさえ目立つのにもっと目立ってしまうだろう。


 あれこれ想像され、詮索されるのが嫌なのかもしれない。俺のプライバシーと、挑戦しようと躍起になるアホ共から守れる今の関係性が丁度いい、なんて。俺だって正直目立つのは嫌だと思う。小さい頃からそれが嫌で武術の類を身につけていることを黙っていた、とはっきりレイに言ったからだ。


 秘密の関係、と言えばなんとも胸が躍るのだが、とてもじゃないが人に言えない関係だと思っている方かもしれない。そんな不安が常に付き纏っていた。いざ2人っきりになってしまえば、そんな不安は地平線の彼方へと消し飛ぶが。そしてまた1人になったとき、この問題が解決していないぞ、と脳が勝手にお節介なリマインダー機能を発揮する。


 口に出して言いたい気持ちと、それを迷ってしまう気持ち。レイ本人とそのことについて話し合いたいという気持ちと、悪い予想が当たってしまったときのダメージに俺は耐えられるか、という不安感がぐちゃぐちゃに絡まって収拾がつかなくなり始めていたその時だ。レイの一言で全員の視線がまた集まった。俺の方に。


「だってこいつと付き合ってんだもーん!! オレの彼氏!! 以後よろしく!!」


 パァッと華やかに笑ったレイは、大輪の薔薇を背にした女神のような迫力があった。


 腰に手を当て俺をまっすぐ指差しているが、その手は全く震えていない。微動だにせず空中に留まっている。それは報告というよりは、告知そのものの様相だ。


 咲いたばかりのみずみずしい花のような笑顔はいまや、頬をほんのり染めた妖艶な笑みへと変化していた。そんな表情の細かい変化に気づいたのは多分俺だけだと思う。みんな天地が逆さまになったかのように驚いて、野太い声を一斉に上げ、阿鼻叫喚地獄を形成していたからだ。


 ワッ、と泣き出す奴が出た。Xデーに告白してしまった可哀想な奴じゃない。うちのクラスのあいつである。あいつ、レイに対して君に興味はないですから、みたいな素振りをしてたのに。他人の想いなど、その時になってみないとわからないものである。


『あっ、なんか腹が気持ち悪……』と下腹部に手を添えている奴もいる。ストレスが胃腸にくるタイプだろう。男には多い。シンプルに大丈夫か。無理せず保健室に行って休んだほうが。


 机に突っ伏し、静かになった奴もいる。そいつの背中をさすってやっている奴も。いい友達じゃないか。その友達もレイを想っていたのかそうではないのか不明だが、仮にそうだとしたら自分のことではなくお前のことを先に考え、優しさを与えてくれたのだ。いっそのこと、そいつと付き合っちゃえよ。泣くなよ。お前はかなり恵まれている。


 バキッ、ギッ、と何かが壊れた音がした。俺の精神内からではない。物理的な物から発せられている。なんだろう、と自分の手の方を見ると、ロッカーの取っ手に亀裂が入っていた。


 ヤバい、と思って咄嗟に開けてみると、開きはするが感触が怪しく、閉めるとギギッ、と異音がした。扉にシールで付けられた名前を確認すると、腹が気持ち悪くなった奴のものだった。腹を壊してしまった上にロッカーまで。弁償代が発生したら俺が持たねば。両親には叱られるだろうが仕方ない。


 動揺しながら軽く落ち込んでいたら、彼女との付き合いが長いと以前に公言していた奴が話しかけてきた。『あいつに釘刺しておいた方がいいんじゃない?』さすが彼氏歴の長い男は視点が違う。うっかりしていた。それはまさに彼氏の仕事であろう。


 なるべく怖がられないようゆっくり近づき、周りに聞かれないよう声を落とした。


「あのさ……」

「あ、は、はい」


「せっかく……いや違うな、こいつを好きになってくれて……いや、なんか、えっと……」

「…………」


「こいつに近づいたら、殺すから」


 ——しまった。うっかり本音が。


 見るからに顔色を悪くし、および腰になってしまったそいつに、違うんだそうじゃなくてと引き留めようとそいつの方へ手をやったら、突然現れた蛇に驚いて飛びのいた猫のように素早くズザッと俺を避けたあと『あっはい、すみませんでした、すみません、はい、ほんとにっ、はいっ』と早口で謝罪したのちに踵を返し、廊下を走り去っていった。


 俺の後ろでそれをバッチリ聞いていたレイはブフーッと吹き笑いをしている。ひとしきりそうしたあとは『シャレにならんし』と俺をまた指差しながら、腹を抱えて笑っていた。


 広いようで狭い教室内。俺の宣言は近くで耳をそば立てていた奴にしっかりと聞き取られ、その日のうちに広まってしまったようだ。靴を履き替えていたときに『玲くんの……番犬の……』という声がどこかから聞こえてきたりしたからだ。


 振り返るような勇気はなかった。目をつけられたと思われたら心外だからだ。……友達ができない理由を、またひとつ増やしてしまった。



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