男子校の姫と殺人拳

清田いい鳥

第1話 風磨は学友人数が固定されてしまった

 まだ肌寒い春のある日のこと。真新しい学ランの生徒たちで黒山の人だかりが形成されている体育館はざわついていた。『うわ、可愛い』『めっちゃ美人』という低く野太く可愛くない男声があちこちから飛び出している。


 今から入学式が執り行われる、ここは男子校の体育館。甘い香りなど一切しない、なんなら悪臭漂う野郎共が集う場所。そこでは背が小さかったり、幼顔だったりする奴を女子の代わりに愛でる奴がいるらしい、とは聞いていたがもうなのか。気が早くないかと呆れてしまう。欠伸が出る。早く帰りたい。


『静粛に!』とマイクを通した先生の声が空気を震わせ、皆やっと前を向き始めた。人と人の隙間から少し姿が見えたそいつは、案の定小柄で線が細かった。しかも色白で色素が薄い。顔が見えなくとも可愛い、と評される容姿であることが伺える。


 これからあいつ、大変だろうなあ。でも案外チヤホヤされまくって楽な学校生活になるかもしれない。いいご身分になれるじゃないか。欠伸を噛み殺しながら、そう他人事のように思うだけで終わるはずだった。


 初めて足を踏み入れた教室内。あいつ早速取り囲まれて質問責めに遭ってやがる、先生まだかなあ早く帰りてえ、と考えながらぼんやりその光景を眺めていたときだ。話題の中心である小さい奴がパッと突然こちらを向き、しかも二度見してきたと思ったら、ズカズカと人を掻き分けて俺に近づいてきた。


「あ? 風磨ふうま? 風磨じゃね? レイなんだけど覚えてる?」

「レイ…………あっ」


「えー! めっちゃ久しぶりー! 4年のときに引っ越してってそれっきりじゃね? オレの記憶力やばくない? めっちゃでっかく育ったじゃん。いいなー。でも顔だけ全然変わってねー!」


 かつての同級生の名を口に出してきたそいつは確かに面影が少しあるものの、恐ろしいほど仕上がっていた。そこだけスポットライトを当てたかのように発光し、漫画から抜け出してきた風である虹彩の綺麗な瞳を俺に向け、赤い花弁に例えられそうな唇をキュッと持ち上げ、可憐なのにそこはかとない迫力を感じる笑みを浮かべている。


 なにが面白いのかきゃらきゃらと笑うレイに相反して周りの男どもは俺を真っ直ぐ睨んでいる。入学早々これ。マジか。まさに前途多難。俺をくびり殺すための算段を立てる気配を感じる魔物の群れを背景に従えながら、レイはいかにも嬉しそうな聖女の微笑みを俺ひとりだけに向けていた。


 担任の紹介やプリント配布、注意事項の伝達などを終えてやっと帰る準備をしていたとき。レイはあちこちから話しかけられていたがそれらをいなし、そそくさと俺のそばに寄ってきた。


 今どこに住んでいるのだ、通いなのか、とポンポン質問されたので父の実家に戻ったのだと言ったらレイは『あーなるほどー』と適当に言い、『じゃあ方向一緒じゃん。一緒に帰ろー』と微笑んだ。周りの男の視線がチクチクと顔に突き刺さる。……これ以上友達が増えることはなさそうだ、と悟りを開いた。


 レイはとにかく俺についてきた。朝は必ず俺を迎えに来てくれて、さっさと出て行かねばならないはずの母と談笑したあと並んで一緒に登校する。昼食は俺の前の奴の席に座って食べる。体育の時間はペアを組もうと誘ってくる。


 身長差がかなりあるのに良いのかと聞いたが、良いそうだ。背中合わせになって柔軟体操をするときなんかは、子供のように高い高いとはしゃぎ喜ぶので目立ってしまう。『やっぱ身長かなあ』と、ボソボソ呟いている奴がいた。


 別にそれで友達を決めているわけじゃないだろう。元々知り合いだったのだ。ただそれだけ。



——————



「ねーねー風磨。今日さあ、学校終わったら裏庭の方に来てって手紙が机ん中に入ってた。隣のクラスの奴から。果たし状かなあ」


 そんなわけない。時代錯誤な。違うだろ、と突っ込みながらも他に心当たりはないかと会話していたら、周りの男共がワラワラ寄ってきた。思案、焦り、好奇心など、さまざまな表情を見せるモブ達の内心をじっくり推理していたところ、その中の一人が『告白じゃね?』と発言したことで場が湧いた。


 結局みんなで見に行くことになってしまった。本当に告白だったら相手が可哀想だと言う奴もいそうなものではあるが、その場の誰ひとりとして相手を慮る者はいなかった。


『オレ稽古の時間あんだけどー』と、この件の主人公は不満を露わにしている。レイは前から合気道の道場に通っていたが、あれからずっと続けているらしい。


 裏庭があるところはこの校舎の角を曲がった奥だ。その手前にはカーブミラーが立ててある。昔々、この陽当たりの悪い裏庭への通り道を喫煙所として利用していた生徒をとっちめるために設置したのだ、と誰かが言った。


 野次馬のひとりがシッ、とみんなに合図を送った。カーブミラーに人影が映り込んでいたのだ。ここからは静かにしないと気付かれる。やがて、ひとりがレイに目配せをした。ひとりで来たフリをして行ってこい、という意がこもっている。いかにもめんどくさそうな顔をしたレイがとぼとぼと歩いて現場に向かう。


 カーブミラーに人影が増えたのだが、さすがにこの距離では会話はまったく聞き取れない。相手がこっちに向かってきたときのことを考慮して、あまり近くまでへは寄れないからだ。ほんとは会話を聞き取りたい。でも出来ない。少しだけでも確認したい、という気持ちは全員同じ。


 思わずひとりが歩を進めると、つられてまたひとり前進する。おいおいこれは大丈夫か、相手が厄介な奴だったらどうする気なのだという距離まで来たその時である。


「だから付き合う気ねえっつってんだろ。あ? オレになんのメリットあんだよ。さっきからずっとしつけえんだよ!!」

「…………だけ、…………ら、おねがい!!」


「おい!! やめろ!!」


 ヤバい、トラブったか。音に気を取られてミラーを見ていなかった俺が出ていこうとしたその瞬間、明らかに壁に何かが当たった鈍い音と、『ぐっ』というくぐもった声が聞こえてきた。


 ザッ、ザッ、と人が歩いてくる音がして身構えたのだが、現れたのは告白の相手ではなく、レイだった。キレた猫のように据わった大きな目を釣り上げて、肩を揺らしながら泰然と登場したのだ。


 ひとりがそっと角に近づいて、相手の有り様を確認したあと『行こ』と小声で指示を送ってきた。なんだか微妙な空気を感じながらもそこで解散となり、各々は部活だなんだと散らばっていった。


「マジでキモい。せいせいした」

「ミラー見てなかったから、レイが襲われたのかと思った。なんかされた?」


「ほんっっとキモかった。あいつ、これで引き下がるからとか言ってキスしてこようとしやがった!!」


 鳥肌が立った。レイがきっちり断ろうとしていたことは会話で察していたのだが、まさか手前勝手な感情で接触を試みようとするような奴だったとは。断られたらこうしよう、と最初からそれが目的だった可能性もある。


「マジでキモいな。大丈夫だった?」

「うん。肩掴んで壁に押し付けてきやがったから、こっちであいつの肘掴んで、こっちで手首掴んで壁の方に激突させた。真正面からはイッてなかったから歯は無事じゃねえ? 多分なー!」


 鍛えていない一般人に向かって、なんと恐ろしい技を使うのだ。稽古では受け身や回避する術も教わるが、なにもしていない者はなす術がない。ダイレクトに衝撃を受けてしまうだろう。校舎の壁はどう見てもコンクリートである。ほんとに歯がイッてなければ良いのだが。良くて謹慎、悪くて退学。その辺のことは考えているのか、と思わず確認を取ってしまった。


「オレがどんなことされたか暴露してやりゃいいし、この見た目の奴にやられたなんて口が裂けても言えないだろ。バーカ! ざまーみろ!」


 夏へと真っ直ぐ向かっている、まだ明るい夕方。車はあまり通らない川沿いの道の真ん中で、ケラケラと美しい悪魔が笑っていた。舞うように歩を進めながら。


 その後もこういうことは何度もあった。断られても紳士に引き下がる奴、泣いて縋ってもさすがに接触まではしない奴が大半だが、華奢でか弱く見えるレイと二人きりになることで気が大きくなってしまうのか、制圧件数はぽつりぽつりと増加していた。


 手首を掴まれたときは、空いている片手で相手の手首を逆側に折り曲げてやる。めちゃくちゃ痛がって膝を折り始めるので、その隙に背後へ回って腕をギリギリと後頭部へ近づける。相手はもう立っていられない。地面と仲良くするしかない。これは警官が犯人の制圧時によくやるやつだ。


 後ろから抱き付かれてしまったとき。断られているのによくそんなことが出来るなとドン引きしたが、それは抵抗せず脱力して下からするりと抜け出し、相手の手首を掴む。それからはもう、おなじみである関節逆ギメで引き倒す。


 レイが強いことは神速で学校中に伝わっているはずだ。一週間も経たないうちにレイの存在を知らぬ者はいない状態だったのだ。なのに果敢にチャレンジする奴は一体なにを考えているのか。もはや逮捕ごっこ希望者と変わりない。変態か。マゾヒストなのか。






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 関節技は華奢〜で可憐〜な女性でも有効です。そう、そこのあなたでも鍛えりゃ使える。さあさあ私を倒してごらんなさーい!!


 いっけね真正面から掌底入れちった、という勇ましいお嬢さんは⭐︎とフォローお願いしまーす!

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