第29話 世界を広げて
けれど私にとっては、マニエス様のその言動こそが嬉しくて。
そして同時に。
「謝らないでください。それに、普段通りのマニエス様で
今まではずっと、私に気を遣ってくださっていた。だからこそ、丁寧に喋りかけてくださっていたのだと。私は今、ようやく知ったのです。
でもマニエス様は先ほど、私を選ぶとおっしゃってくださった。
で、あれば。
「私はまだまだ、マニエス様のことを知りません」
けれど一年後には、きっと家族になっているはずですし。その前に、準備が整えば正式な婚約者になります。
それなのにずっと
「ですからまずは、マニエス様の普段を、教えていただけませんか?」
「っ!!」
今度からは、他人としてではなく。
家族となるため、夫婦となるための相手として。
そういう
「……それなら、君も、その」
「え、っと……。申し訳ありません。私はこれしか、知らないのです」
「っ……!」
生まれてからずっと、私はこんな風にしか生きてこなかったので。それ以外を、知る
「ですからどうか、そんなお顔はなさらないでください」
痛みに耐えるような、そんな表情はマニエス様には似合いません。
いえ、ある意味とてもお美しいとは思いますが。
「……だったら君は、もっと自分の世界を色々と広げるべきだ」
「世界を、ですか?」
「そう。世の中には色々な楽しいことや、面白いものや、美味しいものがある」
そう語るマニエス様は、とても真っ直ぐで。
けれど同時に、とても力強く頼もしくも見えました。
「それを今まで知らないで生きてきたのなら、今からでも遅くない。色々なものを見て、知って、体験していこう」
自分の世界を広げていくというのはきっと、未知のものと出会うということなのでしょう。
「もちろん僕の知っている世界も、見て知ってほしい。一緒に」
けれどマニエス様と一緒ならば、きっと全てがキラキラと輝いて。楽しいものとなるような、そんな気がします。
何の根拠もないのですが。
「連れて行って、くださるのですか?」
「もちろん! まずは、そうだな……。今度一緒に街歩きなんて、どうだろう?」
「街歩き……?」
スコターディ男爵家では、自室から。ソフォクレス伯爵家では、お屋敷から出たことのなかった私にとって。確かにそれは、未知の領域です。
「知り合いに会うことはそうそうないけど、一応ちゃんと見た目を少し変えて。変装して街へ出るなんて、初めてでしょう?」
「初めてです……!」
変装、なんて。言葉としては知っていますが。
いざ自分がやるとなると、何だかワクワクする響きですね!
「街には色々な人がいるよ。貴族じゃない、働く人々や子供たち。広場もあるし、屋台もある」
知らないことばかりで、ついマニエス様の言葉に聞き入ってしまって。
紅茶が冷めているのにも気付かず。それどころか、横で侍女がその紅茶を淹れ直していることにすら。私は気が付いていませんでした。
「いつにしようか? あぁ。その前に、父上に許可を取らないとね」
心なしか、マニエス様も楽しそうに見えて。そのお姿に、私はさらにワクワクしてしまうのです。
そしてそんな私たちを、侍女と侍従のお二人がどこか微笑ましそうに見ていたことに。私もマニエス様も、最後まで気が付くことはありませんでした。
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